50歳でテレビ局を辞めた「フリーライター」どうやって稼いでいるか?

50歳になった瞬間、テレビ朝日を辞めてフリーライターになった鎮目博道さん。フリーになった後、どのような仕事で生計を立てているのでしょうか。仕事の内容や仕事にかける思いなどを聞きました。

【インタビュー前編】年収1500万円以上の「テレビ局プロデューサー」が50歳でフリーライターに転身した理由

メインはテレビ関連の記事

──2019年7月に50歳でテレビ朝日を退職した後は、どんな仕事をしているのですか?

「シーズメディア」という屋号でフリーランスとして活動を始めました。仕事としては、ずっとやりたかった「ライターの仕事」、それから「テレビマンとしての仕事」と「企業系の仕事」の大きく3本の柱があります。

──まず、ライターの仕事について教えてください。どんな媒体にどんな記事を書いているんですか?

現在は「東洋経済オンライン」と「夕刊フジ」で連載をもっていて、不定期で「プレジデントオンライン」「週刊新潮」「FRIDAYデジタル」「ガジェット通信」などで書いています。それと「Yahoo!ニュース 個人」でもオーサーとして書いています。ジャンルはほぼテレビ関連です。例えばテレビで何か不祥事や問題が起こった時に、その理由や背景などを解説する記事です。

あと書籍執筆の仕事もいただいていて、来年1月29日に『アクセス、登録が劇的に増える!「動画制作」プロの仕掛け52』(日本実業出版社)という本が出ます。「SNSやYouTubeなどでバズる方法や動画制作のコツを、テレビ朝日やABEMAでの30年近い番組制作経験をもとに分かりやすく解説しています。

──1年目からいろんなメディアに精力的に書いてますよね。会社員と違ってフリーランスは自分で仕事を取ってこなければいけませんが、積極的に営業したんですか?

あまりガツガツ営業してないですね。こちらから「書かせてもらえませんか」と営業した媒体と、声をかけてもらった媒体が半々くらいでしょうか。特にFacebookでつながっているメディア関係の友人から、声をかけてもらって仕事になったケースが多いです。

そもそも営業が苦手なんですよ。基本的にわがままで、知り合いとよくケンカしちゃったりする上に人見知りだし。だから仕事は取れないんじゃないかと思っていたのですが、実際にやってみると意外と商人の血が流れていたらしく、お金のためなら平気で自分を曲げられるというか、頑張れました(笑)。

あとは、フリーになって立ち上げた自分のサイトに、これまで何のつながりもなかった人から仕事の問い合わせや依頼が来ることもあります。

──鎮目さんの書いているテレビ業界ネタの記事はよくバズってますよね。そもそもテレビ関連は何かと話題になりやすいし、炎上もしやすい。30年にも及ぶテレビ業界での経験をうまく生かしているなあと思いつつ、いつも見てます。普通の人がもっていない知識や経験があるからライターとして有利ですよね。

テレビ関係の記事はPVが取れるからか、ネット上にたくさんあります。でも書いてる人って、だいたいテレビ業界の中の人じゃなくて、評論家なんですよね。そうなると外部から見て批評するだけなので、どうしても内容が薄っぺらくなります。

一方、僕はテレビ局員として長年仕事をした経験があり、しかも今はOBという立場の人間なので、テレビ業界の問題について、より本質的な突っ込んだ批判記事が書けるんです。こういうことは局員はもちろんできないし、制作会社の人も局から仕事をもらう立場なので、おかしいとか理不尽だと思うことでも、黙って我慢するしかない。僕の書いた記事がそれなりに読んでもらえるのは、僕みたいな立場のライターがいないからだと思います。

──テレビの仕事に依存していないから「忖度」なしに自由に書けると。

そうなんですよ。もちろんテレビ番組制作の仕事は実際にやってるし、これからもしたいけれど、言いたいことを我慢してまで仕事をもらおうとは思わないですからね。だから言いたいことを書けるわけです。

あと、テレビ側も外部からの批判なら「どうせ実態なんて何も知らないから」とあまり気にしないでしょうが、僕の記事は「耳が痛いけど長年業界の中で働いてきた先輩が言うなら」という感じで読んでくれているらしいんです。

