まさか「南宮崎」にサンタが住んでいるとは思わなかった(地味町ひとり散歩 11)

写真だとよくわからないが、ホームの屋根の下に「みなみみやざき」と書かれた看板がある

2月の下旬に、宮崎県の芸術文化協会から仕事の依頼があり、およそ20年ぶりくらいに宮崎を訪れました。

今回の仕事は、1日目が「石川浩司、みやざきをたたく」という映像撮影。どんな物でもパーカッションにしちゃう僕が、宮崎の観光地などを周り、風光明媚な景色の中、素手やスティックで銅像や樹木や石を叩いて、いろんな音を出すという映像の撮影でした。

古い一軒家にある様々な物を叩いて「音遊び」

去年、練馬区の企画で、古い一軒家を丸ごと楽器に見立てて、台所や縁側や子供部屋などにある物を次々叩いて音遊びをするという映像を撮ったんですが、宮崎県の人がそれを見て、今回の企画を考えたんだと思われます。

2日目は、その映像を観ながらのトークやギター弾き語りのソロライブ。

3日目は、宮崎県で一番大きいというホールで、主にハンディキャップのある人を主体とした県主催のパフォーマンスコンテストがありました。僕はその審査員をしつつ、地元のミュージシャンとガラクタパーカッションで即興のセッションライブをしました。

どれもなかなか面白い仕事で、楽しかったです。

そして、帰路につく前に、せっかくのチャンスだからと地味町を探したところ、「南宮崎」に白羽の矢が立ちました。

駅名は「南宮崎」ですが、改札を上がると「マンゴー駅」の看板があって、記念写真が撮れるようになっています。たしかにマンゴー駅のほうがインパクトは大きいです。早くこちらを正式名称にしたほうがいいですね。

駅前には大きな椰子の木がありました。さすが南国・宮崎。そういえば、昔は新婚旅行と言えば宮崎、という時代があったんですよね。最近は日本の南国と言うと、すっかり沖縄にお株を取られた感じですけれども。

でも、たしかに東京よりあったかくて、どことなくのんびりした空気が漂っています。

さて、散歩する前にちょっと駅のトイレに。最近は年齢のせいで少々頻尿なので、とりあえず入っておきます。と、こんな貼り紙が。

でも、これはもしかしたら捨てているのではなく、便器を食器として使用している妖怪がいるのではないのでしょうか!?  

まぁ、あまり深く詮索せずに、次に行きましょう。

住宅街の中に唐突にあったのが、この「サンタのおうち」。なんとこんなところにサンタさんは住んでいたのですね。てっきり、もっと寒い国に住んでいるものと思っていました。

そういえば、僕はサンタさんともバンドを組んでいるのです。

2年前から活動している「荻窪ヒッターズ」というユニットです。メンバーは、僕と、ワハハ本舗の座長でポカスカジャンの大久保ノブオさん、東京パノラママンボボーイズのパラダイス山元さん。

三人全員がパーカッションという変わったユニットなのですが、パラダイス山元さんは史上最年少の35歳で「公認サンタクロース試験」に合格し、グリーンランドの国際サンタクロース協会に正式に認定されました。彼はアジア初の公認サンタクロースなのです。

それにしても、まさかサンタクロースが普段は宮崎に住んでいるとは思いもしませんでした。きっとこのおうちには、世界各国のサンタさんがギュウギュウに詰まっているのでしょうね。

ちなみに、公認サンタクロースは基準として体重が120キロ以上ないといけないとのことなので、さぞかし暑くるしいでしょう。そんな光景を思い浮かべました。

こんな貼り紙も見つけました。「こうじが元気」と、僕のことを応援してくれています。

実際、僕は最近元気なのです。もともとすごく虚弱な体質で、子供のころは毎週のように熱を出していました。体温計の目盛りのないところまで高い熱が出たこともあり、お医者さんに「この子は今夜が峠かもしれません」と言われたこともあるくらいでした。

