伝説の野外フェスの里「中津川」にリニアがやってくる?(地味町ひとり散歩 31)

岐阜県の山間の町、中津川というと、みなさんは何を思い浮かべるでしょう?

これを読んでいる読者のみなさんは年齢もバラバラでしょうが、僕のような60歳くらいの年代で、特に音楽好きな人なら思いつくことはひとつだと思います。「中津川フォークジャンボリー」です。

今や「野外フェス」というものは、音楽ファンにとって定番となっていますが、その先駆けと言えるのが中津川フォークジャンボリーでした。1969年から71年にかけて開催されたので、もう50年以上も前のことですね。

フォークと銘打っていますが、ロックやアングラなど、今で言うサブカル系のアーティストも出演し、3回目には当時としては異例の2万5000人を集めました。

主な出演者は、吉田拓郎、友部正人、高田渡、なぎらけんいち、はっぴいえんど、五輪真弓、あがた森魚、浅川マキ、かまやつひろし、遠藤賢司、岡林信康、三上寛など。マニアックながらも、伝説的なミュージシャンとして名を残している人ばかりです。

1969年といえば、僕はまだ8歳。さすがに岐阜県の山間部まで、フォークジャンボリーを観に行ける年齢ではありませんでした。しかし「伝説の音楽祭」として名を馳せていたので、中津川は、一度訪れたいと思っていた町でした。

鳥肌が立った三上寛さんのステージ

フォークジャンボリーの出演者で僕が一番影響を受けたのは、三上寛さんです。高校生のときにライブを観て、ガガーンと衝撃を受けました。当時の僕は詩をちょっと書いていて「これを歌にしてみたいな」という気持ちがありました。

でも、とにかく手先が不器用でした。ギターは持っていたけれど、押さえられるコードが3つか4つしかありません。いわゆるバレーコードと呼ばれる、人差し指で全部の弦を押さえるコードを弾くことができなかったのです(今もできません)

このバレーコードができないと、ギター弾きとしては致命的です。既成の曲のほとんどは、どこかでバレーコードを使うFやBといったコードが出てくるため、弾くことができませんでした。なので「自分はギターの弾き語りは一生できないのだな」と思い込んで、諦めていました。

ところが、三上寛さんのステージを見ていると、寛さんもほとんどバレーコードを使っていないことがわかりました。彼は簡単なコードだけで、しかし圧倒的な迫力の歌の力で、鳥肌が立つような凄いステージを繰り広げていたのです。

それを見て「僕ももしかしたら、こういう方法ならできるかも」と思い、「弾けるコードだけで曲を作って歌ってみよう」という気になりました。

その後、僕はその方法で曲を作り始め、ライブハウスのオーディションなどに出場するようになりました。そうして現在に至るわけですが、もしもあのとき、三上寛さんのライブに行かなかったら、僕の人生は大きく変わっていたかもしれません。

寛さんとはその後、共演することができました。ライブセッション中に、(パフォーマンスとして)寛さんの首を後ろから紐で締め、歌を終わらせるという暴挙にまで至ったこともあります(笑)

友部正人さんは、僕がライブハウスに出るようになってから、最初に前座をやらせていただいたプロのシンガーです。その後、たまがデビューして「友部正人+たま」で一枚のアルバムを作り、全国ツアーなどもしました。

友部さんの詩は、もはやシンガーソングライターの域を超え、現代詩人としての評価も確立していますが、今でもときどき共演させていただくことがあります。

高田渡さんは、酔っ払いシンガーとして有名でした。渡さんが亡くなる少し前、僕は、パスカルズというバンドの演奏中に、ちょっとおバカなパフォーマンスをしたことがあります。そのとき、客席にいた渡さんから「石川、もっとやれー!」という声援が飛びました。それが、最後にいただいた言葉でした。

そんな数々のミュージシャンゆかりの地・中津川に、2022年の冬、初めて足を踏み入れてみました。

駅前は、木曽の観光地である妻籠や馬籠に行く拠点となっているようで、多少の観光地感もありました。でも、コロナ禍ということで、観光客らしき人はほとんど見かけませんでした。

