川崎駅でかみしめるホモソーセージの味~エキナカで飲む

なんにも用事はないけれど、川崎に来てみた(イラスト・古本有美)

「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。鉄道好きで知られた作家の内田百閒は随筆『阿房列車』シリーズに書いた。

某月某日。わたしも「なんにも用事がないけれど、電車に乗って川崎へ行って来ようと思う」と家人に告げ、家を出た。「用事があろうがなかろうが、どこかへ行くということは用事に似ている」という百閒流の小旅行である。川崎とは神奈川県の川崎市。

だが早くも寄り道。手前の蒲田(東京都大田区)で下車し、駅前のビジネスホテルにある「黒湯温泉」に寄る。日帰り入浴1100円である。ここではメタケイ酸や炭酸水素塩類などを含む25度以下の温泉(鉱泉)が地下から湧いている。温め直しているのだが、泉質は温泉であることに相違はない。コーラ色のような湯は美肌に効果ありとされる。たしかに湯上がり後、肌がつるつるになったような感じがした。

フロント脇の自動販売機で発泡酒を買った。つまみは三角形のチーズ、50円。「6P」と称し、スーパーでも売っているプロセスチーズなので特別なものではない。が、なぜかうまい。ほろ酔い加減で外に出た。

冒頭に挙げたように、この小旅行は時間と空間の因果律が抜け落ちている。目的や理由は二の次。行き当たりばったりなのである。だが行き会う風景が切れ切れで、合理的な説明がつかないからこそ旅は面白いのではないだろうか。「無用の用」である。

「駅飲み」マニアの聖地

先達がいた。江戸後期から明治にかけて生きた俳人・井上井月(いのうえ・せいげつ)。新潟県の長岡市で生まれ育ったとされ、諸国を放浪したのち、長野県の伊那地方で晩年を過ごし、66歳で没したとされる。酒好きで生涯家族を持つことはなく、無欲、無一文を貫いた。「翌日(あす)知らぬ身の楽しみや花に酒」という句からは、一切を放擲(ほうてき)した男の覚悟が不思議な明るさとともに伝わってくる。一種の無常感というべきか。

さて、風雅にはほど遠い我が身。蒲田を出て、今度は多摩川を渡り、川崎に着いた。駅構内の売店。店頭の冷蔵ケースは上から下まで酒ばかりだ。さすが労働者の街、川崎である。全国あちこちの駅構内で飲んだが、一つの売店だけでこれほどまで酒の種類をそろえているところはあまりない。「駅飲み」マニアの聖地と言えよう。

缶チューハイをプシューッと開ける。つまみはソーセージ。銘柄を見ると「ホモソーセージ」と書いてある。

「ホ、ホモ⁉」

実は魚肉ソーセージである。全体が均質になるよう、魚のすり身をよく混ぜ合わせた生地を使用していることから、英単語の「homogenize(ホモジナイズ=均等化する」をとったという。調べると、製造会社は東京の上野にあることがわかった。

だんだん酔いが回ってきた。井月の句をもうひとつ。「冷やで飲む酒に味あり蟬の声」。エキナカの雑踏の中で飲む酒にも味がある。ごみごみ、ざわざわ……。その中で独りぽつねんと酒を傾ける。

駅のアナウンスが聞こえた。東海道線の発車時間を告げる電光掲示板を見ると、「小田原行き」とある。さらに下って小田原駅で一杯やろうか。あそこには名物の鯛飯がある。ベンチに座り、湘南の風に吹かれるのもいいだろう。

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小泉信一 (こいずみ・しんいち)

1961年生まれ。朝日新聞編集委員(大衆文化担当)。演歌・昭和歌謡、旅芝居、酒場、社会風俗、怪異伝承、哲学、文学、鉄道旅行、寅さんなど扱うテーマは森羅万象にわたる。著書に『東京下町』『東京スケッチブック』『寅さんの伝言』など。

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