「意識が戻るときに見る光の世界を描きたい」アーティストGOMAの紡ぐ世界(後編)

オーストラリア先住民族に伝わる楽器「デジュリドゥ」のプロ奏者・GOMAさんは、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍している最中、自動車事故で脳に障害を負いました。

日常生活もままならない状態に苦悶し続けたというGOMAさんですが、自らに鞭打って復帰を果たします。

復帰後も苦闘を続けたGOMAさんの大きな転機となったのは、事故で変わってしまった自分との「闘い」をやめ、自分と「共存して生きていく道」を選んだときだといいます。現在は画家としても活躍するGOMAさんが、事故後の話を詳しく語りました。

※GOMAさんがデジュリドゥ奏者となった経緯については、前編の記事をご覧ください。

絶頂期の自動車事故で、記憶をなくす

ーーデジュリドゥ奏者として世界を飛び回っていた2009年、大きな自動車事故に遭ったわけですが、そのときのことを思い出せる範囲で教えていただけますか。

首都高(首都高速道路)で追突されたんですけど、気が付いたら病院だったから、未だに事故のことは思い出せないんですよ。覚えてるのは「何があったか分かってますか」みたいなのを病院の人というか、看護師さんに言われてる景色くらいですかね。

そのときはもう、目が開くと激痛という世界だった。とにかくその事故の前後の記憶が全然ないんです。映像作品を作っていたときで、ビクターのスタジオに行った帰りに高速に乗って、それで事故にあったというのは友達から聞いてわかっているんですけど。

ーーその事故によって、自分自身のことも、そしてデジュリドゥのことも分からなくなったと聞いています。

はい。デジュリドゥもまったく吹けなかったです。身体的に最初は麻痺もあったから実務的に無理だったんですが、楽器をやってたということ自体を忘れちゃってた。完全に脳がぶっとんでた感じですね。意識が戻った最初のころ、自分は10代くらいの感覚だったみたいですね。

ーー体が徐々に回復して、デジュリドゥを吹いたときのことを覚えてますか?

僕自身はあんま覚えてないんです。ただ、お医者さんからずっと言われてたのが「体の記憶が残ってるはずだからリハビリがんばれ」と。医学用語で「手続記憶」と言って、無意識レベルまで刷り込まれているような記憶のことをそう呼ぶそうです。

たとえば(日本人の)僕らやったら、しゃべりながら、テレビ見ながら、お箸でちっちゃい豆つまんで話したりもできるけど、お箸の文化圏じゃない人にそれやれって言ってもできないじゃないですか。僕らはちっちゃい頃からずっとやってるから無意識のレベルでできますよね。それくらいのレベルまで刷り込まれてる記憶のことをいうんです。

体が覚えていたデジュリドゥ

脳で覚えてる記憶と、体に残ってる記憶は違うらしい。

それで「昔からずっとやってるようなことは体に記憶が残ってるはずだから、がんばって」と言われて、ある程度時間が経ったときに吹いてみたら、循環呼吸がまたすぐできたんです。ほんで音が出せるようになって。

そのときは指にも麻痺があったけど、(デジュリドゥは)指で押さえるところもないし手の動きもなんもいらなくて呼吸だけで吹けるから、それも良かったんですよ。リハビリにもなるし面白かったし、一個一個感覚を取り戻していって。

ただ、音を出すというのと新しく曲を作って覚えるっていう作業はまた違うから、新しい曲を作曲するのはハードルが高いかもしれないと言われていた。確かに昔やってた曲を思い出すのはできたけど、新しい曲を作って覚えてやるというところまでは9年かかりました。

それまでの間は、前に自分がやったやつを見て練習してスタジオ入って、バンドメンバーとやって、という感じ。前の自分を取り戻すというのが最初の大きな目標だったんです。

でもやっぱね、脳の傷だけは、元に戻るというのがないんです。手とか内臓は細胞が再生するんですけど、脳は細胞が再生するというのがない。失った感覚のところを、別のところがカバーするという風になってるらしい。

「自分の身体に謝った」

ーー前の自分を取り戻すのが目標だったと言われましたが、今はどんな感覚ですか? 以前の自分に戻ってきたなというのか、それとも全然別物になったという感じですか。

全然違うものになってますね。前の自分に戻るってのはね、やっぱり無理なんですよ。脳が1回壊れちゃうとすべての神経の回路が変わっちゃうから。新しい神経のシステムが10年で出来上がって、別の人間になってます。

最初はね、残ってた記憶が邪魔したんです。出来てたはずやのに出来ない自分がいて、麻痺とか言語とかにもハンデが出てたから。10年経って、出来ることと出来ないことがはっきりしてきたんですよ。

前に戻るっていうことに努力するよりかは、今ある体、精神の状態で出来るものを新たに作るのにエネルギーを使う方がいいな、というのに変わってきた。

それまでは「なんでそれができへんのや」って、自分を結構追い込んでたんですけどね。あるとき、自分の体にね、謝ったんですよ。変な話ですけど。

「事故の後も、出来へんのに今まで無理させたな」って、自分で自分の体に謝ったことがあってね。「もういいよ」みたいな風に考えたときに、そこからいろんなことが急に回復したりしたんです。不思議なんですけど、できなかったことができるようになったりしました。

ーーそこに至るまでにどういうことがあった?

