「もうプロレス以外のことはできない」51歳の達人・ディック東郷の深き世界(プロレス月光物語 3)

(写真提供・ディック東郷選手)

2020年7月12日のツイッター。この日、世間ではあまり知られていないひとりのプロレスラーの名前がトレンド入りして、注目を集めていた。

その名は「ディック東郷」。

大阪で開催された新日本プロレスの試合に「乱入」したことが話題になっていた。内藤哲也とEVILのタイトルマッチに覆面姿で現れ、リング上で大暴れしたのだ。

東郷自身が試合の後に発信したツイートには、1万1000以上の「いいね」がつき、ネット上で大きな話題を呼んだ。

「まさか50歳で新日本に上がるチャンスが来るとは!人生、何が起こるかわかりませんね」

東郷はそうつぶやいた。

プロレスの選手は10代の少年から70代の老年まで、年齢の幅が広い。だから50代を過ぎてリングに上がるレスラーも少なくない。だが、20代の若者と近いコンディションを保って、最前線で闘っているレスラーは極めてまれだ。

今年でキャリア30年。52歳になるディック東郷は、いまもグッドコンディションを維持する大ベテランである。

170cm、90kg。決して大柄ではないが、筋骨隆々でスタミナにも自信がある鉄人レスラー。どんな相手でもプロレスの試合を成立させる確かな技術を持つことから、「レスリングマスター」の異名を持つ。

(写真提供・ディック東郷選手)

私は、そんな東郷を2019年の夏に取材した。単行本『インディペンデント・ブルース』で、彼のプロレス哲学を描くためだ。プロレスラーたちが「レスリングマスター」と崇める男。そのルーツは「インディー」にあった。

インディーとは、新日本プロレスに代表される「メジャー」の逆で、小規模のプロレス団体を意味する言葉だ。

ディック東郷は振り返る。

「インディーやメジャーという括りは好きではない。でも僕みたいな体の小さい人間でもレスラーになれた。インディーがあったから今ここにいる」

プロレスでいじめを克服した少年が目指した夢

東郷とプロレスの出会い。きっかけは小学校と中学校で受けた「いじめ」だった。

学校で同級生からの暴力に耐える日々が続くなか、ある夜、テレビでたまたまプロレス中継を目にした。そこには、自分がいじめで加えられていた「技」の数々があった。

「僕がやられていたのはこれだったのか!」

そう驚いた東郷は、しだいにプロレスの虜になっていく。特に気になったのは、新日本プロレスのスターたちだ。

「アントニオ猪木さんや初代タイガーマスク、長州力さんのプロレスを観ていました。特に誰かひとりのファンというのではなく、みんな好きでした」

不思議なことに、プロレスファンとなった東郷は、段々といじめられることに慣れていった。おおげさに痛がったり、派手なリアクションをしたり、痛みを緩和するために殴られた瞬間に後ろに引いたり…。

あいかわらずいじめられながらも、無意識にプロレスをすることで、いじめを克服していったのだ。

そしていつしか、プロレスラーになることが彼の夢となった。

高校卒業後、東郷はいったん就職したが、プロレラーの夢をあきらめきれなくて退職。大仁田厚が旗揚げしたインディー団体「FMW」に入門する。だが、団体の方向性に違和感をもち、デビュー前に離れた。

その後、メキシコのプロレススタイル「ルチャ・リブレ」を基本とするインディー団体・ユニバーサル・プロレスリングに入った東郷は1991年、「巌鉄魁」というリングネームでデビューする。

「ユニバーサル時代、間近でメキシコのスーパースターたちを見ることができたのは僕の大きな財産ですね。スペル・アストロ、ブルー・パンデル、カト・クン・リー…。皆それぞれ、個性があるんです。特に影響を受けたのは、ベスティア・サルバヘですね。この人の受け身は本当に勉強になりました」

小柄ながら豆タンクのように頑丈な肉体を持っていた東郷は、デビュー時から非凡な才能を発揮していた。

彼の代名詞でもある「ダイビング・セントーン」。リング上に横たわった相手に対して、トップロープから尻もちをつくように自身の背面・臀部を浴びせる必殺技だ。この技を20代から駆使して、存在感を示していた。

