中途半端な友達はいらない!「圧倒的ぼっち」だった私が、最高の学生生活を送れた理由

世の中で「ぼっち」という単語が良い言葉として使われる機会は皆無です。ましてや、「ぼっちの学生」と言おうものなら、そこに込められているのは哀れみや嘲笑の響きだけ。私自身、学生時代は「圧倒的なぼっち」だったため、実感としてよく分かっています。

しかし、「ぼっち=不幸」かといえば、そんなことはありません。事実、私はぼっちを極めた学生生活を送りながら、「人生で一番楽しかったのは、ぼっちだったあの頃だ」と考えています。

圧倒的ぼっちになった理由

私がぼっちの学生生活を送っていたのは、東京都内の高校に通っていたときです。おもに高校2年の夏から高校卒業までの1年半。期間的に見れば長くはありません。

小学生~中学生の頃はいわゆる「リア充」寄りで、学年の中心人物的な存在だったのですが、転機は高校入学と同時に訪れました。

私は「高校なんてどこも一緒だ」と早合点し、一切勉強することなく地元の偏差値40台の都立高校に入学します。しかし、いわゆる「バカ高校」だったので、同級生と会話が全くかみ合わないのです。

周りにいるのは人生を体育祭と文化祭に捧げている人間ばかりで、学年一の秀才がMARCHに行ければ御の字という学力レベル。普通に勉強する学生が「ガリ勉」と嘲笑される環境に、私は衝撃を受けました。

学生時代の模試結果。大した成績でもないのに、校内偏差値がすさまじいことになっている

そんな学校に入った私ですが、同級生に呆れながらも「なんとなく」で友人を作り、高校2年生の夏までは孤立せずに過ごしていました。ただ、夏休みは学校から離れるので、ほぼひとりで過ごしていた記憶があります。

しかし、その夏休みが明けて学校へ戻り、友人たちと再会したとき、なんともいえない距離感をおぼえました。彼らと行動を共にしていると、ぼっちで過ごしていた夏休みのほうがよほど楽しかったことに気づいたのです。

そこで、ふと私は思いました。

「好きでもない友人と過ごして時間を浪費するくらいなら、意図的にぼっちになってその時間を自分のために使ったほうが、人生は充実するのではないか」

こうして、私は中途半端な関係の友人たちを一挙に遠ざけ、「圧倒的にぼっちな高校生活」に突入したのです。

ぼっちだが最高だった1年半

当時の私は、早い話、誰ともしゃべりませんでした。

圧倒的ぼっちを目指す私にとって、必須のアイテムとなったのは「イヤホン」でした。校門に入ればサッとイヤホンを装着し、授業が終わって休み時間に入ればまたイヤホン。すなわち、授業中以外は、周囲に人がいたとしてもイヤホンを付けて行動するのです。

授業のための強制的な移動を除き、自分の席から一歩たりとも動きません。もちろん、休憩や昼食時間は毎日ひとりで過ごします。

結果、クラス内での私の立ち位置は「触れてはいけない人」になったようで、誰ひとりとして、話しかけてくることはありませんでした。

毎日学校に通っていたのに、一週間のうちに発した言葉が、英語の授業中の「1番です(選択問題の回答)」だけだった週もあったほどです。

ただ、この話をすると「そこまで行ったら、普通は不登校になる」とよく言われます。確かに、一般的にはそうなるでしょう。しかし、私は1年半の間、ほぼ無遅刻無欠席で学校に通い続けました。

なぜそんなことが可能だったかといえば、答えはシンプル。この生活が最高に楽しかったからです。

高校生は、授業時間を除き、ほぼ自由に動けます。私の場合、友人が誰もいないのだからなおさら。休み時間には、好きな音楽を聴き、好きな本を読み、好きなアニメや映画を見て、好きなゲームをする。

放課後になると校内最速で帰宅していたので、自宅で好きなことをする時間はたっぷりありました。余計な友人付き合いもなく、自分の好きなことに好きなだけ没頭できる環境を「最高」と思うのは道理でしょう。

ただし、ぼっちがゆえにいろいろと変なことも起こりました。例えば、以下のようなエピソードがあります。

・クラス全員が出席しないといけない体育祭の大縄跳びで、私が受付の仕事で不在だったのに「全員出席」とカウントされる

・文化祭の控室で1日中漫画を読んでいたところ、その姿を哀れんだ女子から「文化祭一緒に回る?」と声を掛けられる

・検便用の容器がクラスで私にだけ配られず、「検便してない学生がいる」と大騒ぎに

・担任からイジメを心配され、何度も声を掛けられる

・幼馴染の高校の同級生に「あいつは友達じゃなくて知り合いだから」と裏で言われる

こんな妙な出来事がいくつかありましたが、それでも、当時は毎日がひたすら楽しかったので何も思いませんでした。むしろ「美味しいネタができてラッキー」と喜んでいたくらい。

事実、いまこれをネタに文章が書けているわけで、高校時代の行動を後悔したことはありません。友人に流されなかったおかげで、高校創設以来初めて、上智大学に一般入試で入れましたしね。

中途半端な友人はいらない!

ここまでの内容を見ると「ただ人付き合いが苦手なひねくれ者なんだろう」と思われる方もいるかもしれません。

しかし、誤解のないように言っておくと、大学に入ってからはまた、小、中学生の頃のように友人が増え、ハンドボールサークルの代表を務めたこともあります。

確かにひねくれ者には違いないのですが、別に人付き合いが嫌いなわけではありません。ただ、友人付き合いと同じくらい「ぼっちでいること」も好きなので、気の合わない中途半端な友人相手に、時間を浪費する意味が感じられなかっただけなのです。

なので、私は「中途半端な友人はいらない!」と声を大にして主張したいです。

もちろん、私のように「圧倒的ぼっち」として日々を楽しむのは、なかなか難しいことだとは思います。しかし、人生を楽しむのに「友人」がマストな存在でないことは確か。

気の合う友人がいればベストですが、もし中途半端な友人しかいなかったり、人間関係に悩んでいたりするのならば、思い切って手放すのも手です。

「人付き合いを楽しむ方法」を必死に考えるのではなく、発想を転換して「ぼっちを楽しむ方法」を考えてみると、人生の選択肢が増えるかもしれませんよ。

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齊藤颯人 (さいとう・はやと)

フリーライター/編集者。上智大学文学部史学科在学中に学生ライターになり、大学卒業後は新卒フリーライターとして活動中。歴史やフリーランス、旅行記事などを中心に執筆し、フリーランスメディアで編集業も経験。ひたすらぼっちの人生を過ごしてきたので、「ひとりを楽しむ」ことには自信あり。

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