「ベトナム行きに反対したけど止められなかった」戦場ジャーナリスト・沢田教一の妻サタさん

没後50年となる戦場ジャーナリスト・沢田教一(左)と妻のサタさん

ベトナム戦争の戦場で日本人ジャーナリストが撮った一枚の写真。川の中で子どもを抱えた母親が必死の形相で川を渡りきろうとしている。「安全への逃避」と名付けられた写真は、1966年のピューリッツァー賞を受賞した。

「安全への逃避」の写真は、沢田教一の生涯を伝える書籍『ライカでグッドバイ』の表紙にも使われている

この写真を撮影した戦場ジャーナリスト・沢田教一は1970年、カンボジアで銃撃に遭い、命を落とした。34歳の若さだった。それから今年で、ちょうど50年になる。

沢田が亡くなった10月26日、青森県弘前市で、沢田の妻・サタさん(95)のトークイベントが行われた。

戦場のものではない「優しい写真」が飾られていた

弘前市ではこの直前に、新型コロナウイルスのクラスターが発生。市の自粛要請を受け、トークイベントも予定していた30分から15分に短縮されてしまったが、遠方のファンや地元メディアの記者などたくさんの人々が集まり、会場は熱気に包まれていた。

僕は、産経新聞社に勤めるSさんに誘われて、弘前にやってきた。

実を言うと、前日の夜にZoomセミナーの聞き手の仕事が入っていたこともあり、行くべきかどうか迷っていた。しかし、Sさんの「この機会を逃したら二度と肉声を聞けないかもしれない」という口説き文句に完落ちして、行くことを決めたのだ。

他のメンバーは、元NHK記者で、現大阪日日新聞記者の相澤冬樹さんと、戦地取材の経験が豊富なジャーナリストの安田純平さんだった。

開催前日の夕方、弘前駅に到着すると、Sさんと相澤さんはすでに地元で評判の飲み屋「ます酒」で、できあがっていた。僕も合流したが、夜にZoomセミナーがあるのでほどほどでお暇した。なんとかセミナーをこなし、明日のトークイベントに備えて眠ることにした。

翌日、トークイベントは13時からだった。30分前に会場のカフェ・オランドに到着すると、同行者はみな揃っていた。会場のなかに入ると、沢田さんの戦場のものではない写真が飾られていた。

会場には、沢田教一やサタさんの写真が飾られていた

地元の岩木山や伝統行事「八戸えんぶり」、妻であるサタさんの写真。こういう優しい写真も撮っていたのだ。

サタさんはすでに舞台上の椅子に座っている。来場者と談笑しているようだった。90代とは思えないオシャレな雰囲気をまとっていた。

いよいよ13時。トークイベントがスタートした。

「教一さんはいろんなことを教えてくれた」

沢田教一との思い出がサタさんの口から語られる。ふたりはよく東北を撮影旅行したという。

「結婚したとき、教一さんはカメラを持ってなかったんです。私がクビから下げて持っていた黒いカメラを時々使っていました」

一時期、香港に住んだが、その後、ふたりでベトナムに渡った。

「ベトナムに行くって言ったときはずいぶん反対したんですけど、止められませんでした。私も行ったんですけど、ご飯とかもすぐに慣れましたし、快適でした。ニョクマムという調味料があるんですけど、凄く臭いんですね。それにもすぐに慣れました」

沢田とサタさんはどんな夫婦だったのだろうか。

「私のほうが年上でしたけど、教一さんは物知りだったので、いろんなことを教えてくれました。教一さんから教わった教養は多いです。だから私は、教一さんが何か言ったら、イエッサ!と答えるだけでした」

サタさんを囲んで話を聞いた

トークイベントは15分だったので、あっという間に終わった。代わりに、質問コーナーが設けられた。

僕は挙手して、質問した。

「先ほど、サタさんは『私だけがおばあちゃんになって』とおっしゃったが、沢田教一さんがもし生きていたら、どんなおじいちゃんになっていたと思いますか」

すると、会場がなぜか笑いに包まれた。

本人としては凄く真面目な質問だったのだけれど、とたんに恥ずかしくなってしまった。

サタさんは

「たぶん、若い頃と同じように、私は教一さんの言ったことにイエッサ!と言っていたでしょう」

と答えてくれた。

安田さんも質問した。

「沢田のころは、戦場に行くことは何も批判されなかった。自己責任とも言われなかった。今は、戦場に行くこと自体が批判されてしまう。ましてや、しくじったら自己責任と言われ死ぬまで追い詰める。こうなってしまった日本をどう思いますか」

残念ながら、サタさんの耳が遠く、答えが噛み合っていなかったが、現在の状況を沢田教一が知ったら、どう思うだろうか。

サタさんによると、沢田教一は常に戦争を憎み、平和を望んでいたそうだ。一枚の写真が戦争を止める力になることもあるに違いない、そんなことを沢田教一は僕に教えてくれた気がした。

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