手がけた庭はサバンナも大使館も 吉開千代さん(花と暮らす 2)

(撮影・時津剛)
(撮影・時津剛)

記念日や特別なシチュエーションだけでなく、気軽にセンスよく花を楽しみたい。そんな人が増えています。食卓に、玄関に、洗面台に、トイレに、さりげなく飾られているだけで、花は暮らしを明るく彩って豊かにしてくれます。ひとりの時間を満ち足りた、上質なひとときにするために、花とどう暮らしたらよいのか──。花や緑を愛するプロフェッショナルたちに、その極意を聞き、花と生きる彼らの人生にも迫ります。(取材・志賀佳織)

会社を休職してケニアへ

一般に、花屋さんというと、通常私たちが通う「お店」の様子を思い浮かべますが、業務はもちろんそれだけではありません。庭を造ったり、オフィスや商業施設などの空間を演出したりすることも、近年は特に需要が増えている大事な事業のひとつであるのです。

吉開千代さんは、2000年に第一園芸に入社して以来、一貫してこうした「緑化事業」に携わってきたプロフェッショナル。しかし、実はここに至るまでの経歴もとてもユニークでダイナミック。そもそも、なぜこの仕事を始めたのか、そこからお話を聞いてみることにしました。

「大学時代にデザインを専攻していたのですが、そこで、公園にモニュメントを作るという課題が出たことがあったんです。そのときに『あれ、もしかしたら場所ごと造っちゃうほうが面白いんじゃないかな』とハタと思いついたんですね」

「もともと実家も、母が植物が好きで、庭にぶどう棚があるなどいろいろな花や木々が植わっていたので、私も植物に自然と親しんでいったのだと思います。すぐに東京農工大の聴講生になって園芸概論などの勉強を始めて、こちらの道に進むことに決めました」

京王フローラルガーデンアンジェにて。ここも第一園芸がスタッフ8人で管理している(撮影・時津剛)

卒業後は設計事務所に就職。都市計画と造園の部門で働き始めたところ、1年半ぐらい経ったときに、友人を通して「フリーで仕事をやらないか」という誘いを受けます。しかも、場所は、アフリカ・ケニアのサバンナ。

「日本の方がケニアのサバンナのど真ん中にロッジを造るという話で、設計は(建築家の)エドワード鈴木さん(故人)でした。友人はそこの家具のデザインを引き受けていて、造園をできる人をということで私に声がかかったんです」

「当初は、現地に行って設計だけをして帰ってくる約束だったので、会社を半年休職したのですが、いざ行ってみたら『実際に造る人がいないのでそのまま残ってほしい』と言われまして(笑)。退職願を向こうの灯油ランプの下で書いて日本に送りました(笑)」

マサイ族42人をリクルート

場所はケニアの首都ナイロビから約250kmのマサイマラ。移動はセスナ機か、陸路だと6時間かかるサバンナのど真ん中、見渡す限り360度サバンナというところ。設計図はナイロビで引いた吉開さんでしたが、いざ現場に乗り込んでみると労働力が足りません。そこで作業をするにあたり、吉開さん、マサイ族の人たちを労働力として雇ったのだと言います。

(撮影・時津剛)

「見慣れない外国人の女の子が何かやり始めたので、彼らも興味津々だったんでしょうね。何をしているのかって、マサイ族の男の人たちが毎日見に来るんです。その中で『手伝う』と言ってくれた人たちをグループに分けて雇っていきました。最終的に42人をリクルートして(笑)、一緒に庭を造っていったんです」

「サバンナですから、人間のエゴで好き勝手に植物を植えても育ちませんし、現地の環境を壊してしまいます。その点、マサイ族はとにかく現地の植生に詳しい。これは牛の病気に使えるとか、食べられるとか、あるいは解毒剤になるとか。殆どが有用植物だということも教わりました。ですから私は、彼らの恵みの庭から採らせてもらったものを、ナーセリー(苗床)を作って増やして庭に戻す、という形で作業を進めていったんです」

とはいえ、彼らは農耕民族ではなく、本来は放牧や、牧畜をする部族。今は定住化してしまっていますが、植物を植えるという感覚がありません。

「根っこを切って持って来ちゃうとか、ビニールごと植えちゃうとか、頭の痛いこともいろいろありました。何より困ったのは、作業している合間に振り向くと、飛ぶ練習をしていることでした(笑)。なので、これは普通のやり方ではダメだなと思って工夫することにしたんです」

