自傷の誘惑に苦しんだ元グラビアアイドルが、人形作家として再起するまで

大阪在住のモデル、遠山涼音(とおやま・すずね)さん、29歳。十代の頃はグラビアアイドルでした。彼女はいま、ひとりの人形作家として注目されています。

石粉粘土でできたヒトガタたち。彼女がつくる人形は、見る人の心の状態によって、表情を変えます。冷たく無機質に感じる人もいるでしょう。戦慄の光景を目撃してショックで言葉を奪われた顔つきに見える人もいるのでは。反対に、温かみをおぼえる人もいるかもしれません。

「よく『この人形のテーマは?』と訊かれます。けれども、テーマを言葉で説明できたならば、私は人形をつくらなかったでしょう。これまでずっと、自分の気持ちを言葉で説明できない生き方をしてきたから……」

遠山さんは現在、精神科医から「統合失調症」と診断されています。そして、さまざまなサポートを受けながら、症状の緩和へ向けて努力しています。

彼女はこれまで自傷の誘惑と闘い、摂食障害に苦しんできました。幻聴におびえ、ついにはビルの窓から誤って落下し、大けがをしたのです。

現在はリハビリのすえに杖をついて歩けるまでに回復した遠山さん。2020年11月1日(日)から開催する、およそ20体を展示した個展「生前葬」の準備にいそしむ彼女に、自分自身と向き合ってきた日々について、お話をうかがいました。

リストカットを繰り返した少女時代

大阪の長居で生まれ育った遠山さん。少女時代から「人見知りで、暗かった」と振り返ります。

「中学校では、いつもひとり。クラスの女子グループが『今度はあの子を無視ね』と言いあっている姿を見ると、『次は私が無視される番だ……』と想像してしまって、恐くて仲間に入れないんです。なので中学時代は勉強しかしませんでした。起きて、勉強して、眠る。それだけ。だから成績はよかったんです。ひとりぼっちでいても勉強をして成績があがりさえすれば褒められるので、中学時代がもっとも生きるのがラクな時期だったかもしれないですね」

「中学時代がもっとも生きるのがラクだった」。そう回顧する遠山さん。しかし、希死念慮(きしねんりょ)にさいなまれだしたのは、中学生の頃からでした。

「死にたい願望、人生を終わらせたい願望がとても強く、リストカットを繰り返していました。傷口がバカッと開き、一度に20針くらい縫いました。現在もそうなんですが、私は“生まれ変わり”をまったく信じてないんです。『死んだら終われる。消えてなくなれるんだ』って考えていたから、パソコンの電源を落とす感覚で気軽にリスカをやってしまっていました」

リストカットをした部分を見せてもらいました。手首からヒジにかけて、傷だらけ。二の腕は楽器のギロのように何本も深い溝ができています。これは彼女が生き抜いた証し。生々しい歴戦の痕(あと)です。

女性の身体に魅せられ、グラビアアイドルに憧れた

そんな遠山さんが人形に関心をいだいたのは、さかのぼること小学生の頃。

「近所のゴミ捨て場に大量の日本人形が捨てられていたんです。人形はどれも女の人。それをぜんぶ拾ってきて、勉強机にずらーっと並べていました」

リカちゃん人形のように、捨てられていた日本人形をかわいがる毎日。中学校へ進むと、人形を通じてアートに関心を寄せるようになり、女性の身体に、さらに魅せられてゆきました。

「昔の画家って、愛する女性のヌードを描くじゃないですか。それを観て、とても美しいと感じたんです。その後、中学校の先生が進路相談の際に『普通科だとクラスメイトと合わなくて、しんどいかもしれないよ』と美術系高校への進学を勧めてくれたんです。それで絵を学べる学校へ通うようになりました」

アートを勉強できる高校へ通学しはじめた遠山さん。ここでの授業は、女体への関心をいっそう深めるきっかけとなったのだそう。

「授業で裸のモデルさんをデッサンするんですが、感動したんです。『女性の身体って、なんてきれいなんだろう』と。それから女の人へどんどん惹かれはじめ、グラビアアイドルの写真集を買いだしたんです。特に松本さゆきさん、仲村みうさんには、どハマりしました」

