「そうだ、ファンシー骨壺をつくろう」老猫の看取りとシリコンおっぱいのその後(未婚ひとりと一匹 20)
「ひとりを楽しむ DANRO」読者のみなさま、お久しぶりです。2019年6月から2020年3月まで「未婚ひとりと一匹」という連載で、乳がん手術と老猫との暮らしを連載していたコヤナギユウです。
SNSでご存じの方もおられるかと思いますが、眼光鋭くてスーパーキュートな老猫「くるみ」が、2021年2月2日に虹の橋を渡りました。今からちょうど1年前のことです。
もともと基礎疾患が多く、何度も危機を乗り越えてきた猫です。今回もいけると信じていたのですが、苦痛から解放されたのだと思えば、祝ってあげるべきことかもしれません。
一人暮らしの老猫の看取りと、乳がん全摘手術のその後について、少し書かせてもらえればと思います。
迎える前から覚悟済み。それでも。
くるみちゃんとの出会いは友人のSNS投稿でした。2018年の12月、寒空の下、ボストンバックに詰められて捨てられていました(第2話に詳しい)。
わたしは生まれて初めての一目惚れをしたのですが、猫を飼う予定などまったくなかったので、かなり(短時間ですが)悩みました。その時点ですでに老猫だと分かっていたからです。また、足腰が悪く基礎疾患がいかにも多そうで、看取ることを放棄した人が捨てた可能性があると思いました。
だから、まずわたしが読んだのは、猫の看取りについての本です。どんな症状が出るのか、介護はなにをするのか、火葬はどうすればいいのか。もらい受けた翌日に死んじゃうこともゼロじゃない。そう思って、迎える前から見送ることをイメージして、常に保冷剤を確保。それでも一緒にいたいと思ったのです。
DANROの連載では、「人間が嫌い」で、すぐに「喉を締め付けた声を絞ってシャー!」と鳴き、「卓球のスマッシュ」のような猫パンチを繰り出す様子をお知らせしてきましたが、実はそれ、彼女が手術するまでの話です。
わたしの乳がん手術の1週間前に、猫も乳がんであることが判明。進行が早かったので緊急手術をして、猫が退院の日にわたしが入院、というドタバタ劇がありました(第18話に詳しい)。
この猫の乳がん手術の時に、一緒に子宮もとりました。出産予定のない老猫なのに、盛りがあり、不正出血もあったためです。子宮切除の手術のためだと思いますが、彼女は術後、穏やかになりました。
シリコンのおっぱいのその後
この老猫とほぼ同じ時期に、ステージ2の乳がんが見つかり、全摘手術と一緒にシリコン(インプラント)を入れちゃう「一次再建」を行った人間のその後についても、少しお話しさせてください。
回復が順調だったことは最終回に書いたとおりですが、もう少し詳細を。術後しばらくは、左側をかばってあまり動かさないでいたため、左腕が全然上がらなくなりました。腕が上がらないという感覚が初めてだったので「これが四十肩」とびっくり。
その後、ちょっとずつ柔軟体操をすることで運動の大切さに目覚め、いまでは趣味のスキンダイビングに加え、筋トレに励んでいます。
それから、シリコンが入っている部分は基本的に感覚がありません。中身を摘出してるから当たり前っちゃ当たり前ですよね。
でもこれ、豊胸手術をしたおねえさんとかも同じことが起こるらしい。なんというか、見た目のために性感帯ひとつ捨てる覚悟はすごいなと思いました(豊胸なら乳腺の摘出をしてるわけではないので、あとで神経がつながって、感覚が戻ることもあるそうですが)。
無感覚といっても、表皮はつながっているので痛さや違和感はあります。というか、異物感はなくなりません。人体にとってシリコンは異物です。そのため、シリコンを押し出そうとまわりの筋膜が硬直し、放っておくと全体が上へ上へと上がってしまうそうです。っていうか、その前にそもそも硬直が地味に痛い。
解決方法は筋トレの「筋膜リリース」と同じく、強めに押して揉むこと。お風呂上がりにグイグイ押して、硬くなった筋膜を伸ばします。これには本当の意味で慣れることはなく、手術後の地味な痛みや違和感を「そういうもの」として気にしない能力が試されるだけです。ここはそれだけの手術を乗り越えたのだと、誇りに思っておきましょう。
