「中国人の常套句にイライラした」父のひとり駐在員生活(僕の中国語独学記 8)

(イラスト・芥川 奈於)

僕が中国語にまったく興味のなかった大学生のころ、アパレル企業に勤めていた父親が中国の上海に駐在することになった。父親は、どうやって中国と付き合っていたのか。どのように語学を学び、どのように中国人とコミュニケーションをとっていたのか。直接、尋ねてみることにした。

大学生の家庭教師に中国語を教えてもらった

父親が中国にいた期間は、2000年1月から2009年12月までの10年間だ。

「上海(閔行区)に6年、南通(如東県)に4年。だから、今から話すことは、20年も10年も前の話であることを念頭に置いてくれ」

まあ、そうだよな。この20年で中国は様変わりしている。そういう前提条件を踏まえないと話は進まない。

父親によると、上海での取引先に日系の企業が多く、そこの社員にはそれなりに中国社会に馴染んでいる人もいた。そのなかの一人に、中国人の家庭教師を紹介してもらったそうだ。

「先生は自宅マンションに近い大学に通う学生だった。日本語検定1級を持っていて、違和感のない日本語を話す優秀な先生だった」

父親の能力不足で、中国語を完璧にマスターすることはできなかったが、ある程度は上達したようだ。

「先生から習った期間は約2年間。そうしたら、苦手意識を持っていても、日常会話レベルの中国語くらいなら話せるようになった」

僕は大学生のとき、上海に何度も遊びにいったことがある。だが、父親が流暢に中国語を話しているところは見た記憶がない。

やはり、語学をマスターするにはコツがいるのだろう。そして語学とビジネスはあまり関係ないのだろう。たぶん当時の父親のレベルは、今の僕と同程度のレベルだったんだろうと感じた。

出かけるときは「電話帳を持ち歩いていた」

僕の学習と同じように、父親も授業は「発音」からスタートした。最初の2、3か月は中国語の発声に集中して取り組んだ。

「enとengの違い、inとingの鼻にかかる発音の違いや、日本語にはない発音など。当然慣れるのには時間がかかる。次に四声。四声の違いで、中国語がうまく通じないことは常だった」

街角の市場に行くと、買い物のとき「○○元」という発音を聞き取らなくてはいけない。これがなかなか難しい。

特に、4(si)と10(shi)が聞き取りにくかった(両方ともカタカナで書くなら「スー」)。

「4元か、10元か。si⤵か、shi⤴か。分からないときは、1斤(500g)の値札から推測してお金を出していた。それでも聞き取れないときは、50元札を出してお釣りをもらっていた」

当時の50元は750円ぐらい。そのころ、上海の最低賃金は手取りで月額450元ほどだったそうだから、中国人からするとかなり大きな金額を出してお釣りをもらっていたことになる。

中国で駐在員生活を送っていて、困ったのは「土曜、日曜に何もすることがなくて暇なこと」。

当時のテレビはBS-NHKだけだから、興味のある番組は少なかった。インターネット回線でBSの民放が見られるようになるのは、まだまだ先のこと。このころのインターネットはADSL回線で、速度が遅く安定していなかった。

そこで上海市街地を散策したが、右も左もわからない。言葉もまだうまくできない。携帯電話と、もしもの時のための電話帳を常に持ち歩いていた。

発音が悪くて通じなかった場合でもタクシーで帰れるように、メモ書きも。そこには「我要去古北新区」または「我想去古北新区」と書き付けてあった。いずれも、日本人駐在員の多くが暮らす「古北新区に行きたい」という意味である。

このメモを運転手に渡せば、最悪住居には帰ることができる。外出するときはいつもこんな具合だった。

「タクシーで行先を告げるとき、誰もが知る場所ならいいが、知らない場所の場合、道路名を告げることが多かった」

中国の道には全て名前がついているそうだ。縦と横の道が交差しているので、タクシーでは、縦の道と横の道、2つの名前を告げる。

「日本で言えば、中央通り×晴海通り、昭和通り×御幸通り。中国流の言い方をすると、中央路×晴海路となる。2つの通りの交差点の近くまで行くと、『右に曲がる』とか『もう少し前』とか、簡単な中国語を伝えて目的地に行く」

ここまで中国語で言えるようになれば、「タクシーでどこでも行けるようになる」。

中国人が「没問題」と言ったら気をつけろ

父親は会社の中国人従業員とどんなコミュニケーションをとっていたのだろう。さきほどのレベルの語学力で、どうしていたのか気になるが。

父親が言うに、中国人は何か問題が起きても、たいていは「没問題」(mei wen ti /問題ない)と返答する。ところが、解決できないと「没有為法」(mei you ban fa)または「没為法」(mei ban fa/仕方がない)と言って、責任逃れしようとするのだという。

「これは本当によく出てくる常套句。日本人は本当にイライラする。最初から簡単に解決できるような返事をするな、とみんな怒っていた」。

中国人はこういう常套句を使って、自分の非を認めたがらない。「認めてしまうと罰を受けることになるから」との思考らしい。

「駐在員の間では『没問題は有問題、没問題と言ったら気をつけろ』が合言葉だった」

これは、日本人と中国人の気質の違いによるものだという。

日本人は問題が起きないように物事を進めることで、仕事ができるかどうかを判断する。一方、中国人は問題が起きたら、話し合いで解決しようする。それで解決できれば問題ないと考える。そういう大らかな気質だそうだ。

中国人に言わせれば、「日本人は細かすぎる」「日本人は心が狭い」。父親も、現地の中国人からよく言われたそうだ。

(次回に続く)

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