駅前にはリニアモーターカーの広告があちこちにありました。どうやらここ中津川にも駅ができるようで、なんと品川まで50分です。

現在、僕は都内に住んでいますが、品川まで一時間以上かかります。なので、品川に会社がある人なら、僕が住んでいるところよりも、中津川のほうが通勤しやすいということですね。

 

 

ちょっとレトロな感じのお店が多かったです。懐かしい駄菓子屋さんもまだまだ健在です。

僕は子供のころ、駄菓子屋さんが大好きでした。今では、このようなスタイルの独立した駄菓子屋さんはほとんど消えてしまいましたね。

ショッピングセンターやスーパーマーケットの一角で玩具菓子として売られていることはあっても、個人経営のお店はほとんど姿を消してしまいました。僕が子どものころは、町に必ず一軒はある駄菓子屋さんで、お金の使い方を学んだものですが。

万引きをした友達なんかもいて、お店のおばさんに「警察を呼んで牢屋に入ってもらうよ!」などと激しく怒られていました。駄菓子屋さんは「人のものを盗むと犯罪者になる」ということも教えてくれた、社会勉強の場でした。

自宅の一角に作った「駄菓子屋コーナー」

僕は親の教育方針により、一般的な友達よりもおこづかいが少なかったです(その代わり、本などは別に買ってもらえましたが)。そんなわけで「いつか駄菓子屋で思う存分、買い物をしてみたいなあ」というのが、当時の夢でした。

そういう夢はたいてい子供のときに思うだけで、大人になったら忘れてしまうものです。しかし何事もしつこい性格の僕は、そのことを大人になっても忘れませんでした。

その結果、20歳を過ぎたころから、駄菓子というか「駄菓子屋で売っている駄オモチャ」、例えばスーパーボールのクジや変な人形、昔のアイドルの文房具、シールやお面などを集めるようになりました。

子ども時代より自由に使えるお金があるのをいいことに、駄菓子問屋にまで行って、まとめ買いをしました。果ては中国やメキシコなどにも買い付けに行き、ついには自宅の一角に駄菓子屋コーナーを作りました。

ちょうど家の奥に、裸電球ひとつの狭いスペースがあったので、そこに昔の駄菓子屋よろしく、いろんなオモチャを所狭しと天井からぶら下げました。そこだけ見たら、昭和時代に普通に営業している駄菓子屋のようです。「自宅の中に駄菓子屋があるインテリア」として、リビング雑誌の取材を受けるほどになりました。

今はその家も引っ越して、オモチャも人にあげるなどして処分してしまいましたが、このように、子どものころの欲求不満が大人になって爆発することがあります。お子さんを育てている方は参考にしてください。

さて、町歩きを続けましょう。正直な人限定のお店もありました。10円玉や50円玉1つでは買えませんよ。注意してくださいね。

山が近いだけあって、木彫りの人形なども売っていましたが、ずいぶん安いですね。

この立派な馬はたったの550円、見事な鷲は1100円です。円の前に「万」が付いてもおかしくない、木彫り人形の価格破壊です。まるでコストコです。

酒屋さんの前には、子供が描いたと思われるポスターが貼られていました。そのポスターには、「子どもものんでみたい!!」と書かれています。

まあ、こんなものを描かされたら、子供もそう思ってしまうのは仕方がないかもしれませんね。お酒は20歳からです。

最近、選挙権が18歳からになったんですよね。18歳から20歳までは、ときに子ども、ときに大人という微妙な年齢になってしまいましたね。

この教会には行けませんでしたが、さり気なく書かれた「ちんちん石」が気になります。一体どんなものなのか、ちんちんと音が鳴るのか、それとも形状がそうなのか。何かご利益でもあるのでしょうか。

公園には謎の遊具がありました。これはどうやって遊ぶのでしょうか。もしかしたら遊具ではなく、UFOがちょっと休憩しているだけなのかもしれませんが。

公園内にあるトイレには「さわやかさん」という名前が付いています。トイレに行くことを「お花を摘みに行く」とか「レコーディングに行く(音入れに行く)」などと曖昧に表現することがありますが、この町では「さわやかに行く」と言うのかもしれませんね。まあ、爽快になることは確かですね。

ふと目を上げると、こんな気持ちの良い風景が広がる町でした。

これからも、マナーを守ってひとりで散歩をしようと思いました。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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