「世界中に夢の輪を広げたい」 二郎系ラーメン「夢を語れ」創業者の思い

アメリカ・ボストンでラーメン店「Yume Wo Katare」を営む西岡津世志さん
アメリカ・ボストンでラーメン店「Yume Wo Katare」を営む西岡津世志さん

ひとり時間をリカレント教育(学び直し)にあてて、キャリアチェンジを図る社会人にインタビューをするこの企画。今回紹介するのは、お笑い芸人を経て、ラーメン店の経営者に転身した西岡津世志さん(40歳)です。西岡さんが経営するのは、国内外で8店舗を展開する二郎系ラーメンの「夢を語れ」。2012年には、アメリカ・ボストンに進出しました。

お笑い芸人時代に、たまたま出会った「二郎系ラーメン」の魅力にはまり、ラーメンの道を歩み始めた西岡さん。いまでは、おいしいラーメンを提供するのみならず、来店したお客さんに「夢」の大切さを実感してもらうプロジェクトを行っています。そんな西岡さんに話を聞きました。

芸人をやめてラーメン店で修業

ーーお笑い芸人を目指されたのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

西岡:普通の仕事にあまり興味を持てなかったんです。中学、高校で親を見ていて、いわゆるサラリーマンって面白くなさそうだなと思っていて。なので、楽しくて、かつ稼げる仕事をやりたいと思っていました。

お笑いには昔から触れていて、高校生の時は「電波少年シリーズ」や、芸人だと猿岩石さんとかに夢中になっていました。高校は進学校だったので、同級生は99%が進学しましたけど、僕はお笑いを極めたかった。自分の芸を極めてテレビで活躍したいと思って上京しました。

ーー上京した後はどうされたのでしょうか。

西岡:5年ほどお笑いを続けていたんですけど、ある日、当時組んでいた相方がラーメン二郎神谷店(現富士丸)に連れて行ってくれて、「すごくうまい」と感じました。それがきっかけで、その店に通い始めて、そこで働きたいと思うようになりました。

その後、アルバイトとして働き始めたのですが、働き始めてから1週間で、「支店を立ち上げるから店長をやらないか」というオファーをもらったんです。ラーメンが大好きで、ラーメンを作るのが楽しいという感覚もあったので、芸人をやめてラーメン屋の店長になりました。それから3年ほどして独立し、京都に自分の店をオープンさせました。

ーー楽しいを追求した結果、自然とそうなったという感じでしょうか。

西岡:そうですね。何かに取り組んでいるときに、「嫌だからやめる」ということは基本的にありません。もっとやりたいことを見つけたから、その方向に行くという感じです。今でもお笑いは大好きですし。行動原理としては、常に楽しさを追求すること。それに尽きます。

ーーラーメン二郎の魅力はどのような点にあるのでしょうか。

西岡:単純にボリュームたっぷりで「また食べたい」と思えることもありますが、食べることにある程度の覚悟が必要なことですね。二郎を食べきるためには朝と昼を抜かなければならないし、にんにくを入れるから次の日はデートも断たなければいけない。ちなみに僕は二郎に行くとき、難易度の高い「全マシ」(にんにく、野菜、あぶら、カラメ〈醤油〉の4つのトッピングすべてを多めにする)を選びます。

「夢を語る」ラーメン屋

「夢を語れ」で提供されるラーメン。「ニンニクマシマシ」なども可能

ーー西岡さんはいま、国内外でラーメン店を経営していますが、店名が「夢を語れ」というユニークなものです。どのような由来があるのでしょうか。

西岡:二郎系のラーメン屋で店主をしている頃、お笑いで一緒に活動してきた友人が店に来てくれたんですけど、その日の夜に首をつって亡くなったんですよ。大きなショックで、この経験から自殺について調べたんです。そこでわかったことは、人は未来に希望を持てなくなると、言いかえれば夢を持てなくなった瞬間に、糸が切れるということです。それからお客さんにも夢を持ち続けてほしいと思うようになって、地元の京都で「夢を語れ」というラーメン屋を開店させたんです。

