ヤギやウマやザリガニ…都心なのに動物が多い「面影橋」(地味町ひとり散歩 35)

今回は、名前に情緒が感じられる「面影橋」を散歩してみることにしました。

江戸時代は風光明媚な名所だったようです。

でも、現在はご覧の通り、単なる住宅街の中のコンクリートの橋で、風情もへったくれもありませんでした。

昔、NSPというフォークグループの「面影橋」という曲がプチヒットしましたけれどね。

絶対に遅刻できない「チンチン電車ライブ」の思い出

面影橋は都電荒川線の駅です。東京都内で唯一残るチンチン電車として有名です。

実はこのチンチン電車は格安で貸切ができるのです。僕も二度ほど、知人が車両を借り切って主催した「チンチン電車ライブ」で演奏したことがあります。

チンチン電車は路上を走っているので、信号機が赤になると車と同様に停車します。走っているときは、電車の走行音であまり聞こえません。でも、止まると突如、僕の大きい歌声が交差点にこだまして、通行人たちが驚いたような目で見ます。ある種のドッキリのようで、ニヒヒと楽しくなりました。

ただ、チンチン電車は予想以上に揺れます。ギターを抱えて立って歌うときは、誰かに体を押さえてもらわないといけません。さもないと、電車内を「ウオォォォーッ」と転がって、強制でんぐり返しをする羽目になるのでご注意を。

貸切の場合は、お客さんもミュージシャンも、絶対に遅刻できません。なにせ「何時何分発」で借り切っているので、何があろうとその時刻に発車してしまいます。

東京ではなく大阪のチンチン電車で、あわやという出来事がありました。「ホルモン鉄道」というオッサン二人のユニットで、貸切ライブをしたとき、富山から車で来た相方が道に迷って、発車1分前に到着したのです。相方は楽器を投げ入れて、電車に飛び乗ることに。そんなスリリングなこともありました。

なつかしの「都電荒川線すごろく旅行」

このチンチン電車でもうひとつ思い出すのは、昔、テレビブロスという雑誌の巻頭ページで「石川浩司の都電荒川線すごろく旅行」という記事が組まれたことです。

すごろく旅行というのは、僕が発案した「どこに行くかわからない旅行」のこと。サイコロを振って下車駅を決め、そこで自分たちが作ったクジを引いて「その町でやることを決める」という旅行です。僕は「すごろく旅行のすすめ」(筑摩書房)、「すごろく旅行日和」(メディアファクトリー)という旅行記を上梓しました。

その後、北海道のローカルテレビ局から「石川さんのすごろく旅行をヒントに番組を作ってもいいですか」と聞かれました。気軽にOKして、作られたのが「水曜どうでしょう サイコロの旅」。大泉洋さんが大ブレイクするきっかけとなった番組です。

では、テレビブロスに掲載された「都電荒川線すごろく旅行」の一部を抜粋してみましょう。

 

次のサイコロの目で出たのは、面影橋からふたつ目の「鬼子母神前」。と、駅に着いたのにドアが開かない。

「?」

と、なんとこのチンチン電車は、バスのようにブザーを鳴らさないと下車のドアが開かないのだった。すんでのところでブザーを鳴らし、みなで大慌てで飛び降りる。

さぁ、クジは。

「標的をひとりみつけ、あとをバレないようについていき、その標的の動作をすべてまねる」

ちょうど頃合いのよさそうな、頭のハゲたおっさんが目の前を歩いている。俺達はその後ろから、少し離れておっさんの動作をマネしながらつけ始めた。

どうもおっさんは尻がカユイのか時々ぼりぼり掻きながら、少しうつむきかげんに歩いている。俺たちも尻をぼりぼり掻きながら、うつむいてついてゆく。また、腹具合でも悪いのか、自分の腹も時々撫でるような動作をする。俺たちももちろん腹を撫でながら歩いていく。

