地下女将軍が出迎えてくれる町「高麗」を歩いてみる(地味町ひとり散歩 21)

埼玉県の飯能と秩父の間に不思議な駅名を発見しました。その名も「高麗」。高麗(こうらい)と言えば、昔、朝鮮半島にあった国の名前で、今でも高麗人参にその名が残っています。

その高麗と関係があるのかないのか、実際に現地を訪ねて、散歩してみることにしました。ちなみに、駅名の読み方は「こま」ですね。日本風ということでしょうか。

高麗の駅前に出てみたら、いきなりズドーンとこんなものが建っていました。「地下女将軍」というのがなんか怖いですね。女将軍が地下からビヨーンと飛び出してきたのでしょうか。

やはりあの「高麗」と関係があるようです。こんな看板がありました。どうやら、かつて朝鮮半島から渡ってきた人々が集まってこの村を作ったようです。

僕は過去に4、5回、韓国に旅行をしています。ひとり旅もあれば、妻とふたり旅もある。友人たちと数人で、「すごろく旅行」というゲーム旅をしながら国内を一周したこともあります。

このときの愉快な旅の様子は、昔上梓した『すごろく旅行日和』(メディアファクトリー)という本の中で詳しく書きました。興味のある方はネットで探してみてください。

韓国を最初に訪れたときは、正直なところ、ちょっとビクビクしていました。国民の間に反日感情があって、石を投げられたという友達の話を聞いたことがあったからです。ところが、そのイメージはいい意味で裏切られました。

そういう人もどこかにいるのかもしれませんが、僕自身は「日本人ということで」嫌な目にあうことはありませんでした。むしろ「日本からわざわざ来てくれてありがとう」という感じで迎えてくれる人が圧倒的に多い印象でした。

なんとなくノリが関西人に近いというか、気さくで親切な人が多く、サービス精神も旺盛で、とても気持ちの良い旅を毎回させてもらいました。

ただ、カルチャーショックもありました。たとえば、肉屋の看板。日本だったら、豚・鶏・牛の絵が定番ですが、韓国の田舎町では、豚・鶏・犬なのです。犬がニッコリと微笑んで「おいしいボクを食べてワン!」と言っているのです。

釜山に立ち寄ったときのことです。観光スポットではないマイナーな市場に行くと、見たこともないほど巨大な食用猫が檻の中にいて、ビックリしました。一方で、その市場からさほど離れていない場所にペットショップがあって、ワンちゃんやネコちゃんがいるのです。食用とペット。韓国の人たちはいったい、どう区別しているのでしょうか。

ちなみに僕は、動物愛護団体の基準がいまひとつわかりません。どの動物が「愛護すべき動物」で、どの動物が「対象外」なのか。マジョリティの人たちの「カワイイ」が基準なのでしょうか。

僕の知り合いには、豚をペットとして部屋の中で飼っている人もいますが、豚は愛護の対象にならないのでしょうか。僕がずっと疑問に思っていることのひとつです。

さて、高麗(こま)の町の散歩を始めましょう。

ここは、トイレもなんとなく「朝鮮カラー」だと感じます。

朝鮮半島と言えば、かつての高麗(こうらい)は半島を統一した国で、今の韓国だけではなく北朝鮮も領土に含んでいました。でも、僕は残念ながら、北朝鮮にはまだ足を踏み入れたことがありません。もちろん興味はあるのですが、監視員が常に同行するなど、自由な旅は現状では難しそうですからね。

そんな北朝鮮をテーマにした『太陽の下で -真実の北朝鮮-』というドキュメンタリー映画があります。ロシアのヴィタリー・マンスキー監督が製作した記録映画ですが、最近、観る機会がありました。

この映画には、北朝鮮の学校で小学校低学年くらいの授業の様子が登場します。そこで教師が子供たちに「日本は悪い国です。憎みましょう」と何回も繰り返し復唱させるというシーンがあるのです。こんなに小さなころから、大人である教師に指示されて「日本は悪い国」と連呼しつづけていたら、余程の人でない限り、教育という名の洗脳から抜けることはできないでしょう。とても考えさせられる映画でした。

もっとも、僕ら日本人だって、さまざまな面で無意識に「洗脳」されていることはあるでしょう。洗脳に支配されないように、僕は大人になってからも、ごく単純なことでも「本当にそうなのかな?」「みんな盲目的にそう思っているけど、正しいのかな?」と考えるようにしています。

考えないで習慣に従っていたほうが、この世は楽に渡っていけるのかもしれません。でも、些細なことでも、常に疑問を持つことはとても重要なことだと、僕は思っています。

歩いているうちにお腹がすいてきたので、腹ごしらえです。トラックを改造した素敵なインドカレー屋さんを見つけましたが、残念ながらお休みでした。このままドライブしながら食べられたら、さぞ楽しいでしょうね。

