「寅さん」の死から22年 「スーパーマン」の苦悩を想う

寅さんになって、土手から川を眺めてみる(イラスト・古本有美)
寅さんになって、土手から川を眺めてみる(イラスト・古本有美)

夏真っ盛り。セミ時雨に包まれる今の季節を迎えると、四角い顔のあの男が妙に懐かしくなる。映画「男はつらいよ」(1969~95年、シリーズ全48作)で主役の車寅次郎を演じた渥美清さんである。

96年8月4日、転移性肺がんのため68歳で亡くなった渥美さんは私生活を公にしなかった。遺言は「死に顔は他人に見せるな」「骨にしてから世間にお知らせしろ」。家族だけで荼毘に付し、死が発表されたのは3日後の8月7日である。

「俳優としての美学」を称賛する人がいた。だが、延べ8000万人の観客動員を記録した国民的映画を支え続けることのつらさは身に染みていたに違いない。亡くなる前年。最後の作品となった第48作「寅次郎紅の花」。奄美ロケのとき、テレビインタビューに応じ、寅さんを演じる心境をスーパーマンに例えた。

「スーパーマンの撮影のときに、見てた子どもたちが『飛べ、飛べ、早く飛べ!』って言ったっていうけど、2本の足で地面に立ってちゃいけないんだよね。ご苦労さんなこったね。スーパーマン飛べないもんね。針金でつってんだもんね」

寅さん会館には渥美清さんをしのぶ献花台も置かれていた

日本中に衝撃が走ったあの夏から22年。今年も8月4日、私は映画の舞台となった東京・葛飾柴又を歩いた。強烈な日差しが照りつける。参道の煎餅(せんべい)店で店員同士がこんな会話をしているのが聞こえてきた。

「今日は寅さんの命日だね」

「そうだね。早いもんよね」

ほとんどの人にとって、「寅さんイコール渥美清」なのだろう。俳優は演じた名前で呼ばれることが幸せなのかもしれない。だが、「おい、おい。今日は渥美さんの命日だよ」と教えてあげたくもなる。

葛飾柴又の居酒屋を訪ねる「寅さんファン」たち

帰路。柴又駅前の居酒屋「春」に寄った。お酒は飲まなかった渥美さんだったが、撮影の合間によく1人で立ち寄った店だ。カウンターでお茶を飲みながら好物の「納豆オムレツ」を食べたそうである。

「そこが、渥美さんが座った席ですよ」。おかみの渡辺かおるさん(64)が言う。普段は寡黙な渥美さんだったが、かおるさんに「おれのかみさんの若いときに似ているよ」と冗談を言い、みんなを笑わせた。

居酒屋「春」のおかみ、渡辺かおるさん

青森から上京し、幼稚園の先生をしていたかおるさん。柴又生まれ柴又育ちの渡辺春樹さん(64)と出会い、結婚。1979年9月、駅前の五軒長屋を借り、夫とともにいまの仕事を始めた。渥美さんとの記念写真が飾られたこの店には、寅さんを慕うファンが全国から訪ねてくる。

さて今日は何を飲もう。まずは名物「柴又ハイボール」でのどを潤す。焼酎を地元の炭酸で割った、いわゆるチューハイ(焼酎ハイボール)である。つきだしは新じゃがの煮っ転がし。渥美さんが好きだった納豆オムレツも注文する。

そういえば、ここは葛飾柴又。東京の東はずれ。江戸川の向こうは千葉県だ。このあたりでは、焼酎の炭酸割りに梅やレモン風味のエキスを加えたチューハイが好まれている。淡い琥珀色。口に含むと少し甘く、さっぱりもしている。柴又ハイボールもその流れをくむ。

夕暮れ。ほろ酔い気分で店を出ると駅前広場に寅さんの銅像があった。四角いかばんを提げ、これから旅に出るところだという。心なしか涼しい風が吹いてきた。さて、もう1軒、下町のチューハイを求めてさまようか。今夜はしみじみとした酒になりそうだ。スーパーマンの苦悩を想う。

柴又駅前の「フーテンの寅」像

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小泉信一 (こいずみ・しんいち)

1961年生まれ。朝日新聞編集委員(大衆文化担当)。演歌・昭和歌謡、旅芝居、酒場、社会風俗、怪異伝承、哲学、文学、鉄道旅行、寅さんなど扱うテーマは森羅万象にわたる。著書に『東京下町』『東京スケッチブック』『寅さんの伝言』など。

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