「マスクをしろ」という同調圧力など存在しない。あるのは「コミュニケーションの圧力」だ

新型コロナウィルスの問題も、最近は徐々に下火になりつつある。

といっても、新型コロナの感染が終わったわけではなく、当初のような自粛騒ぎが下火になっただけである。

街中では花粉症のシーズンでも見なかったくらいに、みんなが当然のようにマスクをしており、それが当たり前の社会になっている。

しかし、そうした当たり前がお気に召さない人も少なくないようで、ネットでは「マスクをしろという同調圧力」を感じるという声が聞かれるようになった。

僕は自分の政治的スタンスからしても同調圧力に対しては敏感な方であり、同調圧力が個人の自由を奪っているなら、それは真っ当に批判しなければならないと考えている。

「マスクをしろ」という同調圧力なんて感じない

だが、僕自身の感覚で言えば「マスクをしろという同調圧力」というものを、まったく感じないのである。

僕自身はどのようにマスクと付き合っているかと言えば、まず、近所で買い物などをするときは、もうほとんどマスクをしていない。

そうしたところにはひとりで行き、誰かと話をするわけでもない。ずっと口を閉じているのだから、誰かに飛沫を浴びせる心配もないのである。

もちろん、近所の店でもマスク着用のお願いがあればマスクをする。そのために鞄の中には袋に入れたマスクを常に用意している。

また、不意のくしゃみが出ることもあるかもしれない。だが、咳マナーについては新型コロナ以前から、くしゃみをするときに肘の内側で受けるということを実践している。

一方で、電車に乗ってどこかに行くときは、マスクをすることが多い。電車の中はしゃべっている人もおり、比較的リスクが高いと思っているのでマスクをしたい。

ゲームセンターなど、若い人が騒いでいたり、比較的長い時間利用し続ける場所に行くことも多い。そういうところには、だいたいマスク着用のお願いが書かれているし、自分自身もリスクを感じるのでマスクをしている。

そんな感じなので、少なくとも僕自身は「マスクなんてしたくないのに、マスクをさせられている」という同調圧力を感じないのである。

クラスターが発生しやすい場所の特徴は?

では、マスクに対して同調圧力を感じる人は、どうしてそれを同調圧力と感じるのだろうか?

クラスターになりやすい場所として考えられているのは、「医療機関」「夜の街」「居酒屋」「部活動」「職場」「バスツアー」などであろうか。これらの場所では実際にクラスターが発生している。

一方で、密閉された空間に多くの人が長時間留まることからクラスターになりやすいであろうと予想された「映画館」や、マスメディアでもネットでも批判されていた「パチンコ店」では、クラスターが発生しなかった。

なお、新潟県上越市のパチンコ店でクラスターが発生しているが、改装準備のための休業中に発生したクラスターであり、従業員間でしか感染がなかった。つまり、客が集まるパチンコ店だから発生したクラスターではなく、職場におけるクラスターである。

これを見ていると、ある傾向に気づく。

それは「コミュニケーションを必要とする施設で、クラスターが発生しやすいのではないか」という点である。

もともと高リスクの人が集まる医療機関はともかく、それ以外の場所では、親しい複数人が同席して話をするような場所でクラスター発生が見受けられる。

一方で、映画館やパチンコ店でクラスターが発生していないのは、映画館は映画を鑑賞する場、パチンコ店は盤面を見続ける場であって、顔をつきあわせたコミュニケーションを主な目的にしていないからではないだろうか。

「マスクの同調圧力」を感じているのはどういうタイプの人か?

「顔をつきあわせたコミュニケーションを必要とする施設で、クラスターが発生しやすい」という事実から、次のようことが推測できる。それは、対面型のコミュニケーションの機会が多い人ほど感染リスクが高い、ということだ。

顔をつきあわせてコミュニケーションを取ろうとすれば、当然、口を開いて話をする必要がある。話せば話すほど飛散物は多くなる。その結果、新型コロナウイルスに感染するリスクも高まると考えられる。

結果として、それを抑止するためにマスクをしなければならないシーンが増える。つまり、コミュニケーションが日頃から多い人ほど、マスクを「付けさせられている」と感じるようになる。それは、当然である。

一方で、僕のように、コミュニケーションの多くをメールやSNSなどで済ませ、それほど他人と顔を合わせてのコミュニケーションを取っていない人にとっては、゙マスク着用の圧力というものはほとんど感じられないのである。

まだ自粛騒ぎが大きかった頃に「新しい生活様式」を厚生労働省が公表し、それに沿った「飲み会」の映像が流れたことがある。そこでは、乾杯などによるグラス接触を避けたり、フェイスシールドをしてお酒を飲む様子が映されていた。

後にフェイスシールドの飛沫飛散防止効果は極めて低いという結果が出ているが、僕がそのとき思ったのは「そこまでして飲み会をする理由って何?」ということである。

感染の危険があると言われている状況で、わざわざ人が集まって一緒に酒を飲む理由とはなんなのか、と。

僕自身、お酒は好きだが、たいていは家で飲んでいる。外で飲むときでも一人か二人程度で、ごく短時間だ。

ましてや、日頃から飲みニケーションだなんだのやっている人たちが、この時期にあえて飲み会をする理由はなんなのだろうか、と思ったのだ。

マスクはスケープゴートにすぎない

このように考えると、彼らが感じていた圧力というのは、マスクに対する圧力ではなく、「顔をつきあわせたコミュニケーションを取らなければならないという圧力」ではないのだろうかと思い至った。

コロナ禍だから、できれば他人と顔をつきあわせて話すのは避けたい。しかしコミュニケーションは取らなければならない。そのためにはマスクをしなければならないーーという展開の結果として、「マスクをしろという同調圧力を感じる」という結論に至っているのではないか。

マスクはあくまでもスケープゴートでしかなく、実際に我々が同調圧力を感じているのは「コミュニケーション」そのものなのではないか。

ならば、゙新しい生活様式では「フェイスシールドをして飲み会を開く」ではなく、一時期流行ったZOOM飲み会のような、直接顔をつきあわせないコミュニケーションを志向すべきだろう。

仕事でも、会議などで直接やりとりするよりは、グループウェアなどを通したやりとりを増やすなど、コミュニケーションの簡便化という方向を目指すべきではないだろうか。

いずれにせよ、コロナ騒ぎはまだ収束しそうにない。

これまでのように、仲間意識で当然のように顔を合わせるコミュニケーションを取っていては、マスクが重荷となりつづける。

そうではなく、新しい生活様式として、ひとりひとりが独立し、その中で必要に応じたコミュニケーションの形を選択していけば、マスクを同調圧力と感じることはなくなっていくはずである。

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赤木智弘 (あかぎ・ともひろ)

フリーライター。1975年生まれ。就職氷河期世代としての問題意識を中心にいろいろと発信中。最近は、スーパー銭湯などのサウナ施設を回ったり、辛い料理を食べることがマイブーム。一人暮らしなので、すこしでも生活に潤いを生み出して行きたい。

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