路上生活に至るのは自業自得じゃない 「路上に暮らす人」に声をかけてみる

(イラスト・和田靜香)

つい先日のこと。用事があって新宿のとあるショッピング・ビルを歩いていたら、椅子に腰かけた人が身体を折り曲げ、どうやら寝ているのが見えた。少し近づくと、その人はジャンパーに木綿のパンツ、スニーカーを履いている。キャップを被り、リュックを抱えていたが、そのどれもが汚れていた。

ああ、たぶん、そうだ。この人は路上に暮らす人だ。夜、休むことができず、ショッピング・ビルの目立たないところで昼間そっと寝ているのだと理解した。

こんなとき、どうしたらいいのか?

コロッケパンとお茶を買って、差し出した

私は以前、「夜回り」に参加したことがある。

東京の夜の街を歩きながらパンを配る…ホームレス支援の「夜回り」を体験してみた

東京の夜の街を歩きながら、路上に暮らす人に声を掛け、美味しいパンと「路上脱出生活SOSガイド」という冊子を渡す。

そのときは何もできなかったけれど、あれから少しずつ学んできた。路上に暮らす人に出会ったらどうしたらいいか? どう接すればいいのか? そして、路上に暮らす人たちがどういう人たちか、など。

私は、とりあえず外に一旦出て、最寄りのコンビニに行った。そこで温かいお茶とパンを買って、急ぎ足でその人が寝ている所に戻った。あいにく「路上脱出・生活SOSガイド」は持っていなかった。それがあれば、困ったときの連絡先などが一覧になっていて、とても役立つのに。

「すみません、ごめんなさい」

寝ている人を起こしてしまうのだから失礼のないように声を掛けると、その人はパッと顔をあげてくれた。

と。あれっ? 小柄な男性だとばかり思っていたら、女性だった。後ろで髪の毛をしばっていて、おそらく50代の私と同年代か、それより若い。

(イラスト・和田靜香)

もういちど「すみません」と言って、コンビニの袋を差し出し、「よろしかったら、これ、めしあがってください」とお願いした。私が勝手に起こして、その人が好きかどうかも分からないコロッケパンと緑茶なんていう、へんてこりんな組み合わせのものを差し出すのだ。お願いするのが、ふさわしい。

それに、こうしてお声掛けしても、このタイミングで断られてしまうことはけっこうあるし、何も答えてくれない場合も多い。

そりゃ、そうだ。知らない人からいきなり声を掛けられ、食べ物を差し出されたりしたら、私だって戸惑って何も答えられないだろう。だから、なるたけ丁寧に言うことが大事だと思っている。私が怖い人になってはいけない。

でも女性はすっと手を出して、「ありがとうございます」と言ってくれた。

ホッとして聞いてみた。

「たいへん失礼ですが、路上でお暮しですか?」

「そうです」

ハッキリ答えてくれたが、もう12月だ。路上は寒い。しかも、つい先日、東京・渋谷区のバス停で寝ていた路上生活の女性がいきなり殴られ、殺されたばかり。路上に居て欲しくない。

「支援団体があるの、ご存知ですか?」

「あるのは知ってます」

「もう寒いから、辛いときには助けを求めてくださいね」

「はい」

とりあえず、ここまで。あとはどうしよう? 

「携帯の番号を女性に伝えてください」

「路上脱出・生活SOSガイド」をその日に限って持っていなかったのは痛恨の極みだが、どうにもできない。でも、ハッと思い出した。以前「夜回り」に参加したとき、路上に暮らす人たちの支援について様々教えてくれた、生活困窮者の支援団体「つくろい東京ファンド」の稲葉剛さんのことだ。

稲葉さんは「ホームレス状況にある方に会ったら、まずは『路上脱出・生活SOSガイド』を渡し、できたら支援者につないでください」と話していた。

それで「つくろい東京ファンド」のスタッフ、小林美穂子さんに電話をして、これこれ、こういう人がいるんだけど、と話した。すると小林さんは「私と稲葉の携帯の番号を女性に伝えてください」という。

えっ? 驚いた。小林さんはすらすらと携帯の番号を言う。それ、知ってる。だって今まさに私がかけている番号だ。そして稲葉さんの番号も。

「教えてしまっていいんですか?」

「どうぞ」

ええっ? 見知らぬ路上に暮らす人に、自分の携帯番号を教えるなんて。私はすごくビックリした。

路上に暮らす人たちに手を差し伸べ、援助し、あたりまえにアパートに住めるよう手伝う小林さんや稲葉さんたち。とてつもなくたいへんなことを日々していると思っていたが、その覚悟のほどを、今さらながら思い知らされた。

