コロナ禍だから「ひとりで産む」 十月十日では口にできなかった不安と孤独

妊婦中に受けられるPCR検査について記された用紙

2021年の夏、私は次男を産んだ。長男の時と同じく「母子ともに健康」の安産だった。ただ、長男を出産した5年前と大きく異なることがある。妊娠生活を通してずっと、新型コロナウイルスへの対策を続けたことだ。

お腹の大きい私に「コロナ禍の妊娠や出産は大変でしょう」と気遣いの声をかけてくれる人は少なくなかった。

もちろん、大変と言えば大変だった。妊娠中に感染したら、という不安はずっと付きまとっていたし、出産の時は付き添いもなく身一つで入院し、マスク姿で陣痛に耐えた。

でも、私はそういう「コロナ禍で大変」という事実すら、なかなか言い出せなかった。コロナ禍に限らず、妊娠・出産は不安や孤独と隣り合わせだ。長男を産んで分かっていたことだったが、コロナが拍車をかけた。自粛や我慢が強いられる社会情勢の中、変な“負い目”のようなものを感じていた。

コロナとのお付き合いはまだしばらく続けざるを得ない。コロナ禍で「ひとりで産む」とはどんなことだったのか。十月十日のうちに言葉にできなかった「もやもや」を、ここで吐露させてほしい。

陽性なら転院。抗原検査の結果を待つ夜

「まずは抗原検査ですね。PCR検査の検体は出してもらっているけど、ちょっとまだ結果が出ていないのよ」

妊娠36週(妊娠10カ月前半)の夜、突然の出血に驚き、急ぎ産婦人科に向かうと、真っ先にされたのはコロナの検査だった。

お腹の子に何かあったらどうしようと、入院準備も程々に一人タクシーに飛び乗った。慌てて病院に来たのに、前に進めない焦燥感が募る。コロナ陽性だった場合、ここでは受け入れ不可で、総合病院に転院になる。助産師に鼻の穴から長い綿棒を差し込まれた私は、天井の角を見つめるしかなかった。

検査結果を待つ間、「感染予防対策のため、原則家族の面会は禁止」と書かれた誓約書に署名をして、個室のソファに横になった。

立ち合い出産だったコロナ前。遠くから駆け付けた夫

第1子の時は、仙台市の病院で里帰り出産をした。お産の瞬間に家族が付き添う「立ち合い分娩」ができる病院だった。

当時、私たち夫婦が住んでいた日本海沿岸の地域から仙台までは、新幹線でも5時間かかる。それでも、夫は「せっかくだから立ち会いたい」と話していた。

陣痛が始まったのは幸運なことに夕方で、夫は電車を乗り継いでギリギリ駆けつけることができた。夫は「リラックス」と声をかけながら腰を押してくれたり、ペットボトルの水を渡してくれたりと、とても心強かった。

第一子を出産した時、病院から配られたカードに記入した「バースプラン」。「どんなお産にしたいか」という質問に、立ち合い希望と書き込んでいた

明るくなったころ、分娩室に長男の産声が上がった。水色のガウンを着た夫の目には涙が光っていた。私が分娩台に横たわったまま、家族3人で記念写真を撮った。なぜか私よりもぐったりした様子の夫が写っていた。

「こっちの体は全然痛くない一方で、奥さんは痛がっているでしょう。どんなに頑張っても代わってあげられないのは、精神的につらい」。夫の疲労困憊の姿はおかしくも、有り難くもあった。

翻って今回、緊急事態宣言の真っただ中の東京で、私は一人で産婦人科にたどり着いた。

コロナの検査結果の待ち時間はわずか15分。その時間が長く感じられた。まさか転院か、と気色ばんだ時、病室のドアが開いた。「陰性でしたよ」と助産師から告げられ、全身の力が抜けるほどほっとした。

お産の進み具合を確認してもらった私は、念のため、そのまま入院することになった。

妊婦につきまとう、他人の人生を左右するプレッシャー

子を身ごもると、体も心も大きく変わる。それは、長男の妊娠をきっかけに痛感した。

妊娠していない時は、飲みすぎて二日酔いで苦しんでも、不注意で転んでけがをしても、全て「自業自得」だった。一方、妊娠中は母親の生活によって、胎児の発育に影響が出る可能性が付きまとう。私の不注意や無知で、他人である赤ちゃんの一生を左右することになれば、自分を責め続けるしかない。

