「10歳のころの自分が笑えるネタか」さかな芸人ハットリさんが大切にしていること

さかな芸人ハットリさんのYoutubeより
さかな芸人ハットリさんのYoutubeより

「やられたらやり返す。倍返しだ!」。あの半沢直樹のセリフを「ヤマメ、タラ、ヤリイカ、エツ、バイ貝、シイラ!」と魚介類の名前で読み替える。あるいは、有名な曲の歌詞を魚の名前に替えて歌う。そんな「魚に特化した芸」を得意とするのが、さかな芸人ハットリさん(32歳)です。

ハットリさんは、TVやイベントで芸を披露する一方で、海辺に捨てられた釣り針や釣り糸で魚を釣る「漂流物フィッシュング」や「東京からひたすら北に向かって歩くチャレンジ」など、自分で考えたユニークな企画に挑んできました。

なかでも2018年に始めた「魚を300種類釣るまで、自分で釣って調理した魚以外食べないチャレンジ」は反響を呼び、それがきっかけで人気番組『アメトーーク!』にも出演できました。2021年4月12日には、その経験をもとにした『日本一魚好きな芸人の魚図鑑』(KADOKAWA)を出版しました。

ピン芸人として、また、大手事務所に所属しないで、「ひとり」で活動を続けるさかな芸人ハットリさんに、話を聞きました。

魚のイラストを描いているときが一番「ハイ」になれる

ーー「さかな芸人ハットリ」はどのように生まれたのでしょうか。

ハットリ:父親が渓流釣りをしていたので、その影響で小さいころから魚が好きで。大学時代はスキューバダイビングにのめり込んで、魚にどっぷりハマっていました。同時に、お笑いをやりたくて、お笑いサークルにも入っていました。コントとか一発ギャグをやっていたんですけど、ひたすら「すべって」いました。そのときダイビングサークルの飲み会があって、魚の名前で替え歌にするというのを披露したら反応が良かったので、だんだん魚に特化した芸になっていったんです。

ーー芸人になろうと決めたのはいつですか?

ハットリ:高校生のときですね。「3年生を送る会」で全校生徒の前で芸をやったらウケたんです。マンモス校だったので、すごい数の人が笑って体育館が揺れるぐらいになって。その感覚が忘れられなくなったんですね。

ただ、両親にそれとなく話したら猛反対されたので、早稲田大学の教育学部に入って、「教員になる」と言っていました。大学に入ってからも、内心はお笑いをやる気満々でしたけど。だから「教員の採用試験はどうなの?」と親に聞かれたタイミングで「本当はお笑いをやりたい」と話したときは、すごくショックを受けたようでしたね。

それから長いあいだ両親を不安にさせてきたので、今回、本を出せることがうれしいですね。父親がかたい職業に就いていて(九州大学名誉教授の歴史学者・服部英雄氏)、今回の図鑑と同じように、KADOKAWAから本を出しているということもあって。

ーーお父さんも認めてくれるようになった?

ハットリ:「お前を釣りに連れていったのは間違いだった」って、ずっと言っていますけどね。芸人になろうと東京の四畳半の部屋でひとり暮らしをしていたとき、部屋に「 絶対に売れる」と書いた紙を貼っていたんです。父親は部屋に遊びに来るたび「る」にバツをつけて「売れない」に書き換えるんですよ。僕はまたそれを貼り直して。いたちごっこでした。でも、もう「芸人をやめろ」とは言わなくなりました。本を出すことも、両親ともにすごく喜んでくれていると思います。

(C)さかな芸人ハットリ/KADOKAWA
(C)さかな芸人ハットリ/KADOKAWA

ーーさまざまなチャレンジ企画は、どのように生まれたのでしょうか。 

ハットリ:ライブとバイトを繰り返す「下積み」時代に、限界を感じたことがあったんです。最初に入った事務所を辞めて、次の事務所を探しても拾ってもらえなくて、芸人を辞めようかと考えたとき、最後にひとつ、ほかの芸人ができないことをやろうと思ったんです。路上ライブを1カ月間やるというのを始めたら、ブログで注目されるようになって。そこからいろんな企画をやっていくなかで出てきたのが、「釣った魚しか食べない」でした。

ーー実際にやってみて、あらためてわかったことは?

ハットリ:旅をしながらの釣りだったので、人とのつながりがたくさんできましたね。岩手県の大船渡市に、「キャッセン大船渡」っていう震災後にできた商業施設があるんです。その近くで釣りをしたとき、人目につくところで荷物を広げるのはどうかなと思って、大きな橋の下で準備をしたんです。そうしたら、「橋の下に住もうとしている人がいる」と施設の人が思ったらしくて、話しかけてきたんです。

「これこれこういう理由で芸人をやっていまして」という話をしたら、わかってくださって。準備が終わって出ようとしたら、また同じ人がやってきて「今、Youtubeで観ました。1週間後に施設の1周年イベントがあるので出ませんか?」と。通報されそうなところから仕事が決まるというレアな体験をしました。それ以来、「キャッセン大船渡」からは、毎年のようにイベントに呼んでもらっています。

ーーハットリさんは、魚のどんなところに魅力を感じていますか。 

ハットリ:自分が一番「ハイ」になるのは魚のイラストを描いているときですね。小さいころからずっと描いてきましたし、生き物としてのフォルムが好きなんだと思います。ひれフェチですね。「開いたひれ」がいいなと思います。

今回の本でいうと「カサゴとウッカリカサゴの見分け方」のページがあるんですけど、ひれが違うから見分けられるんですね。カサゴとかメバルの胸びれって、開くと放射線状に綺麗に広がって、とても美しいんですよね。

