「目撃すれば幸せになれる」とウワサが広がる「自転車で文字を売る男」

「自転車に乗って文字を売る仕事なんて、日本でやっているのは、きっと僕ひとりでしょうね」

自転車の荷台に「文字」を乗せて行商する染井大さん(46)は、そう言います。

いま奈良で「目撃すればラッキー」「見つけるとハッピーになれる」とウワサになっている、1台の自転車があります。それが、染井さんが運転する移動販売用自転車。“縁起文字”の店「〇や(まるや)」のカーゴバイクです。

おそらく日本でたったひとりの「文字の移動販売」

「文字の移動販売」という、おそらく日本でたったひとりのこの業態は、2016年11月からスタート。いまや奈良の新名物となっているようです。取材しながらの移動中も「お兄ちゃん、探してたんです!」「今日は何を売ってるんですか?」と、あちこちから声がかかります。

「ありがたいことに、この頃は観光のお客さんから声をかけてもらえるようになりました。『いた! 縁起のいい人だっ!』って駆け寄ってきて、『ストラップに“玉の輿”って書いてください』とかね」

謎の男は再評価される「ならまち」に現れる

“文字を売る店”と遭遇できる場所は「ならまち」。ならまちとは「近鉄奈良」駅から南へさがった、世界遺産・元興寺の旧境内を中心とする閑静なエリアです。江戸の末期から明治にかけて造られた町家がいまなお建ち並び、しっとりとした情緒をたたえているのです。

そしてこの「ならまち」は、染井さんが生まれ育った場所なのです。

「“ならまち”と呼ばれだしたのは、ここ2、30年ほど。それまでは『旧市街』と、そっけない呼ばれ方をしていました」

観光地として注目されていなかったがために古い町家が温存された、ならまち。いま再評価のスポットライトが当たりはじめています。

寄席文字の書家である母の想いを乗せて

そんな風情ある「ならまち」で染井さんが販売するのが、江戸時代に生まれた「寄席文字」。寄席文字は人気テレビ番組「笑点」でもおなじみ、噺家や興行名を表す独特な書体です。染井さんはこの寄席文字を雑貨に加工しているのです。タイムスリップしたかのような、古き良きならまちの景色にぴったり。

「寄席文字って『縁起文字』とも呼ばれているんです。文字が右上がりでしょう。右肩上がりなところが『縁起がいい』『おめでたい』と」

荷台にディスプレイされているのは、ポチ袋、ステッカー、絵馬、冷蔵庫に貼れるマグネットなどなど日用雑貨。「商売繁盛」「吉兆」など福々しい言葉が並んでいます。

これらの文字をおもに書いているのは、寄席文字の現役書家、橘右佐喜(たちばな うさぎ)さん。染井さんのお母さんです。

「母には以前から『寄席文字をもっと一般に普及させたい』『暮らしに溶けこませたい』といった夢がありました。寄席文字は落語や演芸が好きな人は知ってくれている。けれども、関心がない人の眼に触れないでしょう。『そうだ! 母のライフワークである寄席文字を雑貨にして、僕が自転車で売りまわろう。寄席文字を知ってもらえる機会になるんじゃないか』、そう考えたんです」

母の想いを広く伝えるために息子が立ち上がる、これは美談。いや、でもですよ、だからと言って自転車に乗せて販売するとは。母の橘右佐喜さんは息子の前代未聞のネオ屋台を、どのように思ったのでしょう。

「うちの教育方針は変わっていましてね。母から『人さん(他人様)がやっていることを同じようにしても仕方がない』と教わりました。なので文字の移動販売を『おもろいやん』って賛成してくれたんです。それどころか母は『私、こんなん好きやねん』って書き下ろしまでしてくれてね。母が直筆した商品もあるんです。手書きなので、ちょっとずつ字の表情が違います」