たまにテレビ業界の人と会うと、「記事読んでるよ。いいこと言うね」とか「よくぞ言ってくれた、もっと書いてくれ」と言われることも多いんです。そういう時は記事を書いてよかったなと思いますね。テレ朝を辞めた大きな理由の1つでもある、テレビ局と制作会社の大きすぎる給料格差の問題など、今後も僕にしか書けない記事をしっかり書いていこうと思っています。

でもライターになったのは、テレビの批判記事ばかり書きたいからではないんですよ。テレビ関連の依頼が多いのは「テレビの人間だから」というだけで、それ以外の分野の仕事の依頼が来ないからです。そういう意味では、まだ僕は本物のライターとは言えないんですよね。今はテレビのことが書けてうれしいし、頑張って書くけど、それだけだと物足りない。もっといろんなジャンルの記事を書きたいんです。

──これまで報道記者やディレクターとして散々原稿を書いてきたから、原稿執筆のスキルという意味では問題なさそうですね。

そんなことないですよ。先日、週刊新潮で蛭子能収さんのインタビュー記事を書いたのですが、担当編集者にかなり直されました。やっぱりWebとは全然違うんだな、厳しいなと思うと同時に、じゃあ週刊誌で通用する文章を書くためにはどうすればいいんだろうと考えるのは楽しいです。

ライター以外の仕事でリスクヘッジ

退職前から担当していたABEMA TVの「Wの悲喜劇 日本一過激なオンナのニュース」の総合演出を引き続きやっています。あとは、ちょいちょい単発でお手伝いしているくらいです。各テレビ局に企画書は提出しているのですが、このご時世なので、なかなか通らなくて苦戦してます。

──3つ目の企業系の仕事というのは?

これはいろいろありまして、いくつかの企業でPR、広報、企画のお手伝いをしています。例えば高校の同級生が経営している蒲田の町工場。クッキーやチョコなどのお菓子の箱の中に入ってる「プラスチックのトレイ」を作っている会社で、定期的に経営会議に出席して、どんなものを作ればおもしろいかといった企画を考えて提案してます。

あとは、国分寺のタウンメディアの企画の手伝いとか、いろんな会社の動画を作ったりしています。また、いろんなセミナーの講師もしています。例えば、PR会社でテレビ番組への企画の持ち込み方を話したり。

それ以外では、今年度から上智大学の文学部新聞学科で非常勤講師をやっています。そもそも上智大学の新聞学科ってジャーナリストを養成する学科なので、地方局より立派なんじゃないかというくらい、すごい収録スタジオや編集所があるんです。そこで学生たちに、スタジオ収録やVTR制作などテレビ番組を作るプロセスを教えています。

今ほとんどの授業がオンラインになってしまっていてかわいそうなので、僕の授業はできるだけみんなでワイワイ共同作業を楽しんでもらうようにしています。そうすると学生たちも非常に喜んでくれているので、僕もうれしいです。

あと、テレビ業界やマスコミを志望している学生たちが多いので、「業界の未来をこれから作っていく後輩を育てている」と言う実感が非常にもてます。だからとてもやりがいもあって「できるだけよい授業をしよう」と日々工夫して考えるのが楽しいです。

フリーになりたての頃は「なんでもしまずめ」と銘打って、お代は依頼者の言い値で何でもやりますというのもやっていました。ヒーリング体験やセミナーのサクラ、悩み相談などいろんなおもしろい依頼を受けました。楽しかったのですが、最近は他の仕事が忙しくなってきたので、開店休業状態です(笑)。

──3本の柱の割合は?

作業量や時間的コストはライター仕事が圧倒的に多いですね。6~7割くらいでしょうか。テレビの仕事は慣れてて割と楽にこなせるのでそんなに大変じゃないし、企業のアドバイザーや講師は毎回その場限りで決められた時間内、だいたい1~2時間で終わります。

でも記事を書く仕事はネタを考えるところから始まって、調べたり取材したり書いたりとかなりの時間と手間がかかります。特にテレビ関係の記事はできるだけタイムリーなネタを書きたいので、締め切りギリギリまで考えています。だからずっと考えてる感じですね。

インタビューものは文字起こしが大変です。だいたい1時間の文字起こしに3~4時間はかかりますからね。ただ、文字起こしはテレビのAD時代に散々やらされたので、慣れてはいるんです。しかもAD時代の方がタイムをいれないといけなかったので大変でした。新人時代に戻った感じで、懐かしいなと思いながらやってます。

──収入的な割合は?