やがて鬼子母神の近くまできたおっさんは、やおら公衆便所にと入っていった。俺は意を決しておっさんのすぐ横のもうひとつの便器でおっさんと同じように小便を始めたが、これはさすがに女性陣はまねできないので、トイレの外で、前をモゾモゾさせながら、立ちつくすしかなかった。

と、おっさんは手も洗わずに出ていく。むむむ。規則違反だとは思ったが、俺は手を洗わせてもらった。

「おっさん、こっちの身にもちょっとはなってくれ!」

心の中で叫んだ。

やがておっさんは植え込みの所に腰掛けると、タバコを吸い始めた。こんなこともあろうかと、俺も吸えないタバコを用意周到、持ってきていたので、フカすだけ、フカす。

と、今度はおっさんの手にいつのまにかビールのロング缶が握られている。どうやら、先ほど腹をごそごそやっていたのは、腹具合がおかしかったのではなく、腹にこのロング缶を忍ばせていたかららしかった。さすがにそこまではこちらも用意できなかったので、全員でしゃがみ込み、飲み物を口に持っていく動作だけをマネる。

と、おっさんには気づかれていないのだが、マネージャーが向かいの方に座っていた別のおっさんにジィーッとその不自然な行動を見られていたらしく、我慢できずに照れながら戻ってくる。

さて、10分ほどおっさんの動作を全員でコピーしていたが、おっさん、一向に動く気配がない。へたすりゃ、日が暮れるまでここでボーッとしてそうな勢いなので、とりあえずクジは終了し、鬼子母神でお参りしたり、創業300年という境内の駄菓子屋で名物のみみずく人形を買ったりした。

このように電車内ライブやら、すごろく旅行やらの思い出のあるチンチン電車が行き交う町を、今日はゆっくり散歩してみましょう。

基本的にこのあたりは住宅街なのですが、なにかないかなとウロウロしていると、きれいな庭園が現れました。ちょっとスッキリしてから歩こうと思い、トイレの看板の矢印に沿って進みました。

行った先には、こんな看板が。

危なかったのは、冬場は午後5時以降にトイレが使えないということです。それ以外の季節も午後7時以降は利用できません。

このときは昼時だったので大丈夫でしたが、もし夜間にこの矢印にしたがって駆け込んだら、とんでもない失態を犯す可能性があります。そのことは覚えておいてください。

ここはどうやら神社の併設庭園らしいのですが、「ここら辺にポケストップないかな~」などと、ゲーム機を持ってうろついている人は注意してください。神主さんに「この不敬者!」と怒られるかもしれませんので。

 

突然、ヤギが現れて、ギョッとしました。

馬も現れました。こんな都会のど真ん中に。このあたりは動物多発地域なのでしょうか。

しかし、逆に犬は、散歩させてはいけないようです。なかなか変わった町ですね。

少し大きな通りに出ると、商店も見えてきました。ここは早稲田大学が近いです。昔、ソロで学園祭に呼ばれたことを思い出しました。

「リアルクロコ」とはなんじゃらほい。と思ったら横に「爬虫類カバン」と書いてありますね。クロコとは「黒子」のことではなくて、「クロコダイル」なのでしょうね。

ザリガニ専門店もありました。僕はザリガニ丼は遠慮しておきます。誰かチャレンジしてみてください。

このあたりは古本屋街でもあります。あいにく日曜だったので、学生街のこの町では、ほとんどのお店は定休日でしたが、未だに西城秀樹さんの写真集を売っているお店もありました。僕の中学生時代のヒーローです。

本人が直接描いたものかは定かではありませんが、僕らの時代の「ほのぼの系漫画家」の大御所、永島慎二さんの絵が描かれた古本屋さんのシャッターもありました。

ちなみに永島慎二さんは、「たま」がまだアマチュアだったころにライブを観に来られたことがあり、ビックリしました。もう40年近く前の話ですが。

 

面影橋の近くを歩いたのは、2022年の冬。コロナについても、いろんな見解があることがわかった散歩でした。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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