被爆3世のプライド 広島から愛を吠えるシンガー・佐々木リョウ

その歌が筆者の耳に聴こえてきたとき、心の中を見えないナイフでえぐられたような気持ちがしました。優れた映画やアニメーション、小説などに触れた際によく陥る感覚です。もちろん、音楽だって例外ではありません。

「同じ球体のすこし離れた近所でまた今日も一人死んだ/TVの向こうでパーのレポーターがこう聴いたんだ/『今の気持ちはどう? 家がなくなってこれからどうする?』/『家はなくてもいい、欲しいのは平和』…あの子は言ったんだ/パパとママが燃える瓦礫にそっと愛を注ぐように」(佐々木リョウ『パーに勝つ』より抜粋)

 

ポップミュージックに求められがちな“耳当たりのいい言葉”が、そこには1文字たりとも存在しませんでした。どこまでも具体的で切迫感のある表現は、まるでボブ・ディランの歌のようにひりひりとした空気感をたたえています。

この歌の主であるシンガーソングライターの佐々木リョウさん(31)が被爆3世、つまり祖父母の代で広島原爆に被爆した人なのだと知ったのは、もう少し後になってからです。原爆被爆者の子孫として、どのような思いを抱えて反戦歌を歌っているのか、ぜひ話を聞いてみたくなりました。取材を申し込んだところ、ちょうど東京でライブ出演の予定があるからと、リョウさんは快諾してくれました。

このとき、彼は新作レコーディングの中休みを利用した全国ツアー中。アコースティックギター1本を抱えて広島から岡山、大阪、名古屋へとひとり車を走らせる演奏旅行のさなかでした。最終目的地である東京・下北沢のライブハウス「CIRCUS」に現れたリョウさんは、ライブ当日にもかかわらず、リハーサルの合間を縫ってハイテンションで取材に応じてくれました。

18歳で上京も夢なかばで帰郷

──活動拠点は基本的にずっと広島なんですよね。

佐々木:そうですね。高校卒業して18歳で1回上京したんだけど、3年ほどで帰って。それからはずっと広島です。

──最初は「東京でひと旗あげよう」みたいな?

佐々木:まさに。高校生の時に「音楽甲子園」っていうコンテストがあったんですけど、そこでグランプリを獲って。そこと僕をつないでくれた人が東京で音楽事務所を立ち上げたんです。一応そこが僕を売り出すみたいな形でインディーズデビューをするんですけど、ちょっとゴタゴタがあって。ちょうどその頃に親父が体調を悪くしてしまったこともあって、広島に帰ることにしたんです。

──とは言え、現在、広島で活動しているのは意義深いことですよね。

佐々木:そうですね。僕、普段から広島弁がキツめなんですけど、上京してた時もそれを抑えるどころか1.5倍ぐらい誇張した広島弁で生活していたくらい、郷土愛が強いんです。

──話を聞いていると、広島へ戻るべくして戻ったというか。神様的な人が「あんたは広島でやりんさい」と言っているかのような。

佐々木:確かに、不思議とそんな感覚はありますね。

国境を越えて、人と人が音楽でつながった

──私がリョウさんの反戦歌を知るきっかけになった名曲『パーに勝つ』について、教えていただけますか。

佐々木:たしかテレビで観たんだと思うんですけど、ジャーナリストみたいな人が戦地に行って泣いている子供にインタビューをしてたんです。

まさに歌詞の通りで、「今どんな気持ちですか」と。家の中ではその子のパパとママが燃えてるんですよ? 普通だったら言葉を失うか、抱きしめてあげたくなるような状況じゃないですか。その子が「君は今、何が欲しい?」って聞かれたとき、「パパもママももういないから、僕は平和が欲しいんだ」って言ってたのが、すっごい衝撃的で。

僕らの日常とのギャップというか、何もできないもどかしさ。なんぼ平和な国になったとは言え、同じ球体の上の近所でまだそんなことがあるっていう事実は歌いたいなと。そういうことで作った歌ですね。

──発表したときの反響ってどうでしたか。

佐々木:それまで歌ってきた反戦歌とちょっと毛色が違って、光景が本当に浮かんでくるからか、客席で泣き出すお客さんもいました。先日も名古屋のライブで「『パーに勝つ』歌ってください」って人がいて。そういうリクエストってなかなかないんで、特別な歌ではあると思いますね。

──一方で、ポップミュージックにそんな重いテーマは不要であると主張する人も多いですよね。

佐々木:そうですね。正直、反戦歌なんて歌わんくても今は生きていける時代だし、わざわざ暗い気持ちになる必要性もないとは思うんですけど。でも僕は、“被爆3世”という肩書きを持っている。広島で実際いろんな話を聞いて育って、ある種の専門教育を受けてきているわけで。広島から各地へ歌いに行っている一番の大きな理由でもあり、プライドでもある。歌っていきたい気持ちはありますね。

