『カラブリア』を彩るドキュメンタリー「演出」の力(山形流・映画の作法)

『カラブリア』の一場面 左がジョバン、その隣がジョゼ(提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

ドキュメンタリー映画には人生観や家族をテーマにした作品が数多くあります。パーソナルな感情を扱うものであるからこそ、そうした作品はひとりの世界に入り込んで観たいものですね。2年に一度開催されるドキュメンタリー映画の祭典「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で上映された作品を例に引きながら、ドキュメンタリー映画との向き合い方をご紹介します。

作品に描かれた社会的、歴史的な背景を知る

今回ご紹介するのは「山形国際ドキュメンタリー映画祭 2017」で上映されたスイス映画、ピエール=フランソワ・ソーテ監督の『カラブリア』です。まずはこの作品のあらすじを読んでみましょう。

スイスの葬儀会社で働くふたりの男が、ある遺体を霊柩車でイタリア・カラブリア州へと移送する。故郷セルビアで歌手として活動していたジプシーのジョバンと、ポルトガル出身でインテリのジョゼ。ふたりは閉ざされた車内でおのずと語り出す。死後の世界、人生、そして愛について……。彼らの背後では、カラブリア出身の死者が静かに眠っている。そのいずれもが、それぞれの事情でスイスにやってきた移民たちである。男たちの対話と旅先での一期一会を、叙情的なジプシー音楽とともに洗練された映像で描く人生賛歌。(山形国際ドキュメンタリー映画祭 2017 公式カタログより)

『カラブリア』の一場面 スイスからイタリアへの旅(提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

あらすじを読んで、作品の背景にあるのが移民の問題であることが伝わってきます。スイスからイタリアへ遺体を乗せた霊柩車が旅をする。その遺体は労働者としてスイスに移民した男らしい。やはり最期は故郷の土に埋葬されたいという願いを残したのだなとわかります。さらに、この霊柩車を運転する葬儀会社のふたりの男たちも、セルビアとポルトガルからスイスに渡ってきた移民なのでした。

「スイス 移民」でネット検索をかけると、スイスはヨーロッパ一円から移民が集まる国であり、その数が人口の25%にまで達することがわかります。なるほど、スイスはとても移民が多い国なんだ。それだけ多いということは、移民に絡んだ様々な問題があるのだろうと想像します。

そんな大きな状況を知った上で、あらすじを読むと移民の問題を背景にして、人生のこと、愛についてが語られる映画であろうと期待が高まってきます。しかも出身も性格も異なる男ふたりが遺体をともに旅をするロードムービーらしい(凸凹コンビによるバディムービーの要素もありそう!)。その旅路を彩るのは情熱的なジプシー音楽というのですから、これはいかにも面白そうです! これから観ようというドキュメンタリー映画がテーマに掲げている事柄について、事前に情報を仕入れておくと、なおのこと作品への理解度が高まります。

自分ひとりの世界に入り込んで、作品とじっくり向き合う

映画が始まったら、暗闇の中で光と影が織りなす物語にひたすら身を委ねるが勝ち。『カラブリア』では、物語のほとんどが、車中で会話を交わすジョバンとジョゼを、正面から捉えた映像に終始します。長距離ドライブの車中で交わされる何気ない会話こそが、この作品の肝なんですね。

遠い異国の地で繰り広げられる見知らぬ男たちの物語。仕事のこと、家族こと、ふとした拍子に語られる言葉の数々は、実に身近な話題にあふれています。その話に自分のことを重ね合わせてみるもよし。そうした共感が深い感動につながることもあります。

『カラブリア』の一場面 2人が交わす会話から深みのある人生がほの見える(提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

じっくりと物語の中で語られる声に耳を傾けていると、いつの間にかどっぷりと作品世界に入り込んでいる自分を発見することでしょう。その心地よい没入感に身を委ねてみれば、映画を通して異国での生活を疑似体験できてしまうのもドキュメンタリー映画の魅力です。と同時に、没入度が高いからこそ、その映画の中で語られる様々な問題を、まるで当事者のように体感し、そのことを知り、考える機会を与えてくれるのもいいところですね。

作品に仕込まれた演出を楽しむ

『カラブリア』には、ジョバンとジョゼの会話シーンのほかに、劇映画と見紛うばかりの魅力的でカッコいいシーンが多数登場します。ひとり物憂げにタバコを吸うジョゼの姿なんて、そのシブいたたずまいだけで、彼が歩んできた人生が垣間見えるようです。窓から差し込む光線の具合や、ジョゼの立ち位置、フレームの切り取り方、よく見るとそうした様々な要素が複雑に絡み合って絶妙なショットを構成していることがわかります。

こうしたシーンは何気なくキャメラを回しているだけではなかなか撮ることができないものですよね。被写体となった人と作り手の阿吽の呼吸、深い信頼関係のもとに演出がなされるシーンというものが確かに存在するんです。

観客からの質問に答えるピエール=フランソワ・ソーテ監督(撮影・提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

ドキュメンタリー映画なのに演出があるなんて、そんなのヤラセだ! 演出のない、リアルなドラマこそドキュメンタリー映画の醍醐味じゃないのか! とおっしゃる方もいるかもしれません。よく混同されがちなのですが、確かにヤラセなどが入り込む余地がない客観的な視点こそが重要というものがあります。ジャーナリズムや報道の現場がそれです。

これに対して、作り手の主観こそが作品の根幹を支えるドキュメンタリー映画は、どのように現実を切り取り、それを貼り合わせ、そこにどんな意味を持たせるかが重要になります。ドキュメンタリー映画監督の故・佐藤真さんは著書『ドキュメンタリー映画の地平 上』(凱風社)の中でこう書いています。

ドキュメンタリー映画とは映像でとらえた事実の断片を集積し、その事実がもともと持っていた意味を再構成することによって別の意味が派生し、その結果生み出される一つの〈虚構=フィクション〉である

ドキュメンタリーなのにフィクション!? 佐藤真監督のこの言葉は非常にインパクトがあります。現実を素材として再構成する過程はまさに作為であり、フィクションと言えるかもしれません。

そこから上がってきたものは現実を素材にしているだけにリアリティを持ちつつも、作り手の主観を経ているからこそ、実際の現実とは異なる「何か」になっている。現実とのズレの中から生じた名状しがたいこの「何か」が、ときに観る者に怒りや哀しみ、喜びや感動などの強い感情を呼び起こしたりするんですね。

そこがドキュメンタリー映画の、いえ映画そのものの魅力の源泉なのかもしれない。そんな現実とのズレ、演出や編集による作為と、キャメラの目の前に発生したリアルな出来事が渾然一体となって観る者を虜にしてくれるからこそ、ドキュメンタリー映画にやみつきになってしまうんですね。

こうした作品が8日間で150本以上も上映される「山形国際ドキュメンタリー映画祭 2019」は、10月10日から17日まで、山形市で開催されます。

今回ご紹介した『カラブリア』は同じく山形市にある「山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー」で鑑賞できます。東北へのひとり旅のついでに、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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日下部克喜 (くさかべ・かつよし)

認定NPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭 前事務局長。1976年生まれ。山形市在住。大学卒業後、映画館勤務を経て、自主上映活動を展開。地方の映画館では上映されないマニアックな作品の上映会を定期的に行う。2005年より山形国際ドキュメンタリー映画祭に関わり、2007年、映画祭のNPO法人化と共に専従職員となる。趣味は恐怖映画鑑賞とオカルト研究。

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