大人になった今でも、年に2、3回は高熱を出してぶっ倒れることがあるのですが、コロナ禍になった途端、なぜか体調が良くて、元気になってしまったのです。

これはいつもマスクをしているおかげかもしれませんが、もともと疲労から来る発熱が多かった僕には、仕事が減ってステイホームが続いたことがとても効果的だったようなのです。

禍転じて福と為すというか、こういうこともあるのですね。グータラ環境で、浩司は元気です。

こんな看板もありました。たしかに「辛」という字は「幸」にも見えますが、逆に「幸せ」という字も「辛い」に見えますよね。しかしどうして、ツライとカライは同じ字なのでしょうか。カライものが好きで、幸せを感じる人もきっといますよね。

フクツウ宅配便。腹が痛くて真っ青になりながら配達をしているのでしょうか。場合によっては、トイレを貸してあげたほうがいいでしょうが、できたら健康なときに配達していただけるほうがありがたいですね。

ここは白髪染めはしてくれるけれど、カラーリングは絶対にしてないという断固たる思いのある美容室でしょうか。カラーの髪がトレードマークの芸能人さんたちは来られませんね。

ちなみに、今まで僕は髪を染めたことが一度もなく「還暦が近いのに白髪がほとんどないのは奇跡的」とも言われています。まあ坊主なので、ほとんど意味はないのですが。

こんもりと木の茂っている場所があったので行ってみると、赤江町古墳と書かれていました。

しかしそこに並んでいるのは、首無し地蔵ばかり。どちらかというと、体より頭があったほうがいいですね。なんで首というのは、こうももげてしまうものなのでしょうか。

昼間だったので良かったですが、夜に突然ここに迷い込んだら、僕も首をもがれて石化して、ここに安置されてしまう気がする、ちょっとゾッとする空間でした。

僕のパーカッション人生は「ゴミ捨て場」から始まった

道を歩いていると、ゴミ捨て場に「資源物の持ち去り禁止」の貼り紙がありました。

なんてことはない貼り紙ですが、これにちょっとドキッとするのは僕だけでしょうか。

昭和の時代はあまりこういう厳しい言葉は書かれていませんでした。20代の若くて貧乏だった僕は、「燃えないゴミの日」の夜中に、当時住んでいた高円寺の街中を宝探しの気持ちでよく散歩したものです。まだまだ使える電化製品や古本などをゴミ捨て場から拾ってきて、活用していました。

その中でオヤッという物を見つけたこともありました。まだまだ使えるスネアドラムがひとつ捨ててあったのです。

当時僕はライブハウスでギターの弾き語りをしていましたが、同年代の同じようなアマチュアミュージシャンとお遊びでセッションすることもあったので、「これは使えるぞ」と持ち帰ったのです。それが僕の人生の大きな分岐点になるなんて思いもよらずに。

その後「たま」を結成するとき、「石川さんは太鼓持ってたよね」ということでパーカッション担当になりました。そこから僕のパーカッション人生が始まったのです。

ゴミを漁るような性格じゃなかったら、まったく違う人生を歩んでいたかもしれません。ある意味、ゴミに助けられた人生と言ってもいいでしょう。ゴミよ、ありがとう。

さて、お腹が空いてきました。南宮崎駅の1階にザ・昭和の食堂「ライオン」があったので、入ってみます。

何か地元っぽいメニューはないかなと探したところ、椎茸丼が目についたので頼んでみました。とても肉厚な椎茸がたっぷり入っていて、おいしかったです。

ぼちぼち帰りの飛行機の時間も迫ってきました。名残惜しいけど、腰を上げることにします。空港までは2駅なので、近いです。

「東京で使ってるSUICAは使えるかな」と切符売り場の貼り紙を見てみると、使えることは使えるのですが、使える範囲がたったこれだけ!

それ以上遠くに行く人は、ちゃんと切符を買わなければならないという、南宮崎の町でした。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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