「なりたい肩書きにはなれるが、難しいのは継続」 僕が名刺に込めた思い

石戸諭さんの名刺と名刺入れ

最近、若くして第一人者になってしまった時代のトップランナーにインタビューをしたとき、なかなか興味深い一言を聞くことができた。彼が活躍するインターネット動画の世界で、何かの拍子でブレイクした人たちを観察していると、一つの傾向が浮かび上がるのだと言う。それは「継続」していることだ。

ブレイクした人たちは「ある日、突然」、多くのユーザーの目に留まり、有名になったのかもしれないが、そこに至るまでには再生回数が伸びない動画をずっと作り続けていた。多くの人たちは一発を狙い、数字が伸びないとすぐに諦めてしまう。

大事なのは、誰からも目を向けられていない時期にずっと作り続けることであり、その継続がブレイクにつながるというのが、若くして第一人者になった彼の分析だった。

名刺の肩書きが持つ意味

継続が難しい、という意味においては僕がいるメディア業界も同じだ。2018年4月、僕が独立するにあたって、真っ先に悩んだのは肩書きだった。会社員に肩書きを選ぶ自由はない。だいたい、決まった定型で社名を入れて自分の名前の前に、所属する部署と「記者」という役職が入って終わりだ。

さて、自分はどうしたらいいものか。ふと思い出したのは、こんなエピソードだった。ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが最初に名刺をつくったときのことだ。デザインを担当したグラフィックデザイナーの黒田征太郎さんからこんな言葉をかけられた。

「名刺にルポライターと書けば、あなたはもうルポライターなんですよ。イラストレーターと書けば、イラストレーターだ。誰だって、どんな者にもなれるんです。だが、そのあとのことはわからない」

沢木さんはこの言葉を受けたときのことを振り返り、こんなことを書いていた。

「誰でも何者にでもなれる、というK氏の言葉は新鮮だった。そうだ、誰でも、どんな者にもなれる。ルポライターだの、カメラマンだの、デザイナーだのといっても、名刺の横にそう刷り込めば誰にだってなれるほどのものなのだ。なるということには、それほどの偶然しか必要としないのだ。問題は、恐らくそのあとなのだ。なったあとで、なりつづけるという点にこそ困難はあるにちがいないのだ…」(「ささかやな発端」『地図を燃やす 路上の視野Ⅲ』文春文庫)

継続と「なりつづける」というのはまったく同じ意味である。何にしても、なってしまうことはそんなに難しいことではない。しかし、つづけていくためには、力も運もいる。

ここに書かれている話は、そのまま僕にも跳ね返ってきた。ニュースの現場に飛び込んで第一報を報じていく「記者」の仕事は今までもやってきたし、これからもやっていくことは想像できた。だが、自分がやっていきたい仕事をあらわすには不十分だった。

なりたいものになる喜び

僕は中学生のときから、ずっとスポーツライターに憧れていた。Numberを読みふけり、山際淳司や沢木耕太郎、後藤正治といった日本のスポーツノンフィクションの歴史に輝く名作に接近していった。何もわからないまま「将来はフリーのスポーツライターになるのだ」と言っていた。結局、年を重ねるにつれ、フリーランスというものがいかに大変かという現実を直視せざるを得なくなり、新聞社に就職することになった。

就職はまったくの偶然でしかなかった。お金をもらいながら取材をして、記事を書くことができればいい、くらいの気持ちでも潜り込むことができたというのが正確だろう。2006年の採用が、たまたま団塊の世代の大量退職と、「失われた20年」の中でもまだマシな、多少景気が持ち直した時期と重なっていたことが僕にとっての運だった。なんといっても最終面接で一度は落ちてしまったが、内定辞退者が出たということで、補欠で内定がでたのだから。

取材の基礎を学んだ「記者」生活はそれなりに充実していたが、経験を積むなかで取材対象や現象を、もっと言葉を尽くして書いてみたいという思いに駆り立てられていた。組織を離れると決めたとき、僕が獲得したのはなりたいものになれる自由だった。

中学生時代に憧れていたスポーツライターではなかったが、これまでの経験の先にある「ノンフィクションライター」になってみるというのはいいな、と思った。

自分がなりたいものを初めて印刷した名刺は、デザイナーの力によってとても綺麗なものに仕上がっていた。簡潔で無駄がなく、これ以上になくシンプルでありながら適度な余白に未来を書き込んでいけるように思えたのだ。

ノンフィクションライターに”なりつづける”

これからも「継続」ができていくかはまだわからないが、まったく思いもかけないことに、今年に入って「ノンフィクションライター」という名称で、伝統ある「ニューズウィーク日本版」の表紙に名前がクレジットされるような仕事を手がけることができた。

そして、いま僕の手元にはラグビーワールドカップの記者証がある。スポーツライターになりたい、という10代の夢が叶ったとは言えないが、偶然の連続でビッグイベントの取材ができるというのは嬉しさ以外の何物でもない。

いつも想像しているのは、中学生の頃の自分に向かって今の僕は何が言えるのだろうということだ。

「君はスポーツライターにはなっていないけど、20年くらいたつと紆余曲折を経て、こんなことになっているから」

こう言っても、あの頃の僕は絶対に信じないようなことが現実に起きているのは間違いない。まだまだ自分は、ノンフィクションライターという職業になりつづけていくことができている。

名刺入れは何年か前に一目惚れして買った「m+」のもの。金具や余計なロゴが一切入らないシンプルなデザインが、名刺を引き立てているようで、気に入って使っている。買ったばかりの時は、美しいネイビーブルーだったが、使い込むたびに艶が増し、ぐっと色も濃くなってきた。これも「継続」して使うことによって、変化していく。

なりつづけることの困難さには、これから何度も直面することになるだろうが、「後悔することはまったくない」と言えるところまではきたと思う。できた名刺を配っていくことで、ちょっとずつ道は広がっていった。大変だけど、楽しい日々はまだまだ続いていく。

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石戸諭 (いしど・さとる)

記者/ノンフィクションライター。1984年東京都生まれ。2006年に毎日新聞入社。大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立した。初の単著『リスクと生きる、死者と生きる』が読売新聞書評欄にて「2017年の3冊」に選出される。

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