ポチ袋には「ちょっとだけ」など、既存の寄席文字フォントではなく、名人が書いた世界で一つのオリジナル。匠の「書」をこんなアウトドアで買えるなんて、これは贅沢。

コロナに感染した息子のために縁起文字を送ってあげたい

縁起のよさは屋号「〇や(まるや)」にも表れています。

「自転車の車輪が丸いので『まるや』。ほっこりした語感ですしね。それに丸は円(えん)とも言います。円には切れ目がない。『えんが切れない』→『縁が切れない』で、縁起がいいような気がしますし」

落語「寿限無」さながらの縁起尽くし。そのおかげか、こんな心が温まるふれあいも。

「海外にいる息子さんが新型コロナに感染してしまい、助けに行ってあげられない。お母さん、泣いていました。そんな息子さんへ送る荷物に『縁起文字を添えてあげたい』って。ほかにも『来週、手術をするから、お守りとして持っておきたい』という女の子もいて。そういうお客さんと出会うと、僕自身も励まされる。救われます。出会いって宝物やなって思いますね」

ゆったりと時を刻むならまちの街並みにマッチする、ハートウオーミングな逸話です。

謎の男は神出鬼没「何時にどこにいるのか自分でもわからない」

もう一つ、染井さんが注目される理由があります。それは「神出鬼没」。営業時間や定休日、移動コースなど、いっさいの決まりがない。事前告知もなし。それゆえに、必ずしも会えるわけではないのです。

「気まぐれです。その日のスケジュールは、なんにも決めない。何時にどこにいるのか、自分でもわからない。自転車で走りながら、次の筋を右へ行くか左へ曲がるのかすら決めていないくらい。『今日はなんとなく気分がノらへんな』と感じたら、休みますしね。縁起文字なんで、いやいやながら辛気くさい顔して自転車に乗っていても、やる気のなさがお客さんに伝わりますから。自由。本当に自由です」

ならまちへ行けば必ず会えるわけではない、ミステリアスで幻のような存在。「見つければ幸せになれる」という情報が、まことしやかに広まっていった背景がそこにあります。

寿司職人を極めるはずが、店が閉店

いまや「移動する観光スポット」として知られ、発見すれば追いかけてくる人までいる染井さんの自転車。しかしながら、風景に溶け込める存在になるまでには、決して平たんではない道のりがありました。

染井さんが生まれ故郷の奈良へ戻ってきたのが2016年。いまから5年前。それまで長きにわたり、静岡の南伊豆で寿司職人をやっていたのです。

「親戚が経営している寿司屋で修行をし、本腰を入れるために住民票も静岡へ移していました。しかし経営陣が70代の高齢者となり、店を閉めることとなったんです」

海沿いの街から海なし県の奈良へと戻った染井さん。生まれた街で寿司職人として再起をはかろうとしましたが、物件探しのために自転車でならまちを巡るうち、考え方に変化が生まれたのだそう。

「外へ出たくなったんです。もともと“おひぃさん”(太陽光)を浴びるのが好きなんです。それで、再び厨房にこもりきるのは『違うんじゃないか』と感じて。そこで閃いたのが、移動販売でした」

移動販売用の自転車は、山梨に工房を構える職人にオーダー。初期費用は約20万円。

「原価に近い料金だと思います。海外からの輸入だったり、他の自転車メーカーに制作を依頼したりしていたら、きっと50万円を超えていたでしょう。自転車をつくってくれた人が言うには『大きな企業から制作を依頼されても断る。けれども一から起業したい、面白いことがしたいと考えている人には安価でつくってあげたい』と。そういう技術者さんだったんです」

そうして、おしゃれかつガッツリ運搬可能な自転車が完成。ところが開業を考えたテイクアウトの飲食店は「保健所の許可がおりず」断念。発想は「文字を売る」へと飛躍していったのです。

文字の販売は「まったく理解されなかった」

故郷で復活を果たすべくペダルを漕ぎはじめた染井さん。しかし……そう簡単にはいきませんでした。

「考えが甘かった。ぜんっぜんっ、売れませんでした。特に始めの2か月間は、僕がなにをしているのかすら理解されませんでしたね。無理もないです。たとえば僕が荷台に花を積んでいれば『お花屋さんなんだな』とわかってもらえるでしょう。クッキーだったら洋菓子屋さん、というふうに。けれども扱う商品は文字ですからね。観光のお客さんからは『なんじゃ、こいつは』と怪訝そうな目で見られるだけでした」

