屋根裏の苦学生みたいな「孤独」にあこがれた――イラストレーター田村セツコさん

屋根裏の苦学生みたいな「孤独」にあこがれた――イラストレーター田村セツコさん
(撮影:萩原美寛)

快活で、よく笑う。きっと子供のころから変わっていないのだろうーー。イラストレーターの田村セツコさん(81歳)と話していると、そんな印象を受けます。田村さんは50年以上にわたって、少女マンガ誌や児童文学書を中心にイラストを描き続けてきました。

絵だけでなく、イラストに添える文章やエッセイも手がける田村さん。2018年に出版したのが『孤独をたのしむ本』(興陽館)です。DANROの連載企画「ひとりぼっちの君へ」では今回、80歳を越えた今もひとりで仕事をし、ひとりで暮らす田村さんに、孤独との向きあい方について、話を聞きました。

「寂しいとか孤独感っていうのは当たり前。生きている証拠」

ーー田村さんは、どんなときに「幸せ」を感じますか?

田村:もう、しょっちゅうです。今日ここへ来るまでにも、電車を降りるとき隣にいた男の人にちょっと触っちゃったかなと思って「あ、ごめんなさい」って言ったんです。そしたらその人が「いいえ」って笑ったんですけど、八重歯が出ててかわいいの。男の人だけど。それだけで「うわー、よかった!」って思っちゃう。謝ったら、にっこり笑ってくれて。それだけで、すごくうれしくなるんです。

小っちゃなことでも、うれしいんです。今朝もカラーコピーをとりにコンビニに行こうと思ったら、すごく爽やかで、いいお天気。それから自分の足でちゃんと歩けて、前に進んでいくなんてありがたいなって。

田村さんの著書『孤独をたのしむ本』(撮影:萩原美寛)
田村さんの著書『孤独をたのしむ本』(撮影:萩原美寛)

ーー本では「孤独嫌いの孤独好き」という言葉が出てきますね。

田村:憧れでもあるのね。ひとりぼっちや孤独が。生意気なんですけど、子供のときは6人家族で、絵に描いたように暖かな、楽しい家庭だったんです。人もうらやむような家庭で。それを満喫したわけ。ほんとに楽しい家庭っていうのはこういうものだって、お腹いっぱい、胸いっぱいになった。そしたら自分が大人になったら、「屋根裏部屋の苦学生」みたいな、本とコーヒーをあてにする、そんな生活をしたいと思うようになって。

「屋根裏部屋の苦学生」には、可能性がすごくあるっていうか。苦学生って、本を読んで勉強すれば成績がよくなるかもしれないし、貧乏暮らしは好きなんだからしょうがないし。

そんなことを考えたから、やっぱり寂しいことは寂しいんですけど、ある意味、憧れの生活ではあるんです。気が強いんでしょうね。自分ではわかんないんだけど。ないものねだり。よくばりだったんですね(笑)

ーー「孤独」と向きあう方法として、絵日記を書くことを勧められていますよね。

田村:小学校のとき、父の勤めの関係で、4回も転校したんです。すると、隣の席の子とやっと口が聞けるようになったら、もう次の学校に行くってかたちで、なかなかお友だちができなくて。日記帳におしゃべりをするというのが始まったんですね。それが80歳になっても続いている習慣なんです。紙と鉛筆さえあれば、それを友だちとしておしゃべりする。そういうクセがついちゃったんです。だから、ひとりぼっちの友だちですよね、日記帳は。

今「絵日記をつけましょう」って講座をやっているんです。日記にはいいことも悪いことも書いて。あとから見ると、楽しかったことは、またぽーっとうれしくなる。もしつらいことがあっても正直に書いておけば、「こんなことがあったのに、クリアできてよかった」と思って、またうれしい。

イラストレーターの田村セツコさんの日記帳
(撮影:萩原美寛)

ーー今も、メモ帳や単語帳をお持ちですね。書くことが習慣になっているんですか?

田村:まず真っ先にノートに相談するくらい。何か面白いことがあったら、人に話すよりはノートに書く。メモ魔なんです。もう習慣で。(自分の)分身。もうひとりの自分に言いつけているというか、こんなことがあったって、報告したり。なんでも書くんです。「ひとりぼっちっていうのは、形のうえではひとりだけど、実は内面的に多重人格を生きていれば孤独ではない」とかね。ちらっと浮かぶことを書いてあるのね。

これ(別のメモ帳)には、お気に入りのフレーズを抜き書きしているのね。かっこいい言葉ばっかりいろんな本から抜き書きして。それこそ元気がないときなんかに見ると、クリスチャンが聖書を読むみたいな感じで。ベッドのそばに置いておいて。

ーー田村さん自身、そうやってつらいことを乗り越えてきたのですか?