『日本一魚好きな芸人の魚図鑑』より(C)さかな芸人ハットリ/KADOKAWA
『日本一魚好きな芸人の魚図鑑』より(C)さかな芸人ハットリ/KADOKAWA

ーー魚を食べることも好きなんですよね。

ハットリ:もちろん大好きです! ただ正直……ここだけの話、チャレンジのために何カ月も魚ばかり食べていると、その反動でチャレンジ後はすっっごくお肉を食べちゃいますね(笑)

美味しい魚はもちろんなんですけれども、すごい味、言ってしまえば美味しくない魚に出会うと、それはそれで感動があります。最近、「深海生物を200種類食べる」という企画をやって、その「しめ」としてミズウオいう深海魚を食べたんです。見た目がかっこいい魚なのでファンが多いんですけれど、まずいということでも有名で。身がブニブニしていて、煮ると水みたいになっちゃうからミズウオというんです。

今回初めてそれを食べて。僕は魚のおかげで生業(なりわい)ができているから、 魚のことを悪く言いたくないんです。魚の魅力を伝えたいから。でもミズウオは本当にまずかったですね。干して焼いたものは、噛むと海水がしみ出して、小骨の多いホルモンみたいな感じでした。人生で食べた魚のなかで上位に入る、いや、トップのまずさでした。

ーー今回、チャレンジを本にするにあたって、なぜ「図鑑」というかたちにしたのでしょうか。

ハットリ:小さいころから図鑑が好きだったんですよ。家には恐竜図鑑、昆虫図鑑、星座の図鑑とか図鑑がいっぱいあって、好きだったんです。誕生日にも「図鑑を買ってほしい」と言っていたくらいでした。

もうひとつ、自分のなかで大事にしていることがありまして。「子供のころの自分が笑える芸人でいるか?」と。10歳の自分が喜ぶものを作れているかというのを意識しているところがあるんです。だから「図鑑」だったんです。

魚へのリスペクトは『もののけ姫』が教えてくれた

ーー事務所に入らず、個人で活動を続けてきたのはなぜですか?

ハットリ:ピン芸人であることも、個人事業主であることもそうですけど、結局は自分次第ですよね。「生きているな」っていう感じがするんですよね。組織的なことがあまり得意ではないのかもしれないですね。

もちろんいろんな人に支えてもらっているので、そこは感謝しています。ひとりでやっているからこそ出会いが密接になったり、力を貸してくれる人を呼び寄せたりする気がします。

事務所に入りたいけど入れなくて悩んだ時期もあったんです。ただ、悩んだ末に「個人事務所ハットリ水産」という名前が浮かんだとき、なんか自分自身にワクワクしたんですよね。いろんなことができるかもしれないって。

ーー学生時代から「就職しよう」と考えたこともなかったということでしょうか。

ハットリ:ありません。教員になろうかと悩んでたことはありましたけど。「R-1ぐらんぷり(現・R-1グランプリ)」に出て、「1回戦を突破できたら芸人になろう、無理なら諦めよう」と思ったんです。そしたら1回戦だけ突破しちゃったんです。そこから10年以上やっています。

大学時代の友達に会うと、会社員をやっていて、結婚して子供がいる人が多いんですね。でも、彼らもお笑いサークルの仲間だったので、お笑いにちょっと未練がある人もいて。お互いに、やりたいことか安定か、どちらかを犠牲にしている感じですよね。

そのとき、「もう一度人生をやり直せるなら」という話をしたこともあるんですけども、僕はもう一度やり直すとしても会社員という選択肢はなくて。芸人だったり、絵描きだったり、歌ったり。今やっていることに近いことをやる気がしますね。

ーーハットリさんの物の見方や考え方の根底にあるものはなんですか?

ハットリ:昨年『もののけ姫』が映画館で再上映されたので、観に行ったんです。あらためてスクリーンで観て、すごいなぁと感動して。弟も好きな映画なので「観た?」「当たり前じゃん」といったやりとりをLINEでしているとき、弟が「さかな芸人のルーツは『もののけ姫』なんじゃないか」って送ってきたんです。それはそうかもって思いました。

自然というものに対して、どこか畏(おそ)れがあるというか。自然は征服するものではなく、畏敬の念をもって接しなければならない。それを忘れたらしっぺ返しをくらうよ、ということをジブリは描いているのかなと思っているんです。

僕は釣りをするときも「釣ってやったぜ!」という気持ちにはならないんです。魚へのリスペクトが強いので。釣れてくれてありがとう、ごめんなさいという気持ちを忘れちゃだめだなと思っています。

ーーちなみに、魚以外の趣味はありますか?

ハットリ:困ったことに、趣味として捉えていたものを全部仕事にしてしまったんです。小さいころから生き物が好きで、先生みたいなものに憧れがあって。絵を描くことが好きで漫画家にも憧れましたし、高校時代はBUMP OF CHICKENにすごくハマって、バンドがいいなって思った時期もありました。歌って、絵を描いて、生き物を教える。どれもプロにはなれなかったんですけど、全部集めたのが今の芸風なんです。

ーー子供のころからの憧れが、今のハットリさんを作り上げているということですね。

ハットリ:よく「変わらないね」って言われます。おばあちゃんが亡くなったとき、遺品整理をしていたら、僕が子供のころに描いた魚とか恐竜の絵が出てきたんです。ずっと持っていてくれたんですね。僕は嬉しかったんですけど、母親はあきたれたように「あんたはやっていることが変わらないんだね」って言っていましたね。僕も変わってないと思います。

ーーだから「10歳の自分が笑えるか」というのが重要なんですね。

ハットリ:ネットで話題にならなきゃっていうのもありますけど、子供のころの自分が好きだろうなっていうネタを作ってるときは、気持ちが乗るんですよね。楽しいんです。たぶん、ずっとこうなんだろうなって思います。

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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