逃げまくれ、逃げ道がなくなるまで。「渋谷ぼっち」を歌う中山吉さん

シンガーソングライターの中山吉さん(撮影・斎藤大輔)

中学から引きこもり、高校も1週間で退学。家のラジオで聞いた1曲をきっかけに人生が変わっていったと語る、シンガーソングライターの中山吉(きち)さん。自身と同じような境遇にいる人に音楽を届けようと福岡から上京し、2019年6月「渋谷ぼっち」という曲でCDデビューすることになりました。

DANROの連載企画「ひとりぼっちの君へ」では、「逃げて、逃げまくったらいいんです」と話す中山さんが、引きこもりからシンガーソングライターになるまでを聞きました。

「完璧じゃなくてもいいんだ」

引っ越しと中学校への進学の時期が重なり、知り合いや友達がいなくなってしまったという中山さん。周囲から孤立して、いじめの標的となり、仮病を使って学校を休むようになったといいます。

(撮影・斎藤大輔)

「元々、見た目や体型などのコンプレックスも強くて、自分に自信が持てなかったのも原因でした。中学2年生に入ってからは、1日のほとんどを自分の部屋で過ごすようになっていました」

それでもなんとか中学校は卒業し、高校に進学します。しかし、通えたのは1週間だけでした。

「中学から高校にあがると環境がリセットされますよね。中学校は無理だったけど、高校なら頑張れるかもしれない。はじめのうちは自分から声をかけたりもしました。でも、高校のクラスでも『なんだあいつ』みたいに周りから変な目でみられるようになって、なじめませんでした。授業途中で家に逃げ帰ってきて、母親に泣きながら『もう無理、学校辞めたい』と訴えました」

引きこもっているときにラジオをよく聴いていたという中山さん。偶然流れたP!NKの「Just Like A Pill」の歌声とメロディに大きく心を揺さぶられます。

ここから抜け出さなきゃ
走れ、精いっぱいのスピードで
荒野のまっただ中へ
不満や恐怖のまっただ中へ
私にとって、あなたはただの薬みたいなもの
病気を治してくれるわけじゃない
ただ私を薬漬けにするだけ
ただ私を薬漬けにするだけ

「これまで聞いたことのない歌声に身体全体が反応するような感じで、こんな歌い方があるのかとビックリしました。歌詞は英語で意味不明でしたが、完璧じゃなくてもいいんだ、ひとりではないんだと自分の代わりに叫んでくれているような気がして、胸を打ちました」

(撮影・斎藤大輔)

以来、P!NKの歌声を真似たり、歌詞をノートに綴ったりするようになり、塞いでいた気持ちに変化があらわれました。

逃げ続けたから、踏み出せた

将来は、歌うことでたくさんの人を励ますことのできるシンガーソングライターになる。そう決めて、まず始めたのがギターを買うためのアルバイトでした。黙々と作業するならばできそうだと、自宅近くの宅配寿司店のキッチンスタッフとして働きました。

「アルバイト代が入った貯金箱を握り締めて楽器店にいきました。最初に買ったのは1万円のおもちゃのようなギターでした。それでも『自分で貯めて偉いわね』と店員さんに言ってもらえて、達成感がありましたね」

専門学校に通い、レッスンも受けるようになりました。ところが、今度は家庭の経済的な事情で、専門学校に通い続けることができなくなってしまいます。

中山さんは東京で音楽活動をしようと決めますが、両親は大反対。振り切って上京したものの、頼る人もなく、しばらくは生活に必死だったといいます。アルバイト先になじめず休みがちになることもしばしば。それでも地元に戻ろうとは一度も考えませんでした。

ボイストレーニングで教わったことは必ずメモ書きする(撮影・斎藤大輔)

「学校もアルバイトもなかなか続かず、これまでいろいろなことから逃げてきました。東京に出てきてからも、それは変わりませんでした。でも、アルバイトを辞めたら地元に戻り音楽を諦めることになるので、辞めたいと思っても辞められませんでした。逃げて、逃げて、逃げ続けていたら逃げる道がなくなって、諦めがついたのです。音楽を続けたいなら、やるしかないんだ、と」

上京から半年後、初めて立った池袋のライブハウス。緊張のあまり、「あぁ」の一言だけで何も歌えずに自分の番が終わってしまいました。周囲には驚かれましたが「『次のこと』しか頭になく、落ち込むことはありませんでした」。

さみしさに寄り添う「渋谷ぼっち」

路上ライブやライブハウスで活動を続けているうちに、音楽プロデューサーの目に止まり、今年6月のデビュー曲発売が決まりました。タイトル曲「渋谷ぼっち」は、上京して頑張る“ぼっち”たちに送るメッセージソングです。

路上ライブのお客さんに「辛くて、苦しそうな曲だけでなく、あなたのように頑張っている人を応援するような曲が聞きたい」と言われたことが、作品を作るときの参考になったといいます。

「上京したてのころは、不安より嬉しい気持ちのほうが大きいんですよ。憧れの東京で、一人暮らしも新鮮で。だけど、その東京での生活が日常になって、ふとした瞬間にこれまで“当たり前”だったことが“当たり前”でなかったということに気づくんです。例えば、洗濯物を干しているときに『あぁ、家ではこれまでお母さんが全部やってくれていたんだよな』と、ちょっぴりセンチメンタルな気分になる。それが上京して初めて“ぼっち”な自分に気づくときだと思うんです。そんな“ぼっち”な気持ちに寄り添いたいと思いました」

中山さんの“ぼっち”の世界観を伝えるため、ジャケットのイラストも自ら手がけました。今後はプロモーション活動として、地元・福岡エリアを中心としたテレビ・ラジオ出演やワンマンライブを控える中山さん。しかし、インタビューを受ける姿に焦りや気負いはありません。

「これからもずっと歌い続ける」という揺るがないものを、「逃げ続けた」なかで探りあてたからなのかもしれません。「“ぼっち”も悪くないですよ」と、吉さんは自ら手を差し出し握手をして、次の仕事に向かっていきました。

(撮影・斎藤大輔)

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清水美奈 (しみず・みな)

ライター。1983年千葉県生まれ。写真週刊誌記者、PR会社勤務を経てフリーランス。バイオ、ヘルスケア、ビューティーなど科学技術と産業・社会の動向をウォッチし、メディアなどで書いています。高校まで団体競技のバレーボールをしていましたが、大学時代は個人競技であるアマチュアボクシングの選手でした。減量のため通っていたのがきっかけで、銭湯めぐりが趣味になりました。好きな「本日の湯」は薬宝湯です。

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