鶯谷のブランコでよみがえった記憶、親父が教えてくれた「大人の教訓」(地味町ひとり散歩 13)

4月の中旬、東京の代々木公園で僕が現在やってるユニットのひとつ、Mont.Barbara(モンバーバラ)のCDジャケットの撮影会がありました。日の光のあるうちに撮影を済ませようということで、お昼から始めて1時間ちょっとで終了。時間ができたので、僕は散歩することにしました。

しかし代々木公園の最寄り駅・原宿は、東京のど真ん中。これから地方に行っても日が暮れてしまうと思い、山手線の中で一番「地味」な町を探してみました。

山手線で「乗降客数が一番少ない駅」をネットで検索。すると鶯谷の名前が上がったので、早速そこに急行しました。もっとも、山手線に急行は存在しませんが。

鶯谷。ここは特徴のある町です。東京の北の玄関・上野の隣駅ということもあり、ご存知の方もいると思いますが、ズバリ、ラブホテル街です。

駅前には、いわゆる普通の商店街は全くありません。代わりに、ラブホテルがズラーッと並び、その隙間に飲み屋が顔を出すという、かなり特殊な光景が現れます。

僕が散歩したのは昼間だったのでまさに「地味町」でしたが、夜になったらそこそこ派手になる予感がヒシヒシと感じられる町ですね。

「コスプレ100種類」鶯谷のラブホテル

ただ、昼間とはいえ、日曜日だったので、写真撮影には注意しました。

なぜならホテルから出てきたばかりで、まだ愛の湯気がホワンホワンと漂っているようなカップルも歩いていていたからです。プライバシー保護が厳しい昨今、写真に彼らが映らないように気をつけなくてはならなかったのです。

ホテルによって、いろんなサービスがあるようです。しかし「コスプレ100種類」とはすごいですね。

普通に想像すると、メイドさんとか看護師さんとかCAさんとか学生服ぐらいしか思いつきませんが、100種類だと、鎧や甲冑とかもあるのでしょうか。ガチャガチャと激しい音を立てて、かなり動きづらいとは思いますけれど。

僕も結婚前は、アパートの部屋に猫ノミがたくさんいたので、利用したことがあります。でも、ラブホテルより、和風の連れ込み旅館のほうがなんとなく風情があって好きでしたね。今はほとんど見かけることがなくなりましたが。

そういえば、昔は回転ベッドなどを置いているところも多かったですが、1985年に風営法が大幅に改正されたときに基準が変わったそうで、それ以降に建てられたラブホテルには設置されなくなったようです。

あれはあれで、昭和遺産と言ってもいい、味わい深いものだったのですけどね。

こちらの飲み屋の貼り紙には「でも、飲まなくても、いいですよ。」と書かれていましたが、そう言われると逆に、絶対飲まなければいけない気分になりますね。

もしレストランで「でも、食べなくても、いいですよ。」と書かれていたら、複雑な気分になりますが。

「月額4600円で毎日2時間飲み放題」というお店もありました。これは剛気ですね。1日あたり約150円です。これが自分の家の近所にあったら、絶対会員になってしまいそうです。

まあ、僕が以前、歌舞伎町の居酒屋で出会ったような、料理は安いけれど「お通しが3000円になりま~す!」という店だったら困りますけれども。

支配人の名前だけは、ハッキリわかるお店ですね。看板には「見た目は怖いけどたぶん良い人!たぶんね!」と書かれています。おそらくですが、若干怖い人のような気がします。

鶯谷の古びた喫茶店で味わう「ひとりカレー」

「想像してください、焼肉ですよ」。実際に想像してみたら、焼肉が食べたくなってきました。

でも、ひとり焼肉というのもなんだなと思って通りすぎたら、蔦のからまる渋い喫茶店が現れました。

「せもりな」と読むのでしょうか。カランコロンとドアを開けて、入ってみます。

注文したのがこちら。野菜カレーとカツカレーが同じ750円だと、どうしてもカツカレーを選んでしまうのは、長年の貧乏が染み付いてるからでしょうか。

カツも注文が入ってからゆっくりと揚げ、いかにも昭和の感じでおいしかったです。

「この先、自転車は降りて通行してください」。逆に、この階段をウオオオオーッと自転車を漕いで上がれる人がいたら、相当の猛者でしょうね。

鶯谷は昔ながらの歓楽街ということで、最近見ることの少なくなったダンスホールなどもありました。紳士淑女たちが華麗に舞っているのでしょうか。

おそらく還暦過ぎの人たちばかりでしょうから、かなりヨタヨタだと思われますが。

「東京キネマ倶楽部」。ん?・・・何か記憶があります。たしか10年以上前に、僕も出演したことのあるホールでした。

ウクレレ大会のイベントでしたが、ウクレレを触ったこともない僕になぜかオファーが来ました。「すみません、ウクレレは弾けないので」と断ろうとしたら、「いえいえ、ウクレレは1週間で弾けるようになりますから、ぜひ出演してください」と強く依頼されました。

結局、イベントの1週間前に主催者からウクレレを借りて、簡単なコードだけ覚えて歌ったことを思い出します。ウクレレを触ったのはそのときだけ。また触ってみようかな。

公園に行くと、今では珍しくなった回転ジャングルジムがありました。これ、正式名称は「グローブジャングル」というらしいです。ネットで検索したところ、このグローブジャングルを世界で初めて開発したのは日本の会社だったようですね。よ

最近はこういう感じの遊具は危険だということで、取り外されていることも多いようですが、僕の子供時代はよく遊んだものです。懐かしいな。

ちなみに「たま」というバンドの僕のレパートリーで「学校にまにあわない」という歌があります。

「みんなと遊んでいた うちの近くの第三公園」という歌詞が出てきますが、これは僕が50年前に住んでいた家の近所にあった、前橋市三俣町の三俣第三公園のことです。

現在は三俣町五反田公園という名称に変更されているようで、僕が遊んだグローブジャングルも撤去されてしまったみたいですが。

鶯谷のTシャツがあったら着てみたい

鶯谷の公園には、ちゃんと椅子が付いているブランコもありました。ここで突然、子供のころの記憶がよみがえりました。

父親と二人で公園に行ったときのことです。僕がブランコに乗っていると、親父はブランコの前にある鉄柵に上がってバランスを取りながらヒョイヒョイと歩いていました。僕が小学二年生ぐらいのときですから、親父もまだ30代。ちょっとひょうきんな父親も、子供の前でカッコつけたかったのでしょうか。

と、突然、親父はバランスを崩すと、その鉄柵からズルリと滑り落ちました。柵に股間を強打しています。親父はしばし悶絶した後、僕に向かって反面教師のようにこう言いました。

「浩司・・・こういうところは危険だから、歩いちゃ駄目だぞ・・・」

しかし顔は完全に歪み、苦悶の表情を隠しきれませんでした。このとき、僕は

「大人でも、カッコ悪いことはあるんだな」としみじみと学びました。

さて、ぼちぼち散歩も終わりにしようか。そう思ったら、こんな看板が。

「I 💗 UD」

UD・・・あっ、鶯谷のことか! もしこのロゴのTシャツがあったら、ちょっと着てみるのも乙かな、と思いました。

UDがどこの地名なのか、一発でわかることは決してないでしょうけれども。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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