「寮生は次第に孤立していった」毎日新聞記者になった元寮生(私と東大駒場寮 2)

東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にあった「駒場寮」。2001年に取り壊されたその寮を撮った写真集の再制作にあたって、当時写真を撮らせてくれた元寮生たちに話を聞いている。
※写真集制作の経緯については、第1回の記事をご覧いただきたい。
今回は卒業後に毎日新聞の記者になった酒造唯(しゅぞう・ゆい)さんを訪ね、インタビューした。

今回は、「駒場寮での生活は、現在の仕事にかなり影響を及ぼしている」という酒造さんの近況を、酒造さんがかつて暮らした部屋の写真を交えながら紹介したい。
いまは科学記者「お上の言うことに唯々諾々と従えなかった」
――いまはどんな仕事をしているんですか。
酒造:毎日新聞社で科学記者をしてます(2019年7月時点)。原発の取材が長いですね。大学での専攻とは直接は関係ないんですが、新聞社に入って2つめの任地が、中国電力の島根原発がある島根県だったんです。原発があれば地域が豊かになるけれども、ひとたび事故が起きると大変なことになる。電気は都会で使ってるけれども、原発は地方にある。そういう社会の格差、矛盾を表しているのが原発だと思います。
――なぜ新聞記者になろうと思ったんですか?
酒造:簡単に言うと、そもそも東大で落ちこぼれていたんですよ。で、研究からキッパリ足を洗おうと思ったんです。理学部では、隕石の研究をしていました。毎日毎日、研究室で石を磨いてたんです。
「これから何をしようか」と考えたときに振り返ってみたら、僕の人格形成にもっとも影響したのは駒場寮での6年間だったんです。そこで形成された人格をひと言で表すと、「お上の言うことに、唯々諾々(いいだくだく)とは従えない」ということ。つまり、「お上に対して、無批判に従うことはできない」ということです。


東大には、のちに官僚になるやつがいっぱいいますが、お上の言うことに何でもハイハイって聞くのは、すごく危ないと思うんです。少なくとも僕は、駒場寮を巡って大学(=国)に訴えられていたので、国家公務員になれなかったんですよ。しかもすんごい氷河期で、東大でも就職浪人がけっこういたんです。そのなかで、お上の言うことに従わない職業って何があるのかなって考えて。それで、新聞記者がいいんじゃないかと思ったんですね。
「駒場寮はセーフティネットだと思っていた」
――駒場寮で暮らした時代の、特に印象に残っているエピソードは?
酒造:東大の駒場キャンパスでは「駒場祭」っていう学園祭があるんですけど。それとは独立した「駒場寮祭」ってのがあったんですよ。巨大なタテカン(主張などを書いた立て看板)をバックに、ステージを組んで、夜通しカラオケで歌う。バックのタテカンは48枚分を鉄パイプと針金で組みあげたもので、みんなで持ち上げて立てる(笑)駒場祭は開催時間が決まっていたけど、駒場寮祭は朝まで夜通しやるんですよ。

あとは「ゼロバー」っていう寮内バーのバーテンをやっていましたね。北寮の「0B」(部屋番号)で開くからゼロバー。楽しいんだけど、これも夜通しだからしんどいんです(笑)でも毎日開けてましたね。
――酒造さんは、入寮者の募集が停止された年、1995年に入寮しているんですよね。
酒造:僕よりも前に入った人は「合法」。僕が入った年が「違法」と言われる、大学が認めていない入寮の一期生だったんです。
「違法と言われている」だけで、自分たちは法律に違反してると思っていなかったし、そもそも駒場寮というところは、大学が入寮者を選考をするものではない。寮の自治会が選考をするんです。だから大学側が一方的に「入寮を止めろ」って言ってきても、寮自治会は寮自治会で、募集を続けていました。だから寮側の話も聞いてみて、(実態は)どうなってるのかなと。
実際に寮に入って、潰されるまでの最後の6年間を見てきたんです。1995年7月に入寮して、強制執行を食らったのが2001年の8月でした。僕にとって駒場寮はお金のない人たちのセーフティネットだと思っていたんですよ。振り返ってみたら楽しかったですけど、弾圧の歴史みたいなものがありました。

ーー「弾圧の歴史」……寮の裏に発電機がありましたよね。
酒造:まず電気とガスを止められた。だから自分たちで発電機を管理してた。裏のガソリンスタンドに毎日灯油を買いに行って……そういったことが、廃寮に向けてどんどん既成事実化していくというか、兵糧攻めにされてるような感覚ですよね。一番厳しかったのは、悪評がひろがることでした。「なんであいつら、あんなとこに住んでいるんだ」、「勝手に占拠して」みたいな。
最初は学生も同情的だったんです。でも既成事実化されてしまうと、寮生以外の学生から孤立していく。他の学生から見放されていく。そして学生の多くが無関心になっていった。
でも、僕たちはただ自分たちが住み続けたいから廃寮に反対していたのではなくて、もっと大きな意義があると思っていたんです。やはり金銭的な問題、セーフティーネットを守らなければっていうのは非常に重要でした。


酒造:だから僕は、東大に対してはまったくいいイメージを持っていないんですよ。僕にとっての東大は、「寮を潰した当局」というイメージだから。でも東大はお金を持ってるし、優秀な人もたくさんいる。だからいまは、地方の大学とか、お金がなくて研究ができない研究者とか、困っている人に取材対象としてスポットを当てています。

毎日新聞で、1年間くらい大学にお金がない問題や、博士号を取っても就職ができない問題などを取り上げてきました。僕が駒場寮にいた時代よりも、大学を取り巻く環境が厳しくなっているんですね。
「国立大学全体が締め付けられるなか、一番弱いところにしわ寄せが来ている」
ーーー京都大学で明け渡しが問題になっている、東大駒場寮と同じ学生自治寮の「京大吉田寮」の現状についてはどう思われていますか?
酒造:ちょっと吉田寮の話をすると、いま、国立大全体が締め付けられていて、昔よりだいぶ厳しくなっているんですよ。「貧しい人だって他の人と同じように勉強できる」っていうのが国立大学の意義じゃないですか。そういう発想がなくなってきていて、国立大学であろうが、国の金に頼らず自ら稼いで、自ら食っていけみたいな。競争原理みたいなものが丸出しなんですよね。「国立大学」の「寮」は、セーフティネット中のセーフティネットですよね。一番弱いところ。本来は学生に負担を強いるべきではないんです。
人それぞれ事情があるんだし。いま、東京にしても京都にしても、家賃がガンガン上がっていて。普通に社会人をしていても、家賃って大きな負担じゃないですか。地方出身の子を下宿させて大学に行かせるって、かなり大変だと思うんですよ。

本来は、学費をタダにして、むしろ寮みたいなところをたくさん作って、学生の負担を減らしていく方向にいかなきゃならないのに、まったく逆ですよね。そういうセーフティネットみたいなところから潰して、学費もどんどん値上げしている。まさに国立大学自体が締め付けられてるというのがあるなかで、一番弱いところにしわ寄せが来てるということなんだと思うんです。
僕にとって駒場寮での経験は、トラウマになっているわけではないんですよ。まるでマイナスとは思っていない。こういう人格ができて、むしろプラスだと思っている。いまの仕事をしている支えになっているんです。18年間記者の仕事していて、多少なりとも仕事にフィードバックできてると思うし。寮そのものも楽しかったですしね。共同生活が楽しかった。とにかく楽しかったですよ。
※酒造唯さんのインタビューのロングバージョンはこちら(有料)
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