「それは恋愛感情に近いもの」ギリヤーク尼ヶ崎の「黒子」を務める写真家

車いすで登場するギリヤーク尼ヶ崎さんと「黒子」の紀さん

ギリヤーク尼ヶ崎さんは90歳の大道芸人です。2020年はコロナ禍で公演がいくつか中止になりましたが、10月には横浜の大さん橋ふ頭で舞踊を披露しました。首都圏の公演は毎回、数百人の観客が集まります。

近年の公演では冒頭、ギリヤークさんを乗せた車いすが、急加速して観客の輪に入ってくる演出があります。あまりの勢いで、ギリヤークさんが車いすから振り落とされそうになっているようにも見えます。この車いすを押しているのが、ギリヤークさんの「黒子」を務める紀(きの)あささんです。

公演中、ギリヤークさんの着替えを手伝ったり、小道具を準備したり、時にはギリヤークさんの舞踊に涙したり。忙しく動きまわる紀さんの「本業」は写真家。そして、パントマイムや手回しオルガンを得意とする大道芸人でもあります。

「撮りたいものになりたくなる」という紀さん。「それは恋愛感情にも近いものがある」と話します。

「投げ銭が飛ぶことすら、芸のひとつになっている」

紀さんが「黒子」になったのは、2016年。前年にギリヤークさんが体調を崩したことがきっかけでした。

「ギリヤークさんが85歳の年に『なんか調子が悪い』と。それが年末あたりに立ち上がれないくらい悪化したんです。一時期は、芸人としてどうかというよりも、生命としてどうかというくらいの心配を(ギリヤークさんと暮らしている)弟さんもするくらいでした」

病院をいくつかまわった結果、ギリヤークさんはパーキンソン病であると診断されました。診断により出された薬によって、ギリヤークさんに動きが戻ってきましたが、それは「まだ、動けるようになっただけだった」といいます。

病気のために公演をいくつも中止したギリヤークさんは、2016年10月に予定されていた東京・新宿での公演については「やりたい」という意志を周囲に示しました。

「でも、あの時点でギリヤークさんは『意外なこと』ができなくなっていて。たとえば、正座ができなかった。一度座ったら、立ち上がることもできるかできないかっていうところだったので、介助できる存在が芸のなかにあったほうがいいだろうという話になって。『黒子』っていうのを考えていったんですね」

そもそも、紀さんがギリヤークさんと親しくなったのは、ギリヤークさんが体調を崩す直前に出版された写真集『伝説の大道芸人 ギリヤーク尼ヶ崎への手紙』(日進堂)がきっかけでした。

数年間撮りためていた写真をギリヤークさんに見せたところ、「いいね。写真集にしたらいいのに」と言ってもらえて、出版へと動きだすことになったのです。

紀さんが出版した写真集(提供:紀あささん)

「私がギリヤークさんを初めて見たのは2009年で、わりと遅いんです。私もいろんな遍歴がありまして(笑)コアにあるのは写真家です。ただ、『撮りたいものに、どんどんなっていく』という傾向があるんです」

そう語る紀さんが大道芸に注目するようになったのは、10年以上前に横浜で「人形振り」と呼ばれる、人形のように固まったり動いたりする芸を見たときでした。それを機に、自身も大道芸人を志すことになったのです。

そのなかで、パントマイムの先輩から「ギリヤーク尼ヶ崎さんを見ておきなさい。とにかくすごいんだよ」と勧められたのです。2009年、初めてギリヤークさんの公演を見た日のことを紀さんは次のように振り返ります。

「そこまで言うならと見に行ったら『確かに!』となりました。新宿公演では投げ銭の飛び方がすごいんですよ。お客さんから投げ銭が飛ぶことすら、芸のひとつになっているというか、そこまででひとつの空間になっている。それがすごくいいなあ、と」

紀さんが撮影したギリヤーク尼ヶ崎さん。投げ銭(おひねり)が投げられた様子がわかる(提供:紀あささん)

「そろそろ黒子なしでもいいのでは」と考える

ただ「いきなりディープなファンになったわけではない」と紀さんはいいます。

公演には足を運べるときに運び、ギリヤークさんを撮影する年月を重ねました。その一方、フィンランドでの撮影旅行で手回しオルガンに魅了された紀さんは、手回しオルガン奏者としての道を歩み始めます。ギリヤークさんを知ってから、前述の写真集をきっかけに親しくなるまで、数年間かかっているのです。

この写真集の制作時期と、ギリヤークさんの体調不良が重なったことが、「黒子」になった理由のひとつでした。

「ほかに全公演を手伝う人っていうのがいなかったですよね。各地には『世話人』と呼ばれる人がいて、手伝ってくださるんですが、それはギリヤークさんがひとりで動けるという前提で。体調が変わってからは全公演を手伝える人じゃないと成り立たないということで、私自身はフリーランスなので(自分だったら)『手伝えるかな』という感じでした」

また、紀さんがケロミンという楽器の演奏で使った「黒子の衣装」を持っていたことも、大きかったようです。

「黒い着物とか、黒いドレスとか、介添えする役の衣装を考えるなかで、『これはどう?』って黒子の衣装をギリヤークさんのところに持っていったら、『それだ』ってうなずいてくれたんです。あとになってからギリヤークさんは『あのとき黒子の衣装じゃなかったら、決めなかった(=OKを出さなかった)』って言っていましたね」

以降、紀さんは「黒子」を務め続けています。公演の開始時に車いすを加速させる演出は、ギリヤークさんと紀さんが2人で作り上げたものだそうです。一方で、「いなくていいんだったら、黒子は必要ない」とも言います。

「毎回、考えるんですけどね。そろそろ黒子なしに戻れるのでは、と。今でも常にそれは頭のなかにあります。ひとりで踊るギリヤークさんを見たい人もいるでしょうしね。公演の前には、ギリヤークさんに『今回はどうする?』って聞くんですよ」

しかし、ギリヤークさんの体調は現在良好とはいえ、ひとりきりで公演をするには現実的に難しい面もあるようです。

また、2020年は「コロナ禍」で10月まで公演ができませんでした。そこで「せっかく今は踊れるのに」という周囲の後押しを受け、ギリヤークさんはドキュメンタリー映画の撮影に臨みました。

「たまに映像で昔の芸を見ると、ギリヤークさんは飛んだり跳ねたりしてるなと思うんですけど、今は今で、身体性を超えた、見た目で明らかにすごい身体性とは違う『もっと深い』、と言うと逆に言葉が浅くなってしまうんですけど、『違うもの』が出ているな、と」

紀さんはギリヤークさんの今を、そんな風に見ています。公演では、黒子を務めながらもカメラを手離さず、ギリヤークさんの撮影を続ける紀さん。被写体としてのギリヤークさんの魅力は? と尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「面白いですよね。ギリヤークさんって、人としてかわいらしいところがあるし、『写る』『写らない』って話になると写真論とか禅問答みたいになっちゃうんですけど、『あ、ここまで写るんだ』っていう写り方をするときがあるんです。動きとして形になっているかというと、本人がイメージする形にはなってないわけだけれども、形でというよりも、何か、内なる何かが写っているんですよ」

(提供:紀あささん)

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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