僕の場合は、事故の後遺症で(脳の)傷のところから電気が発せられて、ぶったおれるってのがあったんです。脳痙攣。

事故から最初の3〜4年は、僕自身それに全く気がついてなかった。知らないうちにあざができてたり、体から血が出てたりしていたんですが、あるときでかい発作みたいなのがあって、家にいたときにぶったおれた。

そのときはちょうど家族がいて、救急車で運ばれたときに「こういうことは前にもあったはずだ」みたいなことをお医者さんから言われて。

僕、それまでひとりでぶったおれて、ひとりで起き上がってたんですよ。

3〜4年の間、ひとりのときにそれが起きてたから、誰も気がつかずに過ごしていて、そこではじめて気がついた。けど、もうそこ(いつ倒れるか分からないということ)に焦点を合わせて生活してたら何もできなくなってきて。こんな生活いややって思って、それを無視して生活して、体にプレッシャーかけてたんです。

リハビリもやりすぎるくらいやって、西洋医学も東洋医学もあらゆることを試した。でも頑張れば頑張るほど、自分にストレスがかかって悪循環でした。

治したいから頑張るのに、頑張り過ぎて脳にプレッシャーがかかって、脳の神経が切れるみたいな。ステージ上でも発作が出るようになっちゃって。

「闘い」から「共存」へ

そんときにもう無理だなってなって、すごい自分に謝ったんです。事故後の自分にすごい無理させてたって。もう自分は、闘うんじゃなくてこれと共存して生きていく道を取ろうと思った。

この得体の知れないエネルギーと共存して生きていくことを選んだときに、新しい世界が広がってきた。今の自分でしか作れない世界を生み出せるようになってきたんです。それが絵の世界だったりとかする。事故の前はまったく絵なんて描いてなかった。

ーー2019年には、詩人の谷川俊太郎さんと共同で、絵と詩の本「モナド」(講談社)を出版しました。描かれている点描画は「脳裏に浮かんだ映像をそのまま写している」と話していたのが印象的です。

そうです。点描画は、自分が意識が飛んでぶったおれて、また意識が戻るときに見る光の世界がモチーフになってるんです。倒れたときは毎回、こういう光をみて意識がこっちの世界に戻ってくるんです。

最初描き出したころの記憶がないから分かんないんだけど、後遺症で倒れて意識が戻って、というのを何十回も繰り返す中で、意識が戻るときは光の世界を抜けてきて体に戻って安定してくるぞ、というのがだんだん分かってきたんです。倒れて意識が戻って、ていうのを20回くらい繰り返したときに、毎回同じような景色が頭に焼きついてるぞ、と気がつきはじめた。光の絵のシリーズは、この意識が戻るときの通り道の景色を描いています。

脳裏に貼りつくイメージを写す

ーー点描画は、「描かずにはいられない」という衝動みたいなもので描くんですか。

衝動の方が強いかな。朝起きたら、なんか頭に貼り付いてるんですよ。

毎朝起きたらね、「はっ!」ってなるんです。あ、ちゃんとこの世界に自分は戻って来てるな、って。

僕ら、寝るときは寝ようと思って寝るけど、事故とか後遺症の発作のときって強引にあっちの世界に連れていかれる。そのときの得体の知れない恐怖っていうか不安っていうか、そういうのが毎朝起きたときにデジャブするみたいな感覚ですかね。

意識が戻るときに、自分が見る光の世界みたいなのが最近、毎朝デジャブする。その光の世界を描いて残したいなと思う。あっちの世界に連れてかれるときは一瞬で気づかないけど、意識が身体に戻り始めるときの通り道の景色は、なんとなく自分で観察していくつかの景色が認識できるようになったから、そこで描きたくなる。

それが僕にとっては、いまだにリハビリのひとつでもあるから。この世界に生きるための道具のひとつでもあるっていうか。絵を描くことが医療でもあるんです、僕にとって。

やらないと、どんどん記憶とかも混線してきてぐちゃぐちゃになってくる。やってると、普通にいろんなことがシンプルになってきて生活しやすくなる。毎日描いてます。

ーーデジュリドゥと点描画は、GOMAさんにとって意味合いが違いますか。

全然違う。というか、今まではすごく違ってた。デジュリドゥを吹くときは、事故前の昔の自分とすごい向き合って「よっしゃ、やるぞ」みたいな感じが強かった。戦っている感じですね。絵は事故の後に始まって、自分をほんとに癒すために描いてるから、見てくれる人にも癒しとかが広がっている感じ。

ただ、全部共存して生きようとなってから、そこらへんが最近はどんどんシンクロしてきた感はある。全部ひっくるめて今の自分があるかな、みたいな感じですね。

エネルギーの使い方として、昔の自分を取り戻すためっていうのは良くないなと。過去の自分、記憶の自分に生きるよりも「今の自分」にできることを最大限やるというところを生きないと、エネルギーが循環していかないなって感じました。

点描画を飾っている空間でデジュリドゥを演奏するのが、最近は気持ち良いなと思っていて。そういう空間を作れるようなこともやりたいなと思ってますね。

※インタビューは2021年におこなわれました

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むらまつまどか

大学卒業後、通信社での報道記者・英文記者を経て、南アフリカ大使館やオーストラリア大使館などで広報業務に携わる。時々、ヨガインストラクター。旅、お風呂、チョコレート、歌、恐竜などが自分の機嫌を取るキーワード。九州暮らしを機に、焼き物やコーヒーにも心惹かれている。

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