実はつい先ごろ、私は、小林さんの日記と稲葉さんの論考、それに「つくろい東京ファンド」のスタッフたちの活動リポートをまとめた本「コロナ禍の東京を駆ける」(岩波書店)を作るお手伝いをした。しておきながら、そんな基本的なことを知らなかったのだ。

教わった番号を、メモ帳を破って書く。

「助けてくれる所 『つくろい東京ファンド』 女・小林〇〇〇―××××―△△△△、男・稲葉 △△△―〇〇〇〇―××××」

なんだか謎の感じになってしまったものの(女性の小林さん、男性の稲葉さんって言いたかったんだけど)、また女性のところに戻った。

彼女は目を閉じていたが、「何度もすみません」と言うと、すぐに顔を上げてくれた。しつこいオバさんだなぁと思ったかもしれないが、表情には出さない。

「あの、この携帯番号は私の友達で、支援団体です。もう寒くて寒くて無理!と思ったら遠慮なく電話をしてください」

メモといっしょに財布にあった10円玉4枚をビニール袋に入れて渡した。女性はまた「ありがとうございます」とていねいに言って、頭を下げてくれた。

私がこの日できたのは、これだけ。連絡をするかしないかは女性の意志に任せるしかない。強制はできない。どうか連絡をしてほしいと願っているが、現在まで連絡はない。

(イラスト・和田靜香)

路上生活で暮らす人を孤立させたくない

家に帰ってから、女性に渡したのと同じコロッケパンを食べて、小林さんにメールをした。女性がいた場所を伝えると、今度見に行ってくれるという。そして「みんなが気にして、路上生活に至ってしまった人を完全に孤立させなければ、渋谷区のような悲劇は起こらないんです」という。

私が女性に声を掛けている間、何人かが横を通り過ぎてチラッと見たものの、「どうしたんですか?」とか、「大丈夫ですか?」とか言ってくれた人は残念ながらいなかった。

小林さんのメールは続く。

「自業自得って本人もみんなも思ってるかもしれない。でも自業自得じゃない。そう思わせる社会は誰にとっても苦しいものです」

本当だ。今日、私に住むところがあるのはたまたまラッキーだからだ。彼女に住むところがなくなってしまったのは、不運と政治の無力が重なったからだ。自業自得なんかじゃない。

実はこの女性のこと、その夜にFacebookへメモのようにして書いたら、びっくりするほどシェアされた。なかなか声は掛けられないけど、本当はみんな気にしているんだなぁと思った。恥ずかしいとか、勇気が出ないとか、そんな感じだろうか? 

私はもう恥ずかしいという概念がどっかに吹き飛んじゃった人だからなんてことないけど、そうだよね。うん。

でも、自分に置き換えたら、ほかの人も声を掛けることができるかもしれない。住むところがなくなり、お財布の中には小銭が少しだけ。夜は安心して眠ることなんてできなくて、お腹は空きすぎて何が何だか分からない。怒る気力も悲しむ余裕もない。そんなとき、私なら誰かに声を掛けてもらいたい。助けてもらいたい。

えっ? うっとおしいから一人にしておいてくれ? たしかに、それもあるかもしれない。もう、どうでもいいよ。すべて馬鹿やろーって。

でも、そのままだと悲しいことになる。悲しいことにならないよう、怒られても、無視されてもいいから、とにかく、今食べるものを私ができる範囲でお渡しさせていただく。そして、もしもその気になったら連絡できるところをお伝えする。私はそうしたいし、そうしてもらいたいと思う。

ひとつ、失敗したなぁと思うのは、自分の名前を言い忘れたこと。

「私は和田です」とお伝えすれば、もし彼女が意を決して電話をしたときに「和田という女性から教えてもらいました」と言えるし、見知らぬ誰かからもらったパンより、和田という人からもらったパンの方が安心できる。

次からは必ず、まず名乗ろう。「私は和田と言います。これ、もしよかったら、めしあがりませんか?」と。

     ◇

ちなみに「路上脱出・生活SOSガイド」は東京だけじゃなく、大阪や札幌、福岡などもあります。こちらのサイトでダウンロードできますし、取り寄せることもできます。

路上脱出・生活SOSガイド

  

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