代わりに、武蔵野うどんのお店「しょうへい」を見つけたので、入ってみることにしました。

ランチのセットメニューはこんな感じです。たぶん5年以上前なら、確実にカツ丼セットを頼んでいたでしょう。ところが、還暦のちょっと前あたりから、明らかにたくさんの量を食べられなくなっている自分に気づきました。なので、「ミニ」カツ丼セットにしました。ちょっと寂しい選択です。

ただ、実際に運ばれてきたカツ丼は、ミニのはずなのに十分な量がありました。手打ちのうどんも、無骨ながら腰が強くておいしかったです。

町歩きに戻りましょう。意外なことに、高麗駅の近くでは、韓国料理店や韓国食材店は一切見かけませんでした。

近くに「巾着田」という名所があるようなので、行ってみます。もともと川が蛇行していて、巾着のような形の土地だったそうです。そこに朝鮮半島から渡来人がやってきて、開墾したようです。

現在は曼珠沙華の群生地として知られていて、その時期になると観光客もやってくるようですが、僕が散歩したときはその季節でもなく、割と殺風景な場所でした。

ところで曼珠沙華って、なんと読みますか? 

実は僕が昔やっていた「たま」というバンドのレパートリーに、「オゾンのダンス」という曲があります。これは、フジテレビ系列のクイズ番組『なるほど!ザ・ワールド』のエンディングテーマにもなったので、記憶に残っている方もいるかもしれません。

この「オゾンのダンス」では、曼珠沙華を「まんじゅしゃが」と歌っているのです。それよりも前に、山口百恵さんの曲で、タイトルがずばり「曼珠沙華」という歌があり、そこでもそう歌っていたと記憶していたのですが、調べてみると百恵さんは「まんじゅしゃか」と歌っていました。

さらに辞書を調べてみると、曼珠沙華の読みは「まんじゅしゃげ」となっていて、混乱してしまいました。どれが本当に正しいのかは、いまだに不明です。

「リバーサイド」というと、なんとなくオシャレなイメージがありますが、こちらは地味な入居者募集です。もっともリバーサイドは、日本語で言えばただの「川ぞい」ですものね。

リバーサイドと言えば、井上陽水さんの歌で「リバーサイドホテル」というのがありますね。僕は、陽水さんの故郷でもある福岡県にライブで呼ばれて行ったとき、主催者の方に「あれが陽水さんの歌っていたリバーサイドホテルです」と教えてもらったことがあります。ところが、そこはあまり綺麗じゃない川のそばにある、くすんだ雰囲気のホテルだったので、歌のイメージとのギャップに驚きました。

再び、散歩に戻ります。巾着田の近くに無料の民俗資料館があったので、中に入ってみます。なかなか年季が入っています。

どうやらこのあたりでは、かつてお菓子を作っていたらしく、その型がありました。

こんな大きな子供のお菓子もあったのでしょうか? お尻が体の前に付いているようで、なんだかちょっと奇妙です。

この資料館で一番驚いたのがこれ。アナログレコードです。僕が30歳近くになるまでは、音楽を聴くと言えば、このアナログレコードでした。それが今や「民俗資料」として扱われていたのは、ショックでしたね。

ちなみに、僕のバンド「たま」が1989年にインディーズで出したアルバムは、アナログレコードでした。翌年の1990年にメジャーデビューしたとき、レコード会社の人はメディアをどうするかで悩みました。

なぜなら、そのころはちょうど、アナログレコードからCDへの転換期だったからです。アナログレコードは少なくなってきていましたが、CDデッキがどこの家にもあるほど普及しているわけではありませんでした。結局、新しいメディアであるCDと一番普及しているカセットテープの二本柱で発売することになりました。

今はそのCDすら、消えようとしています。逆にカセットテープやアナログレコードは「レトロでカッコイイ」と再発売されている状態なのですから、変な感じですね。これから10年後あるいは20年後、音楽の聴かれ方はどういう形がもっともポピュラーになっているのか、誰にもわかりません。

集落の細道を歩いていると、ちょっと気味が悪く感じるものがありました。唐突な服を着た巨大ウサギ。

こちらは、体の表面が黒ずんで、溶けたようになっている子供。

みつばちも襲ってくるようなので、そろそろこの町もおいとましよう。そう思ったところ、お寺がありました。最後にお参りでもして帰ろうと思って、石段を上がっていきました。すると、こんな看板が・・・

ぎゃあ、打首ぃぃぃぃっ!

鋭利な刃物によって一刀両断に首が切断されて、頭がゴロゴロと坂道を転がっていくうぅぅぅ~っ。

そんな光景に身震いして、僕は慌てて電車に飛び乗りましたとさ。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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