──逆に、それを歌っていたからこそ得られたものなどはありますか。

佐々木:2016年5月27日にオバマさん(当時アメリカ大統領)が広島に来られて、17分の演説をしたじゃないですか。その冒頭文を歌詞に入れ込んで『Answer song』っていう曲を書いたんですよ。それを2017年の8月5日に、海外の人もたくさんいらっしゃる原爆ドームのすぐそばで歌わせてもらったんです。カタコトの英語も交えて僕の思いを歌ったら、その人たちが「グレイト」みたいに拍手をしてくれて。

──それは一生忘れられないシーンになりましたね。

佐々木:たとえばアメリカの人がどういう感情で原爆ドームを見ているのかもわからないですし、よく「原爆を落としたから戦争が終わったんだ」みたいな言説もあるじゃないですか。もちろん、今何を言ったって歴史は覆らないけど、海外の人が僕の歌を聴いて拍手してくださったことは紛れもない事実で。国境を越えて、人と人が音楽でつながった瞬間でした。すっごい「歌って良かったな」って思ったんですよね。

「PEACE音学会」の8月6日開催にこだわる理由

──リョウさんが毎年8月6日に広島で開催しているイベント「PEACE音学会」についても聞かせてください。

佐々木:そもそもは「8月6日に広島の青空の下で歌を歌いたい」っていう思いで始めて、今年で7年目になります。メインは語り部さんに出ていただいて、今の広島の若者たちに向けて戦争体験を語ってもらう。広島市内にあるPARCOの横とか、若い人が集まる場所でね。僕らは、あくまでもそれを音楽でつなぐっていう役目なんですよ。広島で音楽ができる幸せと、実際に戦争を経験された方の生の声を届けたいっていうのがあって。

──それを原爆が投下された8月6日当日にやることに意味があると。

佐々木:広島で8月6日その日にイベントをやると、変にクレームというかイチャモンつける人がちょこちょこいらっしゃるんですよ。「ホンマにわかっとんか」とか「戦争反対とか言うけどな、今この国には戦争が必要かもしれんぞ」とか言ってくる人も中にはいらっしゃるんです。

──マンガ『はだしのゲン』(中沢啓治)のワンシーンみたいですね。

佐々木:本当にあんな感じですよ。それを懸念するのであれば、5日とか7日とか、ちょっと日にちを避ける選択肢もあるわけです。実際そういった日程で平和イベントをされる方もいらっしゃいますし、もちろんそれは全然悪いことではないですし。でも僕らはあくまで8月6日にやりたい。もしかしたら集客的にも不利なのかもしれないですけど、そういう問題ではなく。

──そうしたら賛同者が多くいたと。

佐々木:不思議と「8月6日だったら歌いに行きたい」っていう人が県外にいらっしゃって。憧れのアーティストが、アコースティックギター1本持って歌いに来てくださることもあるんです。そういう意味では「平和活動を利用していい思いをしている」ような後ろめたさを感じることも若干はあるんですけど、本質的には全然いいことだと思っていて。思いに賛同して来てくださるっていうことがすべてだし、そのこと自体に平和が込められてると思うんで。

ある意味で究極のドMなんです

──制作中のアルバムはどんな作品になりそうですか。

佐々木:タイトルが『I’m Good』っていうんですけど(笑)。佐々木リョウのリョウって、漢字だと「良」って書くんですよ。不良の良。「良」ってつまり「Good」じゃないですか。で、僕が「Good」でいられるのは今まで関わってくれたいろんな人たちのおかげだっていう思いがあるんですよ。彼らにちょっとでも参加してもらいたくて、さまざまなゲストミュージシャンやエンジニアを迎えて作ってます。バイオリンとかチェロが入ってる曲もあったり、そういう初の試みもあります。

──それだけ支えてくれる仲間がいながら、一貫してソロアーティストとして個人名で活動されているのは何か理由があるんですか。

佐々木:バンドも嫌いじゃないですよ。キャパの大きなライブとかではサポートメンバーに入ってもらってバンド形態でもやりますし。ただ、12月1日に広島の「JMSアステールプラザ」っていう1200人が入るホールでワンマンをやるんですけど、これはアコギ1本、完全弾き語りでやります。過去最大規模の逃げ場のなさなんで、ぜひ目撃しに来てもらいたいですね。

僕は、ある意味で究極のドMなんだと思うんです。全責任を自分で負いたい。たとえば自分のライブが良くなかったとして、それをメンバーのせいにしちゃったら情けないじゃないですか。だったらハナからそういう余地がない状態で、自力でライブを成立させたいんです。

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