田村:つらいことの代表は孤独感ですよね。どんなに工夫しても、寂しいってことがありますよね。けれどそれは、家族がいるとかいないとか、そういうことじゃなくて。この世に生まれてきたら、すでにそのとき広い世間に出てきたわけだから。寂しいとか孤独感っていうのは当たり前だと思うんです。生きている証拠。死んだら(亡くなった人と再会できるので)たぶん孤独じゃないけれど、生きてるんだから。

インタビューに答えるイラストレーターの田村セツコさん
(撮影:萩原美寛)

ーー達観されているように思えますが、きっかけとなるできごとがあったのでしょうか?

田村:何かがあったわけじゃなくて、日記を書いたりお友達としゃべったりするなかで、そういうことを考えるチャンスがあって。そのなかから得てきたかなって思います。子供の時からよ。シチュエーションとしては、幸福な6人家族。父と母と4人の子供の長女。にぎやかでわいわいわい楽しかった。それでも、夜が明けるちょっと前に「なにこれ?」っていう独特な寂しさがあって。「人間ってなんだろう?」と思いました。だからどんな状況でも(孤独は)ついてまわるなっていうのはありましたね。

ガラスに映る自分に話しかけた「孤独のてんこもり」だったころ

ーー仕事に対しては、どのように向き合っていますか?

田村:生意気なようですけど、一生懸命にやると、どんな仕事も楽しくなるってことは言えますね。投げださないで、一生懸命やらないとつまらないんですよ。気が散るし。何かに取り組んで一生懸命にやると、そこから化学反応が起きる。

私、昔は銀行の秘書室で働いたんだけど、(同僚は)みんな仲良しだったから、毎年集まってお食事するんです。そしたら何十年もたったのに、すごく若い人がいらっしゃる。びっくり。「若いわね」って言ったら、その方は夫を亡くして、どんな仕事でもしなければならなくなって、思いがけなくビルのお掃除をすることになって。それがすっごく体によくって。お掃除することでビルがピカピカになるから、それがまた相乗作用で。元気で楽しそう。その方は、ほかの悠々自適で暮らされている奥様よりすごく若いんです。

ホワイトボードにイラストを描く田村セツコさん
(撮影:萩原美寛)

ーー「仕事に向いていない」「やりたい仕事ではない」と考えてしまう人は、どうすればいいでしょうか。

田村:仕事を転々とする、次々と移るっていうその気持ちもわかるんだけど、大ざっぱに言うと、そういう風にやっているとキリがないっていうか。あきらめるんじゃないんだけど、今の仕事に熱気をもって接すると、仕事が返してくれる、なにか与えてくれるような気がするんですよね。

前に、すっごく痩せた男の人がベースの演奏をしていて。周りのミュージシャンは交代するんだけど、その人はずっと演奏している。終わってから、「あんなに長時間、疲れませんか?」ってたずねたら、「いや、疲れないコツは仕事が教えてくれますから」って。それが印象的で。「仕事が教えてくれる」って、ちょっとあるかもね。

ーー田村さんも「イラストの仕事をやめたい」と思ったことはありましたか?

田村:やめたいとは思わないけど、向いてないのかなとか、才能がないっていうのは困ったもんだと思いましたね。若いときは、絵がボツになって。はっきり「ボツ」とは言わなくても、編集長が「うーん」みたいなときは「描き直してきます」って、1枚使うのに10枚くらい描いて。そういう時代もありましたよね。

それでも、選んだ仕事だから。これでいこうと思ったから。仕事が全然なくて、頼まれなくてつまんないなっていう時期には、(東京の古書店街)神保町をさまよって。雑誌をパラパラと見てみたり。思いっきり孤独のてんこもりね。

バスや電車のガラスに自分の姿が写ったとき、やつれてると、「気の毒なことになっちゃったわね」みたいな。もうひとりの自分が、なんとかしてあげなきゃって思いましたね。「あんなに憧れた仕事なのに、ダメね。やつれて」なんてね。

笑顔の田村セツコさん

ーー今は1日のうち、どれくらい絵を描いているのですか?

田村:平均すると、4時間くらいかな。朝は明るくなったら起きて、夜は暗くなったら眠る。5時を過ぎたら一杯やる。もう決まっているの。掟があるんです。

「幸せ」って人に言わなくてもいいんだけど、幸せだと思ったら誰も止められない。だから、あまり「幸せ幸せ」って言わないように気をつけてるんですよ。反感を買うから。あまり楽しそうにしないように気をつけてるの。「こほん」って咳をしてみたり、アパートの受付を通るときは、肩を落としてみたり。

ーーでは、本当は今の暮らしに満足しているんですね。

田村:100点とは言えないけれど、合格点よね(笑)

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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