「ジジィババァの声は最高だな!」民謡DJが発見した「ヤバい音楽」
「客引きは100%ぼったくりです」。そんな物々しい看板が立つ東京・新宿の歌舞伎町。ここで開催されているクラブイベント「Soi48」。DJブースに“彼ら”が立つと、フロアの空気が変わります。やがてスピーカーから、どこの国のものともわからない不思議な音楽が大音量で流れてきました。
実は日本の民謡なのですが、注意深く聞かないとそれが日本語であることすらわかりません。“彼ら”の名は「俚謡山脈(りようさんみゃく)」。民謡でフロアを湧かす「民謡DJ」のユニットです。
「俚謡山脈」は民謡を専門とするDJとして、おそらく日本で唯一の存在です。彼らの民謡に対する思い入れは深く、背景や歴史を探るうちに「ジジィババァの声は最高だな!」という境地に達したのだとか。そんな「俚謡山脈」の佐藤雄彦さん(42)と斉藤匠さん(38)に、なぜいま民謡なのか、どうして民謡をクラブでかけようと思ったのか、聞いてみました。
建築関係の民謡はけっこうリズミカル
ーーそもそも民謡とはなんでしょうか?
佐藤:まず「詠み人知らずの唄」っていうか、「作詞・作曲者がいない」というのが定義としてあるんです。
斉藤:もちろん作った人はいたんですけど、それが忘れ去られるくらい、そこに重きを置いていない。
佐藤:たんなるジジィババァとか、おっさんおばちゃんが歌ったものだから。
斉藤:田植えでリズムをとるために歌った、とかね。僕らはDJと名乗っているんで、リズムのある曲が気になるんですけど、建築関係の歌はけっこうリズミカルですね。土をならしたり運んだりっていうのは力を一気にかけなきゃならないんで。大勢で漁をするときの歌なんかもそうですね。
佐藤:近代化が進んで、農作業も漁業も建築業も人の手からどんどん機械に変わって、歌も失われちゃうわけなんですけど。
斉藤:生活と共にあるのが民謡なんで、いまでも「顧客データ大量打ち込み唄」とかあってもいいと思うんですけどね。
ーー二人はどのように民謡と出会ったのですか?
佐藤:「Soi48」というDJユニットが中心となってやっているクラブイベントがあって。もう5、6年やっているんですけど、そこではタイの音楽、なかでもタイ東北部のイサーン地域の音楽なんかがかかっているんです。
斉藤:僕らはもともとその周辺にいたというか。
佐藤:そこでタイの音楽でみんなを踊らせているなかで、「こんな感じの音楽、日本にもねぇのかなー」みたいなのがきっかけといいますか。実は俺と斉藤くんは職場が同じなんですけど、どっちも音楽好きで。
斉藤:タイのレコードも買っていたし、中東のものも買っていた。インドを買って、パキスタンを買って。そういうことをいっぱいしていたんですね、僕らは。二人ともレコード店で働いていて、1960〜70年代から現代に至るロックを中心に扱っているんですけど、いわゆる西洋音楽からちょっと離れたところに、そういう音楽がある。これまで聞いていた音楽とは違う魅力に気づいて、ただただレコードを漁っていたんです。で、たまたまレコードとしての民謡と出会った。
佐藤:お互い、レコードをガンガン買うほうなんで、民謡のレコードがたまってくると、情報交換をしだすんですよ。
斉藤:持っているものが、かぶったりし始めるし。
佐藤:トレードしたりとかね。そのなかで「民謡、ヤバくねえか?」っていう気持ちが育っていって。クラブイベントでDJをやるなかで一度、民謡をかけてみようかなと思ったんですよ。これいけんのかな? 引いちゃわないかな? みたいな感じで。そしたらみんな踊ってくれたんで、「これ、ふつうにいけるんじゃね!」っていう。
斉藤:そこから数回かけて、二人でやるようになって。2015年くらいからユニット名をつけてやるようになったんです。
佐藤:俚謡山脈の「俚謡(りよう)」は民謡の古い言い方。「ジャズ」とか「流行歌」みたいな、ジャンル分けのようなものです。「民謡」ってわりと新しい言葉なんですよ。
どこで判断する? 民謡の良し悪し
ーー民謡に関しては、かなり勉強をしたんですか?
佐藤:他の音楽についてもやりますけど、民謡は段違いにやります。
斉藤:なんでかっていうと、やらないとわからなかったからです。知識を探る場所もどこにもなかったんで。民謡に関する本とかも、ふつうに絶版なわけですよ。レコードを“掘る”ためにも。必死に探さないと出会えない。
佐藤:民謡のバックグラウンドストーリーを知っている人って全然いなくて。自分たちで調べるしかないっていう感じです。
ーー民謡の良し悪しはどこで聞き分けているのでしょう。
斉藤:僕ら自身、知識ゼロから始めたけど、やっぱり基準がほしかった部分もあって。先輩のクラブリスナーとかも当然いない。他にやってる人がいないから。先輩に出会えたのは、本の中だけなんです。そしたら、『日本の民謡』(浅野建二著/岩波新書)に、決定的な言葉が書いてあった。「土地の匂い、すなわち郷土色を失った民謡はもはや民謡ではなくて、最下級の流行歌に堕したものといってよかろうと思う」。民謡にプロとか芸事としての洗練が加わってくると、どんどん土地の匂いがなくなって、そんなもんただの流行歌だよって言ってるんですね。そこに僕らにとっての基準ができた。