そうだ、ファンシー骨壺をつくろう
くるみちゃんの話に戻ります。
2020年の秋口から、彼女の首に気になる腫瘍ができて、大きな病院で検査をしてもらいました。腫瘍は悪性でなかったものの、場所が悪くて手術不可。そのうち徐々に食道や気道を圧迫するようになり、食事を変えたり点滴で補ったりしていました。
年が明けた1月下旬、水で咳き込んだのをきっかけに咳が止まらなくなり、入院。酸素室から出せない状態になってしまいました。
その日のうちにレンタルの酸素室を手配し、家で組み立てている時に病院から連絡が。幸い、まだ息があるうちに駆けつけることができました。彼女の横で瞳孔散大を見守り、見送ることができました。
家に帰ると、使わなかった酸素室を畳んで、いつもの位置に猫テントを立てました。常備していた保冷剤を敷き、硬くて軽いくるみちゃんの亡骸を置いてみると、月並みですが寝てるみたいです。
お寺で火葬の予約をしたら、翌日にとれました。保冷具合が気になったので、彼女を段ボールに移します。最後の夜は段ボールごと猫を抱えながら、ワインを1本空けました。
火葬の当日、予約時間は午後だったので、午前中は仕事をしてみました。仕事部屋で、いつも猫がいてくれた場所に、猫の抜け殻を置いて。一区切りごとに、何度も猫の額を撫でました。
火葬にはお世話になった猫達人(友人)も来てくれて、いただいたお花で飾りました(自分ではそこまで気が回らなかった)。お見舞い金をそのままお布施にしたら、ものすごく立派なお経を上げてくれて、笑って、泣きながら、天ぷらを食べました。
家に猫がいないのは、なんだか入院でもしてるような気分ですが、猫はクラウド化したのです。
お骨になった猫が帰ってきたのは5日後。白い木綿に包まれただけの骨壺は味気なく、かといって錦織のいかにもなやつは、わたしらしくも、くるみらしくも、ありません。
直径10センチ、高さ12センチ程度の円柱状の壺。丸底の巾着でも手作りすればいいのかな、と思った時にふと思いつきました。ファーで作ったら、ぬいぐるみっぽくなるんじゃない?
そうだ、ファンシー骨壺をつくろう。
作り方は簡単。毛並みと似ているファーを買ってきて、模様に近い切り替えをつけるだけ。いまどきのファーは切りっぱなしでもほつれず、手縫いでできました。
ポイントは前足。そのままだと毛足が長く埋もれてしまうので、毛並みに立ててはさみを入れ、長さと毛量を調節します。
くるみちゃんを失った時のことは、何度思い出しても辛いです。
関節炎や呼吸困難など、さまざなま苦しさから解放されたのだと思うと、良かったことのようにも思いますが、喪失感は消えません。この原稿も、なかなか手がつけられませんでした。あれから1年が経ちました。
ファンシー骨壺に包まれたくるみちゃんと1年暮らしてみて思うのは、ここに彼女はいない、ということ。ただ、喪失という意味ではありません。これは遺骨であって、それ以上でもそれ以下でもないし、もしも魂があるならば、ここには固執してなさそうということです。
特にスピリチュアルなエピソードがあるわけではなく、遺骨はただの遺骨。足が悪かった猫ですから、身軽な身体になった今は世界中を見て回ってるのでは、と思っています。あるいは、わたしが動くことで、彼女にいろいろ見せたいと思っています。
「猫は毛皮を変えて帰ってくる」という言葉を教えてもらいました。
毛並みや模様を変えて生まれ変わっても、目が合えばすぐに分かる、というものです。もしもくるみちゃんが着替えたら、猫でなくても分かるでしょう。だってあの目ですもの。帰ってくる日を楽しみに、たまに泣いたりしつつ、くるみちゃんを受け止められる健康を保ちたいと思っています。
最後になりましたが、連載やSNSを通じてひとりと一匹を見守ってくださったお一人お一人に、感謝申し上げます。我々は幸せでありました。思い出は一生色あせません。