シャーロックをモデルにした「ロングコート」 僕があえて着る理由

著者のプロフィール用の写真

ある夏、何人かの人からプロフィールでよく使っている写真について問い合わせがあった。「なぜ、真夏なのに冬のコートを着たものを使っているのか?」というものだった。

なぜ……。確かに考えてみると、真夏用に軽めの衣装の写真も用意しておけば良かったのだろうけど、僕は用意していなかった。なぜ用意していなかったか。

質問に答えようと考えてみたが、結局、このコートが僕にとっても大事な一着だからという答えしかなかった。

新聞社を辞めたワケ

そんなわけで、話は2015年冬に遡る。この年の年末を持って毎日新聞を退職し、立ち上がったばかりのBuzzFeed Japanに移ることを決めていた。

これも理由を聞かれることが多いが、単純に新聞特有の文体以外でニュースを伝える方法を模索したいと思っていたというのが最大の理由だ。

僕はニュースの伝え方にはまだまだ可能性があると思っていたし、もっと冒険が可能だと思っていた。自分の考えを一定の責任を持って形にするために、新聞よりも小さな組織に移るのは僕にとっては自然な流れだった。

結果的に移籍から約2年で、さらに小さな「個人の名前」で勝負する世界にまでいくとは思っていなかったのだが……。

憧れのホームズとロングコート

それはさておき、本題に戻る。一応、毎日新聞からは退職金が出るという。せっかく基礎を身につけた思い入れのある職場をやめて、新しい世界に踏み出す。いつまでも「新しいニュースの伝え方を探求する」という初心を思い出すようなものを買おうと、密かに決めていた。

長く着られて、冬にぴったりのアイテムということで浮かび上がったのがコートだった。完全フルオーダーで仕立てた、世界にたったひとつしかないコート、真冬に袖を通すたびに初心を思い出す。我ながら、良いアイディアではないかと思った。

コートのモデルは決めていた。大好きなBBCのドラマ『SHERLOCK』でベネディクト・カンバーバッチ演じる主人公のシャーロック・ホームズが着ているロングコートである。

シャーロック・ホームズは僕の子供の頃からのヒーローの一人だった。知的に論理的に、相手を追い詰めていき、些細なことであっても決して見逃さない。

BBC版に刺激を受けたのは、クラシックなシャーロック・ホームズの冒険譚から、重要な構造を抜き出して、現代に再構築すれば物語が成立すると考えた制作陣のアイディアそのものだった。

新聞で学んだクラシックな取材スキルとニュースを使い、メディアに合わせて伝え方を変えれば、ニュースの世界も……と想像を膨らませた。

物語はもちろんのこと、衣装面で象徴になっていたのが彼の着ていたコートである。ホームズといえば鹿撃ち帽で、パイプをふかして、ケープがついた上着を羽織る。

そんなイメージを見事に壊し、クラシックなアルスターコートをベースにした、しかし、今っぽくアレンジしたロングコートを着る。現代によみがったシャーロック・ホームズはコートの裾を風にたなびかせながら、冬のロンドンを駆け抜けていた。

クラシックでありながら現代的、奇を衒(てら)わないのに個性的、シンプルなようでディティールに凝っている。物語も衣装も考え方も、僕の好みだった。

世界にひとつだけのオーダーコート

BBC版で実際に着ていたコートのメーカーは検索で特定できたが、そのまま同じというのは僕のスタイルではない。さてどうするか。

有給休暇を取っていたし、なにより贅沢なことに、考える時間だけはたっぷりあった。凝った服を丁寧に仕立ててくれるテーラーにお願いしようと、青山にある「LOUD GARDEN」に向かった。

店主の岡田亮二さんに退職とコートのことを説明した後、こんな会話をした。

「岡田さん、アルスターコートってオーダーできます?」

「できますよ。なんでも相談してください」

「これなんですけどね」と『SHERLOCK』の画像を見せる。

「あー、伝統的な形ですね。袖の形も問題ないですし、背中にベルトですね……。もうちょいシルエットは細くするとして、問題は生地でしょうね」

「コート生地? いっぱいあるじゃないですか」

「いえいえ、この手のコートだとしっかり重くて目がぎゅっと詰まったクラシックな生地がかっこいいと思うんです。それかツイードか。でも、最近は両方とも軽めのほうが人気なんですよ。ほら、電車で暑いとかありますし」

「おすすめは?」

「これですね。このコレクションは本当に絶品ですよ。イギリスから取り寄せになるんでお値段はこんな感じですけど、とにかく質はいいです。本当に長く大事に着ていただける素材ですよ」

値段は普段なら躊躇(ちゅうちょ)していたと思うが、自分にとっての納得を優先した。

すごくいい素材があった。明るめのネイビーブルーにほとんど黒に近い濃紺という2種類の生地を織り交ぜることで生まれる独特の色味が気に入った。生地が決まるとあとは早い。

裏地には岡田さんが「これがぴったりはまると思うんですよ」と提案してくれたブルーがかったグレーのスーツ生地を使った。

ボタンもイギリス製で水牛の角から作られたものを選んだ。結果、仕上がったものは、クラシックな要素をふんだんに取り込みながら、今を感じさせ、しかし時代を超えて長く使えそうなコートだった。

冬に備えて久しぶりに手入れをしながら、あらためていろいろと思い出した。

新聞社というクラシックなニュースを伝えるところから、インターネットへ。さらに新しい形を模索していきたいという思いと、コートはやっぱりどこかで共鳴しているような気がするのだ。

真夏なのにコート姿を見たくないという人たちには申し訳なかったが、やっぱり、これ以上にぴったりくる服はなかなか無いのです。すべては春夏用のプロフィール写真を用意していなかった壮大な言い訳なのですが……。

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石戸諭 (いしど・さとる)

記者/ノンフィクションライター。1984年東京都生まれ。2006年に毎日新聞入社。大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立した。初の単著『リスクと生きる、死者と生きる』が読売新聞書評欄にて「2017年の3冊」に選出される。

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