松本さゆき、仲村みうなどグラビアアイドルの写真集のページを開くたび、神々しいボディラインをまぶしく感じ、ため息をつく遠山さん。次第に、自分自身が「グラビアアイドルになりたい」と夢見るように。

「グラビアアイドルになったら、グラビアアイドルに会える。一緒に仕事ができる。そう思ったんです。きれいな女性と間近で接するためには、自分がグラビアアイドルになるしかないって。ただ、当時はぽっちゃりしていて、容姿に自信がありません。憧れる反面、あきらめる気持ちもありました」

現在と違い、肉付きがよい体型だった遠山さん。素顔にも劣等感があり、希望に輝く「アイドルの世界」へ、どうしても踏みだせません。ところが……。

「バイト先で『顔はいいが、接客がダメだ』と言われてクビになったんです。普通だったら落ち込むでしょう。けれども、『顔はいいんだ!』って、むしろ喜んでしまって。私って思い立ったら突拍子もない行動をしだすので、そのまま水着の撮影会をする事務所に応募したんです」

17歳で東京の芸能事務所へ応募し、ついに目標とするグラビアアイドルへ。仕事で大阪と東京を往復するうちにファンが増えはじめ、電子で写真集を発売するほどの人気を獲得します。

グラビアアイドル期

容姿のコンプレックスが激しくなり過食と嘔吐の日々

気になるのはリストカットの傷。水着が必至のグラビアアイドル。どのような措置をとったのでしょう。

「傷口は特殊メイク用のコンシーラーを塗って隠していました。あと、画像を修正してもらって。写真集を見たら腕の傷が消えていて、修正の技術がすごいなって感心しました。とはいえ、グラビアアイドル時代もリストカットをやめられませんでした」

恋焦がれたアイドルになれたのに、自傷行為を止められない。実は彼女がアイドルの世界で見た景色は、決して望んでいた花園ではありませんでした。

「もともと容姿に自信がないうえに、まわりはきれいで細くてかわいい子ばかり。コンプレックスがひどくなっていきました。それにオーディションに落ちるたびに自分の存在を全否定された気がして、ずどんと落ち込むんです。『私は世の中に必要とされていない』と。だんだん精神のバランスが崩れてきて、痩せたいのに食べてしまう。食べすぎては吐く。過食と嘔吐を繰り返していました。下剤も乱用していましたね」

遠山さんは摂食障害の過食期に入り、苦しんでいました。

19歳の頃に撮影した、現在も発売されている幾冊かの電子写真集には「93センチHカップ巨乳女学生の涼音ちゃん。ミニスカから立派な太腿がムッチリ! たわわに実るオッパイは、まさに美巨乳!!」「ピンクのブルマ姿では、迫力のお尻がはちきれそう! スク水は、テカテカのピタピタに大興奮!」と煽情的なコピーが並んでいます。

欲情をかきたてる言葉の向こう側から、心と身体の均衡が保てなくなった彼女の、SOSの叫びが聴こえてくるようです。

アイドルの世界に疲れた遠山さん。同時期に彼女は「球体関節人形」(関節部が球体によって形成された人形)の草分け的存在、吉田良の存在を知ります。怪しくも耽美な人形に魅了された彼女は、「そういえば自分は人形が好きだった」と幼少期を回想。独学で人形の制作をはじめました。

「南海地震がくる」妄想に襲われ、恐怖で電車に乗れない

遠山さんは20歳前後で事務所の倒産とともにアイドルを引退。一般事務へ転職します。二十代で会社員となった彼女は、次第に幻覚や妄想に悩まされるようになりました。妄想と現実の区別がつかず、虚実の境界をさまよいはじめるのです。

「あの頃は『南海地震がくる』としきりに噂されていました。そのため、津波に飲み込まれて溺れたり、崩れた建物の下敷きになって死んでしまったりするイメージが頭にガッと『入ってくる』感じになってきたんです。街を歩いていても、眼の前のビルが崩壊したり、天井が落ちてきたりする映像がはっきり見える。『この電車に乗ったら脱線する』という未来が頭に浮かんで、電車に乗れなくなった日もありました。『逃げて! みんな死んじゃうんだよ!』と訴えても、誰も信じない。それが私には不思議だったんです。自分では妄想だと気がついていないから、『私は真実を話ししているのに、なんで?』って」

