ドクロをモチーフとする唯一無二の陶芸家の挑戦「陶芸をもっとゆるーく楽しんでほしい」

食事の最中に死を意識する人は誰一人としていない。食べることは生きることに直結しているのだ。しかし、料理を美しく盛り付けた器にドクロが描かれていたら……。嫌悪感を露わにする人もいれば、逆に笑い飛ばす人もいるだろう。

サブカルチャー好きの友人から「面白い器を作っている人がいる」と、紹介されたのがドクロをモチーフとした陶磁器を製作しているアダチマリさんだった。

陶芸の世界ではまだ無名だが、海外で高い評価を得ている。国内においても、飲食店やアパレルショップなどが企画するイベントのオファーが殺到。来年6月までびっしりと詰まっているという。

大学在学中からグラフィックデザイナーとして活躍

美濃焼の生産地として知られる岐阜県多治見市。住宅地の一角に、アダチマリさんが仲間とシェアしている工房がある。その片隅で、彼女は自らデザインしたドクロの絵柄を素焼きの器に転写する作業をしていた。

「今、観葉植物のショップとのコラボイベントで販売する植木鉢を作っています。水を含ませた筆で絵柄をなぞっていくと転写されます。その上から釉薬を塗って、本焼きして完成です」

と、アダチマリさん。

ドクロがモチーフといえば、ビスが打ち込まれた革ジャンや革パン、全身にタトゥー、ピアス……。勝手にそんなイメージを抱いていたが、見事に期待を裏切られた。

ツナギにパーカーを羽織り、メイクはほぼスッピン。朴訥な雰囲気、というのが第一印象だった。

「パンクやハードロックが好きな方が私の作品を買ってくださるので、私もよくパンク系の人と思われるのですが、実はまったく知らない世界なんです」

そんな彼女がドクロに魅せられたのは、いったい何がきっかけだったのか。

アダチマリさんは高校時代まで、生まれ育った多治見市で過ごし、18歳のときに女子美術大学へ進学するため上京した。グラフィックデザインを専攻したものの、大学にはあまり足が向かず、知り合いのツテでTシャツや商品のパッケージ、Webのバナーなどのデザインを請け負っていた。

「学校へ行くよりも、現場の第一線で活躍している人たちと仕事の打ち合わせをしたりする方が楽しくて。いろんな案件をいただいていたので、卒業後は就職せずにこのままフリーランスとして生きていこうと何となく思っていました」

大学在学中からグラフィックデザイナーとして仕事が評価され、コンスタントに仕事のオファーが来る。また、自分の作品が商品化されて、多くの人々の目に止まる。フリーランスとして成功の道が拓けていたようにみえた。

だが、迷いもあった。気になったのは、芸術作品ではなく商業デザインなので、普遍的なものではないという点だ。どんどん消費されていき、シーズンごとに「売れる」ものを作らねばならない。そこに違和感を抱くようになった。

「見ただけでアダチマリの作品とわかるようなものを作りたいと思ったんです。このままデザインの仕事を続けていたら、楽しくなくなるだろうなぁって。大学は何とか卒業しました。卒業制作では陶器を作って入選しました。でも人生を決めるのに、大学の4年間では短すぎると思って、外国へ行って日本とは違う文化に触れてみたいと考えました」

海外で高い評価を受ける日本の陶磁器

大学卒業してから1年間にグラフィックデザイナーとして働いて貯めたお金で、イギリス・ロンドンへと旅立った。アメリカ・ニューヨークも留学先の候補として検討したが、イギリスは日本と同じ島国であり、歴史もある。そこから学ぶことも多いと考えたのだ。

と、ここまでは若者にありがちな「自分探しの旅」と思われるかもしれない。が、アダチマリさんはロンドンでもデザイナーとしての才能を発揮する。市内の印刷会社から名刺のテンプレートやグリーディングカードのデザインを受注することができたのだ。

イギリスは日本と美的感覚がまったく違い、色の使い方など、学ぶことはとても多かった。とはいえ、ロンドンで好まれるデザインに寄せてしまっては、日本で違和感を抱きながら「売れる」ものを作っていた頃と何ら変わらない。自分にしかできないことを模索し続けた。

ある日、市内で開かれていた骨董市へ足を運んだときのこと。日本では500円くらいで売られている陶磁器に1万円以上の値が付いているのを見て驚いた。

「陶磁器の町で生まれ育ったにもかかわらず、陶器にはまったく興味がありませんでした。そもそも、地元では陶磁器は買うものではなく貰うものでしたから、その価値もわかっていません。でも海外で日本の陶磁器が評価されていることを初めて知り、陶芸作品を通じて今の日本を世界へ発信することができたらと考えました。が、まだその頃はその世界へ入り込むエネルギーがありませんでした」

人間とドクロはコインの裏表。だから愛着が湧く

ロンドンから帰国したのは、2017年。30歳になる直前のことだった。時間だけはたっぷりあったので、陶芸作品を作ってみる気になった。

とは言っても、粘土をこねたり、ロクロを回したりするのではない。現在も行っている、素焼きした陶磁器に下絵を転写する技法だ。そのモチーフとなったのが、ドクロだった。

ドクロとの出会いは大学時代。あるアパレルブランドからの依頼で限定Tシャツにドクロをデザインしたのがきっかけだった。クライアントに言われるまま何度作ってもボツになり、やっとの思いで納品した。思い出したくもない辛い仕事だった。

ところが、それ以来、大学の授業中に教科書やノートの端にドクロの落書きをしている自分がいた。

「陶芸は、伝統と格式を重んじる世界。でも、もう少し敷居を低くして、ライトに、ゆるーく楽しんでもいいと思うんです。私にとって、ドクロはその象徴なんです。器にドクロを描いただけで、ポップな雰囲気になるでしょう? それが私の狙いです」

美濃焼は、国内で生産される陶磁器のおよそ半数を占めるといわれる。「特徴がないのが特徴」とされ、皿や茶碗、丼、マグカップなど家庭で日常的に使われる食器のほか、ノベルティ商品も数多く製造されている。

外資系の某テーマパークなどでお土産物として売られているキャラクター物のマグカップにも、美濃焼が使われているという。

「今でこそ工場から直接買い付けていますが、当初は市内のどこで作られているのかすらもわからなくて、神奈川県にある陶磁器のショップからネット通販で買いました(笑)」

アダチマリさんが手がけた作品で最初に注目されたのが、ドクロ柄の徳利とお猪口だった。日本古来の酒器である徳利やお猪口のフォルムとドクロが妙にマッチしている。しかも、徳利は1合から3合まで3種類あり、ドクロが指で合数を示すという実用的な部分も。

他にも皿や丼、タンブラー、マグカップなど多種多様。アダチマリさんの作品は、多治見市内にある陶磁器のセレクトショップ『山の花』のオーナー、花山和也さんによって見出された。現在もここで購入することができる。

さらに『山の花』を訪れた客の紹介で、ロンドンにあるショップにもアダチマリさんの作品が置いてあるという。また、友人の紹介でロサンゼルスのショップにも出品していて、いずれも高い評価を受けているそうだ。

「ドクロは死の象徴かもしれないけど、人間なら誰でも持っています。いわばコインの裏表のようなもの。だからこそ、愛着が湧くのだと思っています。将来は、陶磁器のみならず日本の伝統工芸品とドクロを融合させたいと思っています」

帰国したとき、ロンドンに再び戻る予定だった。だが、日本で出展をこなしていくうちに、海外での展覧会を通して日本の文化を発信していきたいと思うようになった。今後は日本を拠点に創作を続けていくという。

アダチマリさんの挑戦は、まだまだ続く。

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