染井さんが当初にたてた売り上げ目標は1日に5000円。ところが始めてみれば、誰も見向きもしない惨状。奈良が誇るビッグイベント「正倉院展」が開催され人の波が押し寄せるシーズンでさえ、2時間も声をからして「一つも売れない」ありさま。

「心が折れました。売り上げゼロの日なんて、しょっちゅう。雪がちらついている日に誰からも振り向かれないと、本気で落ちこむんです。8時間、自転車を走らせて、買っていただけるのは500円の商品が一つ。1月2月の寒い日など身体が芯から冷え切って『自分はいったい、なにをしているんだろう』と我に返る場合もありました。毎日、友達にLINEで『もうあかん』『えらいことを始めてしもうた』と泣き言を書いて送っていましたね」

往時の出来事は「正直、ツラすぎて記憶があまりない」のだそう。現在のように、観光客が染井さんを見つけるためにならまちを周遊したり、わざわざ駆け寄ってくる人が現れたりする現象は、ずいぶん月日が経ってから起きたこと。

「大仏と鹿だけが奈良じゃない」

苦しい日を乗り越えて、今日まで続けられた秘訣は、いったいなんでしょう。

「続けてこれた理由……なんでしょうね。ならまちの人たちが温かく受け容れてくれたからかな。いくら生まれ育った地元だと言っても、長く留守にしましたから。そんな男がヘンな自転車でいきなり街なかを走り出せば『きっと白い眼で見られるだろう』と内心びくびくしていたんです。けれども、地元のおばあちゃんが『がんばれ、がんばれ』って手を叩きながら応援してくれる。初めはむすっと仁王立ちしていたおじいさんも、こちらが挨拶するにしたがって次第に『ようやってるな』と声をかけてくださって。異物という目で見られなくなっていったんです」

街のおばさんたちと世間話をしていると「自分の居場所はここにあるんだ」と感じられるようになってきたと語る染井さん。改めて、ならまちへの想いを強くした様子。

「奈良のイメージって、やっぱり『大仏と鹿』なんです。ならまちは奥へ進むほどに街並みに味がある。楽しい雑貨屋さんや、おいしいお店もある。けれども残念ながら閑散としています。人っこひとり歩いていない場合もある。東大寺の大仏殿から徒歩10分で来れる距離なんですが、観光のお客さんが100人いれば、ならまちまで立ち寄ってくれる人は2、3人です。

こんなに減るっていうのが悔しい。『奈良は大仏と鹿だけじゃないよ』って知ってほしくてやっている部分もあります。僕を探す目的でならまちを訪れる人が、ぐるぐる巡っているうちに『いいお店があるんだな』『こんな路地があるんだ』って発見してくれたら嬉しいです」

自分を育ててくれたならまちに少しでも貢献できれば嬉しい、染井さんはそう言います。ここで訊きにくい質問をしなければなりません。ユニークすぎる文字の移動販売で、果たして食べていけるのでしょうか。

「もちろん、この仕事だけでは食べていけません。夜は友人が営んでいる飲食店で魚をさばいています。僕が奈良へ帰ってきたとき、彼も自分の店を開きたいと考えていたんです。僕は寿司屋に長くいましたので『だったら魚の下ごしらえを担当しようか』と。僕は経済的に助かるし、彼はメニューのバリエーションを増やせる。ちょうどいい具合に丸く収まって」

たったひとり、自転車一台で「文字雑貨」の店を開いた染井さん。彼を見ていると、何事もしぶとくこつこつと続けてゆくことの大切さを改めて感じます。

目撃すると本当にラッキーな出来事が起きるかどうかはわかりません。けれども、自転車を漕ぎ続ける彼の姿に元気をもらえるのでは。もしも奈良を訪れたならば、大仏と鹿だけではない、自転車に乗った名物男がいることを思いだしてください。

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