「死ね!」という幻聴に追い詰められ、ビルの窓から飛び降りた

「もしかして、この壊滅した都市は自分にしか見えていないのでは?」。そう気がついた遠山さんは精神科に通院。はじめは「強迫性障害」と診断されました。しかし、処方される薬を飲んでも、いっこうに妄想は消えません。さらに病状は重くなり、「明瞭に大きなボリュームで聴こえる」幻聴に攻めたてられるようになるのです。

「会社で、ひとりで残業していたんです。誰もいないはずのオフィスにいたのに、激しい怒鳴り声や絶叫が聴こえてきて。さらにはっきり『死ね!』と罵倒されました。死ね! 死ね! という声に窓際まで追い詰められ、声から逃れるためにオフィスがあった3階の窓から落ちてしまったんです」

それは遠山さん23歳、1月のこと。

「踵(かかと)でドーンと着地したため、骨が肉を突き破って飛び出ました。そして、骨盤を粉砕骨折しました。20ヵ所以上、折れていたそうです。その瞬間から4日間、意識不明の重体だったので事故当日の様子は実は記憶がないのです。けれども、骨盤がぽきぽきぽきぽき、ばりーんと音がして割れたのはかすかに憶えています。それから転院を4回、手術を3回。砕けた骨をボルトで締め、5ヵ月を経て退院しました。退院したあともまだ骨盤のなかにプレートを入れている状態でしたね(現在はプレート位置がずれてきたため抜き取っている)」

手術後のレントゲン写真

落下当初は「歩くのはもちろん無理。起き上がるための神経が切れているようなので車椅子も難しい」とみられていました。

たまたま誰も下を通っていなかったのが不幸中の幸い。とはいえ、不注意ゆえの事故ではもう済ませられない段階に来ていたのも事実です。

「人形をつくっている時間は不安が消える」。やっと訪れた平穏な毎日

遠山さんは懸命なリハビリの末、杖をつけば歩けるまでに奇跡的に回復。さらに彼女は精神科も転院。そこで彼女は統合失調症であると告げられ、症状の消失を目指す治療がスタートしました。現在は「死にたい願望や幻聴、妄想はかなり減少した」、そう語ります。

入院中の遠山さん

「一年ほど前、28歳のときに造形作家の彼と結婚をしました。自傷に及ぶような発作が出るとダンナ(遠山さんはそう呼びます)が私に頓服薬を飲ませ、おさまるまで寝ちゃう。そうして次第に平穏な日々となりました。ダンナは私と同じく集団に属せないタイプの人で、私が死に近い生き方をしていると理解してくれています。お互いが気持ちを尊重しあい、夫婦ではあるけれど、ひとりとひとり。そんな関係なんです」

現在、遠山さんはモデルと事務の仕事に就きながら、人形制作に打ち込んでいます。人形づくりは、心を鎮めたり癒やしたりする効果があったのでしょうか。

「う~ん、どうでしょう……。ただ、人形をつくっていないと不安なんです。いまでもネットで自分の悪口を見つけると、ヤバいですね。被害妄想がウワーッと襲ってきて、追い詰められる。人形をつくっているあいだは、マイナスなイメージを忘れられるんです。そういう点では、人形のおかげで精神が安定しているのかな」

遠山さんは「手が動くままに人形をつくっていたら、この頃じょじょに等身大サイズに近くなってきた」と言います。

彼女がつくる人形は、これまで伝えたくても伝えられなかった、文字にできないもどかしい感情をかたちにしたものなのではないか、そんな気がしました。人形という表現で、自分なりの伝え方を、やっと見つけたのでは。

画像提供:遠山涼音

取材協力:奇貨屋 白昼夢、金魚カフェ

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吉村智樹 (よしむら・ともき)

フリーランスのカメライター。1965年生まれ。京都市在住。宝島社から関西版「VOW」三部作を上梓。近著「恐怖電視台」(竹書房)、「ジワジワ来る関西」(扶桑社)。カメラと脚立を押し込んだキャリーバッグを転がし、カプセルホテルに泊まりながら西日本を取材して歩く日々。

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