(写真提供・ディック東郷選手)

40歳で引退を宣言し、国内外で引退ツアー

ユニバーサルから始まった30年のレスラー人生。それは「流転」という言葉がふさわしい。

ルチャ・リブレの本場であるメキシコへの遠征を経験したあと、ユニバーサルから離れ、日本初のローカルインディー団体「みちのくプロレス」の旗揚げに参加。ディック東郷という現在のリングネームに改名した。そして「海援隊☆DX」という悪党集団の大将として活躍し、ヒール(悪役)の才能を開花させた。

ディック東郷は、自分自身の立ち位置をどうみていたのか。

「プロレスラーにはいろんなタイプがいる。スター性があってエースになれる人、二番手の役割になる人。そこにいける人といけない人がいるじゃないですか。僕はエースになれるタイプじゃない。その対極に立ってぶっこわすか、マイペースで自分のレスリングを見せていく立場ですよね」

そんな東郷の活躍はアメリカにも伝わり、1998年には世界最大のプロレス団体「WWE」(当時はWWF)に入団した。だが、わずか一年で退団し、帰国してしまう。

そこから、大阪プロレス、みちのくプロレス、ゼロワン、新日本プロレス、DDTプロレスリングと、ありとあらゆる団体の試合に登場し、各地を転戦して回った。いくつもの好勝負を見せ、さまざまなタイトルを獲得していく姿から、いつのまにか「レスリングマスター」と呼ばれるようになった。

そんな東郷だが、実は一度、プロレスを引退している。

「レスラーとして、コンディションが一番良いときに引退したい」

2010年4月に記者会見を開き、2年後に引退することを表明した。東郷が40歳のときだった。その後1年間は国内での引退試合、もう1年間は国外での引退試合をこなした。

国外の引退ツアーは、オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカ、中南米の各国を転戦。尊敬するチェ・ゲバラが命を落としたボリビアを最終地に選び、引退した。

その後、下水道工事の仕事をしたり、ベトナムでプロレスコーチについたりしたが、2016年に現役復帰を果たす。

「日本とベトナムの国際交流イベントでプロレスをすることになり、カジノのオーナーから『リングに上がってほしい』と依頼されたんです。『引退してます』と言って断ったんですが、オーナーから『大丈夫だよ』と言われて、出ちゃったんです」

リングで体を動かしているうちに、現役時代の感覚がよみがえってきた。

「どしゃ降りの雨という最悪なコンディションの中での試合だったんですが、『またプロレスがやりたい』という思いがわき上がってきたんです」

これがきっかけとなり、フリーのプロレスラーとして復活したディック東郷。現在は、かつて在籍した「みちのくプロレス」に所属し、50代のレスリングマスターとして活躍している。

(写真提供・ディック東郷選手)

見た目は強面の東郷だが、取材で言葉をかわすと、腰が低くて優しい紳士である。少年みたいに澄んだ瞳をしていたのも印象的だった。

「あなたにとって、プロレスとは何ですか?」

私の直球の質問に対して、東郷はこう答えた。

「一度引退してみて、自分はプロレス以外のことができないって改めて分かった。もうプロレスは“運命共同体”ですよ」

どんな対戦相手でも試合を成立させ、試合を見ている我々プロレスファンのレベルも自然と上げてくれるディック東郷。「生涯現役」を宣言しているプロレスの達人は、今日も試合を通じて、その深き世界を伝えている。

 

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ジャスト日本 (じゃすと・にほん)

プロレス考察家。アメブロで「ジャスト日本のプロレス考察日誌」を運営。2017年と2018年に電子書籍「俺達が愛するプロレスラー劇場」(ごきげんビジネス出版)刊行。2019年より大阪なんば紅鶴にて一人語りイベント「プロレストーキン グブルース」を定期開催。2020年、単行本「インディペンデント・ブルース」(彩図社)発売。

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