愛とか夢という言葉を日常で使うのは、ちょっとハードルが高いじゃないですか。でもあえて店の看板に掲げることによって、お客さんにとって身近な言葉になればと思いました。たとえば友だちと行く際に、店の名前を言う必要がありますよね。「夢を語れに食べに行こう」と。そう言っているうちに、「夢を語りに行こう」とか、店に並んでいる時に、「ところでお前の夢って何?」みたいな会話にならないかなと思いました。ありがたいことに、自分の思った通りになっていきました。

ーー京都のお店を皮切りに、いまでは海外進出をされていますね。

西岡:京都でスタートした後、関西にも数店舗を構えることができました。地元の友達が来て、「すごいな」って言ってくれたんですけど、僕は嬉しいというより、「ラーメン屋を創業させたくらいで何なのか」というモヤモヤがあったんです。どうせならもっと上を目指そうと考え、海外に行こうと思いました。それをいろんな人に言い続けたら、海外のどこでやるのと聞かれて、「アメリカでやります」と答えました。最初に思いついた国だからですけど(笑)。

ーーアメリカと言っても広いですが、なぜボストンにしたのでしょうか。

西岡:いくつか候補の土地をめぐって、世界一の学生街のボストンを訪れました。現地はとてもきれいで、若者が川沿いを走っている姿を見かけ、活気も感じられました。ネックな点は、冬は寒くて、マイナス20度にまでなること。そこで迷っていたんですけど、ある経営者の方に、夢は心で決めるものだと言われて、自分が心では「ボストンにしたい」と思っていることに気がつきました。ラーメンが売れるかどうかといった打算じゃなくて、自分の思いを軸にしようと思って、ボストンで開業することを決めました。

そして2012年の10月に、ボストンで「Yume Wo Katare」(夢を語れ)をオープンさせました。夢を語りたい人には、ラーメンを食べ終わった後に「I have a dream」という札を持ってもらって、語ってもらうようにしたんです。そして語ってくれた人には、店のメンバー全員で応援するような雰囲気を作りました。こうした夢プロジェクトに、賛同してくれる人も多くなってきました。

「学び直し」を始めたワケ

プレゼンテーション大会で夢について語る西岡さん

ーーそこから社会人大学で学びを始めたのには、どのような経緯があったのでしょうか。

西岡:渡米してからは、学ぶ機会がありませんでした。僕はインプットとアウトプットのバランスが合わないと、違和感を覚えるんです。それで学ぶ手段がないかと考えていた時に、たまたま知り合いの経営者の方が、Facebookにビジネス・ブレークスルー大学に入学したという投稿をあげていました。その人に詳細を聞いたら、アメリカにいてもオンラインで学ぶことができるから、あなたも入ればと言われて。大学の資料にあった「世界のリーダーを育てる」という言葉にも惹かれて、入学を決めました。

ーー実際に学んでみてどうでしたか。

西岡:さまざまな職業、バックグラウンドの方がいますので、会う人の範囲が広がりました。また、授業でいい知識を得たという感触を得たら、今やっている事業に反映するようにしています。本来は学んだらすぐに、実行するべきで、そのスパンが短いほどいい。だから大学の仲間たちも、実践として自分の事業を立ち上げたりもします。

授業としては、日曜日に世界の最先端のニュースをまとめてくれるものがあって、それはいつも楽しみですね。日本やボストンだけではなく、さまざまな国や地域に目が行くようになりました。

ーー「学び直し」はいまの仕事に役立っていますか。

西岡:日本だけではなく、海外で夢を語るために必要な視座が身についたことが大きいと思います。なぜこの人がそのような夢を持つに至ったのかといった、日本以外のさまざまな人のバックグラウンドを知ろうとするようになりました。

また英会話の授業を通して、考え方の基盤となる言語を入念に学ぶこともできました。ボストンでお店をオープンした当初は、日本語が話せるスタッフしかいなかったので、本気で英語学習をせずにやり過ごせていたんですね(笑)。

ーー今後の目標を教えていただけますか。

西岡:「夢を語れ」は順調に店舗が増えていますが、これからの2年で、全国各地に出店をできればと考えています。そして、日本のみならず、世界中に夢の輪を広げていきます。具体的には、2030年までに世界197か国に店を展開するという目標を立てています。

みんな成長するたびに夢の感覚を失って、できるかできないかで考えてしまう。でも、できるかできないかではなくて、やりたいかやりたくないかで誰もが「夢」を考えられるようになってほしいし、僕もまた、その支援を続けていきたいと思っています。

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