「結婚できないことを“不幸”には描きたくない」 漫画家・柘植文さんが『幸子、生きてます』に込めた思い

『幸子、生きてます』(c)柘植文/講談社

2008年から2016年まで漫画雑誌「Kiss」に連載された人気作『野田ともうします。』。NHKでもドラマ化され、「ちょっと変わった女子の生活」が話題となりました。記憶に残っている人も多いかもしれません。

作者は柘植文(つげ・あや)さん(45)。最新作の『幸子、生きてます』で作品の題材に選んだのは、33歳の独身女性の日常生活です。市役所に勤務し、愛のある結婚を夢見る主人公の金子幸子。婚活がなかなかうまくいかず、特筆すべき幸せな出来事もありません。しかし、その生活にはなんだか楽しそうなオーラが漂います。

これまでも「ちょっと変わった日常」を数多く描いてきた柘植さんに、本作の制作秘話や仕事への向き合い方などについて聞きました。

「ちょっと変わった人」も受け入れてくれる世界

ーー『幸子、生きてます』の構想のきっかけを教えていただけますか。

柘植:まず金子幸子という、地味な名前を思いついて、そこから「金も幸も子もない」という本作のキャッチフレーズを考えました。当初は、もっとストレートな愛の話にしたかったんですけど、性格上、少し手に余った感じで(笑)。そうして、恋愛を主軸にした作品とは少し違った、結婚に憧れる女性の日常を描く形になりました。

ーー設定のディテールは、どのように考えられたのですか。

柘植:できるだけ地味にしようと思いました。でも、生活には安定感がちょっとは欲しいかなと。幸子は地方公務員で、金持ちではないけど、けっして貧乏ではありません。欠陥住宅ですけど、マンションも購入していますから、世間一般的には恵まれているほうではありますよね。「愛を探す」ことを話の軸にしたかったので、ある程度余裕があったほうがいいかなと思いました。

33歳という年齢は、私が同じ年齢だった頃を考えて設定したところがあります。その頃は暗い感じというか、「自分はこれからどうなるのだろう」というぼんやりとした不安があったんです。すでに漫画家としてデビューしていたんですけど、仕事も充実しているのかどうか、よくわかりませんでしたし。

ーー本作には、特徴的な人物が多く登場します。例えば、ポスターの人物の鼻に「画びょう」を刺さずにはいられない男性は印象的ですね。

柘植:微妙な不快感と言いますか、「ここ以外はすごくいい人なんだけど」みたいな感じを出したかったんです。具体的な内容については、自分が経験したことも含まれてはいますが、日頃自分が思っていたことを膨らませていることが多いですね。基本的には日々における気づきを、作品に反映しています。

ーー柘植さんの作品の主軸になるのは、ちょっと変わった、いわゆる少数派の人ですね。

柘植:自分で言うのもなんですけど、私もそちら側と思っておりますので(笑)。自分を慰めることができるような世界を、漫画で表現したいと感じていたんです。『野田ともうします。』の時は、野田さんみたいな人に自分もなりたいとか、野田さんみたいな人を受け入れてくれる社会だったら楽しいだろう、と感じていました。

ーー「少数派を受け入れてくれる社会」は、作品からも感じられます。

柘植:そうですね。幸子自身は結婚に対する強い願望があるんですけど、周囲がそこまで強く「結婚しろ」と強制してくるわけでもない。むしろ周りの人はけっこう寛容で、優しい世界ですよね。現実は必ずしも優しいことばかりではないですけど、「漫画の中」くらいは、現実のギスギスした感じから主人公を解放してあげたいという思いがありました。いい男には全然巡り合えないけど、それでも楽しく生活している、というのを描きたかったんです。結婚できないことを不幸には描きたくありませんでした。

『幸子、生きてます』 作中の一コマ (c)柘植文/講談社

体と心の年齢のギャップ

ーー「結婚したい」という感情には、幸せな家庭を築きたいというより、ある種のステータスみたいなところもあると思います。

柘植:周りができているのに自分はできないとなると、なんか落ちこぼれみたいに感じてしまいますよね。子どもはいいものだよ、みたいな話をされると、「私は手に入れてない」みたいに。ただ私の場合は、類は友を呼ぶというのでしょうか。美大出身だったこともあって、変な友達が多かったんです。独身の人も珍しくないし、普通の仕事をしている友達が少なくて。わりと伸び伸び生きてきたので、逆に、世間一般の価値観がわからない感じもあります。

ーー柘植さんのコラム「おばさんと女子」では、40過ぎの自分はおばさんなのか、という問いがありました。

柘植:理想を言えば、若いとか若くないとか関係なく、自分の好きなように生きられればいいんですけど、周りの目をまったく気にせず生きてはいけないんですよね。おばさんはおばさんらしくしなくちゃ、とかは、やはり考えます。

ーー体と心の間にある、年齢のギャップですね。

柘植:私が小学生の頃、『ノストラダムスの大予言』(五島勉著)という本が大ブームになって、実家にもありました。1999年に人類が滅ぶということを、そこまで強く信じていたわけではないんですけど、その時の自分は27歳だな…くらいは考えました。それくらいだと結婚もしてるだろうし、そこで死んでもまあいいかな、みたいな感じでしたね。ただ、実際に年を重ねてみると、全然違いました。小学生の頃の20代は完成された大人のように思っていましたけど、結局私の思っていた「大人」にはならないんです。今は30代も過ぎ去り、45歳になりましたけど、自分の心の根っこは変わらないんだなと。ただ、それは残念なことじゃなくて、むしろそうしたギャップが面白いと思います。

仕事への向き合い方

漫画家・柘植文さんの作業机

ーー柘植さんは基本的に「ひとり」で仕事をすることが多いと思うんですけど、そうした仕事のスタイルについては、どう思われますか。

柘植:ひとりで仕事をするのは楽ですけど、話す人がいないことは、少し心の負担にはなります。漫画の仕事が軌道に乗るまではアルバイトをしていて、漫画一本になったのは30歳ごろです。アルバイトを辞めたことで外出の頻度が減り、基本的に家にこもるようになったことは大きな変化でした。

ーー柘植さんは過去作を拝読しても、日常におけるちょっとした気づきを大切にされているイメージがあります。

柘植:そうですね。ネタを探すような気持ちで生きると、いろいろと楽しいです。私は散歩が好きなんです。散歩をしていて、目にしたものや気になったものをどう面白くするかということは、よく考えます。そういう目線を意識すると、毎日が自然と面白くなりますね。

ーー最近、何か面白いエピソードはありましたか。

柘植:昨日、タイ料理屋さんでお昼を食べました。けっこうボリュームがあって、途中でお腹がいっぱいになり、デザートを残してしまいました。そうして会計をお願いしたら、タイ人の店長さんに、「食べないんですか?おいしいですよ」と重ねてお願いされたんです。けっこうデザート推しだったみたいなんですが、それでもすみません、ごめんなさいとお断りしたんです。だけど、よく考えるとサービスを受ける立場なのに、なんで私はこんなに謝ってるんだろうと・・・。

これだけだとそんなに面白くはないと思うんですけど、それを第三者から見て面白くするにはどうすればいいか。そうしたことは自然と考えます。私は読者に届けたいメッセージのようなものは特になくて、「ただ笑ってくれればいい」くらいなんですけど、こうした「気づき」を大切にするようにしています。

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