加えて今回は「私や家族がコロナにかかったらどうなるか」と不安にかられ、検索魔と化して情報を集めまくる自分がありありと想像できた。どこかで気持ちのガス抜きをしなければ、この十月十日は過ごせそうにない。そう悟った妊娠初期、「マイルール」を設定した。

今回はコーヒーを一日2杯までは「良し」としよう。

5年前は「胎児に何かあったら」と徹底的に避けたカフェイン摂取だった。だが調べてみると、一日2杯のコーヒーなら許容範囲だという。だから、今回は大好きなコーヒーで息抜きをすると決めた。

それでもどこか後ろめたく、「もしこれでお腹の子に何かあったら、私は後悔するしかない」と思っていた。ストレス発散しようと考えた行為で逆にストレスを感じる。そんな矛盾した状況で、私は苦いコーヒーを少し残すことが多かった。

「妊娠や出産は親のエゴ」なのか

妊娠はおめでたいことだ。だが、誰もが妊娠や出産を無条件で「是」とするほど社会は単純ではなく、多様な意見が存在している。

その風潮が分かりやすいのが、インターネットだ。コロナ以前でも、「妊娠や出産は親のエゴ」という主張や、自分勝手な態度を取る妊婦を指す「お妊婦さま」という言葉はすぐに見つけられた。

さらにコロナ禍では、妊婦の不安がニュースに取り上げられるや、「リスクを承知で好き好んで妊娠している」「自己責任」と一蹴するコメントが記事の下に並んだ。

いつもであれば読み流せるネット上の一意見に、妊婦の私はいちいち胸がえぐられてしまった。私はいたたまれなくなり、前年にコロナ禍で長男を産んだ同級生にLINEでメッセージを送り、助け舟を求めた。

「妊婦が偉いとは思わないけど、『どんな状況でも安心して子どもを産めるように考えよう』ではなくて『自己責任』と言われたら、それは悲しいよ」

気持ちを代弁してくれる人がいて、私は少し救われた。

マスク姿で陣痛に耐える。誰も私の「痛い」を聞いてくれない?

本格的に産気づいたのは、入院から丸1日後の真夜中だった。

マスク姿でピンク色の分娩台に上がった。長男を産んで掌握した出産における“戦略”は、落ち着いた呼吸だった。ただ、今回はマスクが口から離れたり張り付いたりして落ち着かない。

夜勤の助産師は分娩室にずっと付き添ってくれるわけではない。陣痛の波が大きくなると「いたた」と声を出してしまったが、泣き言に相槌を打ってくれる人もいない。私の「痛い」という言葉を聞いてくれているのは赤ちゃんだけだと思い、お腹を撫で続けた。

分娩台に上ってから2時間で、一気に痛みが増した。それまでの陣痛が「波」ならば、これは「津波」だった。お腹の中にいる私とは違う他人が、この津波を起こしている。自分ではどうしようもない激痛こそ、その証だった。

そこからは一瞬だった。助産師が医師を呼び、3回いきむと産声があがった。

「おめでとうございます。男の子ですよ」

私がマスクを外すことができのは出産から2時間後。助産師にスマホで、次男とのツーショットを撮ってもらった時だった。

一人で入院し、二人で退院できる喜び

これまでコロナ禍での不安についてあれこれ書いてきたが、意外にもプラスに感じた部分もあった。

それは、出産から退院までの5日間、静養に努められたことだ。入院患者しかいないフロアは病院スタッフ以外の出入りはない。たまに掃除機や食事の配膳の物音があるくらいで、面会者の出入りがないのは気が楽だった。

久々に体が自分だけのものに戻ったのには、何とも言えない新鮮な感覚がある。さらに、一人で入院した病院を「二人」で退院できる喜びはひとしおだった。

退院の日、次男を取り上げた医師に「陰性でしたよ」と告げられた。何のことかと思うと、入院前に検体を提出したPCR検査の結果だった。「ここで産めるのだろうか」と不安を感じていたことも、すっかり昔のように感じた。

入院前に検体を採取して提出したPCR検査キット

ちなみに、私の出産直後の6月下旬、厚生労働省が「マスクで陣痛に耐えること」について新たな見解を出した。「分娩時の妊婦のマスク着用は必須ではない」というものだ。

報道によると、息苦しさを訴える妊婦の声を受けて、厚労省が関連学会に意見を求め、見解をまとめたという。

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成田有佳 (なりた・ゆか)

1985年宮城県生まれ。2009年に毎日新聞社に入社し、地方部、社会部で教育取材などを担当。2021年からはキャリア関連メディアに転職し、ウェブコンテンツ制作に携わる。フリーランスとしては清掃行政などを取材している。

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