吉開さんが手がけた、アフリカ・サバンナの庭園(吉開さん提供)

マサイ族は同年代がグループを作り、ともに人生の階段を登っていくという形を取っており、グループの結束というものが非常に強い部族。そこで吉開さんは42人を3つのグループに分けました。

「チュイ(=ヒョウ)チーム」「ンドフ(=ゾウ)チーム」「シンバ(=ライオン)チーム」をそれぞれ「ナーセリーを管理するグループ」「原野に出て、植栽を傷めない程度に採取してくるグループ」「実際に植えるグループ」に仕事を振り分け、互いに競わせることにしたのでした。結果は大成功。

そして半年の工事期間と、半年の手直しの期間を経て庭は完成。植物園を思わせるような感じに仕上がった庭園では、ドライバーが宿泊客を案内して、敷地内でほぼそのまま現地の植生が楽しめるようなネイチャートレイルが現在も行われているのだと言います。

吉開さんは、その後、現地で会社を設立。ホテルや大使公邸の庭などの仕事を請け負いながら9年間ケニアで仕事を続けましたが、「ひとつの仕事をやりきった」という満足感を得て帰国を決意。2000年に第一園芸に就職して現在の業務に携わることになったのでした。

(撮影・時津剛)

人と自然のつなぎ役になる

現在、吉開さんが携わっているのは、主に大使館の庭の植栽。これまでに、アメリカ、オランダ、フランス、イタリア、EU、シンガポール、カナダなどの大使館の庭を手がけてきました。

「お国によって好みも全然異なりますが、共通しているのは、もともとあった石垣は大事に残したいなど、保存の意識が高くていらっしゃること。今、外国の大使館になっているところは、もともと江戸時代の大名屋敷が多いんです。つまり昔からの日本庭園、大きな緑地が、開発などで分断されずにそのまま残っているんですね。そういう場所を管理できる面白さもありますし、いろいろな発見があってやりがいがありますね」

「私達の仕事には二つの要素がありまして、一つはお客様の要望。そしてもう一つは、できることとできないことがはっきりしている自然。そのどちらの『言葉』もちゃんと聞き取ってどのように組み合わせていくかというのが役割なのだと考えています。両方のつなぎ役となる、あるいは自然の言葉のトランスレーターになる、それをいつも忘れないでいたいと思うんです」

近年、都市の緑化の重要性を、自治体も企業も認識し始めてきたためか、吉開さんの所属する部署の需要も高まっています。社員も入社当初は5、6人だったのが、現在は40数人にまで増えました。

(撮影・時津剛)

「人間もやはり自然の一部なのだと実感するのですが、緑の中で土をいじっているとホッとするんです。五感が満たされていくと言いますか、それがこの仕事をやっていていちばん幸せなところですね」

「それと、これはマサイマラにいたときの経験なのですが、夕方の空き時間にひとり崖っぷちに座っていると、向こうから雨のカーテンがやってくるのが見えたり、360度のパノラマを堪能できたりして、風景が身にしみたんですね。ひとりで壮大な景色に相対する経験は、これはこれでグッと来るものがありまして、そのことに携われるのは、この仕事の醍醐味なのかなと感じます」

いちばん好きなことを仕事にできて幸せと言う吉開さん、まだまだこの先も実現したい夢があるのだそうです。

「海外に日本庭園がたくさんあるのですが、きちんと管理されているところが少ないんですよね。それを見て、本物の日本庭園を見たいと来日される観光客もいらっしゃると聞くので、管理できるプログラムやマニュアルを作りたいと思うんです」

「日本と全く同じ水準にとは言いませんが、うまくキープしていけるコンサルタント的なことをやってみたい。私、マサイ族の人たちと仕事をしていたので、どこの国の人たちともそこそこやっていけるんじゃないかと思うんです(笑)。それが当面の夢ですね」

【吉開さんプロフィール】
よしかい・ちよ 東京都出身。90年多摩美術大学立体デザイン科卒業後、株式会社環境デザイン研究所に入社。都市計画、造園設計を担当する。91年Mapta Safari Club(ケニア)造園設計・施工管理業務をフリーで受託。93年Chiyo & Co.Ltd(ケニア)設立。2000年第一園芸入社。趣味はラグビー観戦。特に高校ラグビーのファン。

撮影協力:京王フローラルガーデンアンジェ

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