3本ともちょうど同じくらいです。バランスが取れてて、どれが本業かわからない(笑)。特にどの柱を増やしたいというのはなくて、お声がかかれば何でもやります。

──3つの柱の中で一番好きな仕事は?

全部好きですが、やっぱり一番はライターとしての仕事ですよね。10代の頃からの夢が叶ったのでうれしいし、気持ち的には20代のライターになりたての若者と同じだから、毎日楽しいです。

──収入の柱が3本あって、しかもバランスが取れていると、リスクヘッジになっていいですね。僕は執筆1本だからうらやましいです。

確かにその安心感はありますね。もしテレビの仕事だけだったらコロナ直後からしばらく仕事が全部ストップしたので、収入ゼロでしたからね。

あと、全然違う仕事をしているから楽しいし、飽きないんですよ。仕事の気分転換を仕事でやってる感じ。例えばテレビの仕事が続いたら、その合間に気分転換に原稿を書く。それぞれの仕事で使う脳みそが違うから煮詰まらないし、飽きも来ないんです。

また、新しいことにチャレンジしていて成長も実感できるからうれしいですね。これらはすべて、テレ朝にいたら感じることができませんでした。

仕事とプライベートの区別がないのが幸せ

──働き方についておうかがいしたいのですが、フリーになってからは毎日どんな感じで働いているんですか?

基本的に仕事は家でしていて、原稿が一番はかどるのは日曜日です。会社に勤めている人から連絡が来ないので1日中書いてます。平日はだいたい午前中に原稿を書いて、午後から人に会いに出かけることが多いですね。意外と僕のようなテレビ業界の人に話を聞きたいという人が多いんですよ。

特にセミナー講師をした時に名刺交換して、SNSで繋がって、後日会いたいという連絡が来るというパターンが多いです。即仕事に繋がることはめったにないですが、僕としても全然知らない会社のことを知れて楽しいし、何かの原稿のネタになる可能性もあるので、基本的に会うようにしています。

──仕事とプライベートの垣根がない感じですね。全然苦になりませんか?

テレ朝の局員時代から仕事とプライベートの垣根はあまりなかったので、全然苦になりません。フリーになって、さらに垣根がほとんどなくなりましたが、むしろ自由に働いたり遊んだりできて、時間を有効に使えている感じがするので快適です。

──ひとりで働くようになって1年と少し経ったわけですが、率直な感想は?

テレ朝を辞めてフリーになって心底よかったと思ってます。まさかこんなに書き仕事をもらえるとも、中小企業のお手伝いができるとも思ってなかったので。今はいろんな人にお声をかけていただいて意外な展開になってて楽しいです。

もっと早くフリーになっておけばよかったと思うくらいです。そうしていたら、今もっといろんな仕事ができていただろうなと。でも、そうじゃなかったかもしれない。テレビについて書く仕事も、50歳までテレ朝にいたからこそいただけているんだろうし。だから良し悪しなんでしょうね。

──ひとりで働くようになって、よかったと思うことは?

自分で何でも決められることですね。テレビ局って大きな組織だし、がんじがらめなところが多分にあります。上司から命じられたら嫌な仕事もやらなきゃいけないし、嫌なやつとでも仕事をせざるをえません。フリーになるとそういうのが一切なくて、やりたくないと思えば断れるので、精神的にすごく楽です。

また、原稿の締め切りにさえ間に合えばいいので、後で楽をしたかったら早めに取り掛かればいいし、気分が乗らなかったり疲れがたまっていたりしたら休みにして遊びに行っちゃうこともできる。スケジュールを自由に組み立てられるのがいいですね。

──だけど、テレ朝時代から働き方はかなり自由でしたよね。朝決まった時間に出社しなくてもいい、というか、そもそもあんまり出社しなくていいし、何時に帰ってもいいし。それでも違いますか?

全然違いますね。確かに普通の企業のサラリーマンや公務員に比べればかなり自由でしたが、やっぱり会社に管理されている感はすごくあったので。休む時は申請を出さなきゃいけないとか、SNSで堂々と会社の悪口は書けないとか。それが全くなくなって完全に自由になれたので、全然違いますね。

狩猟民族になったような快感

──仕事のやりがいは、どんなところにありますか?

テレビの仕事って手応えがないんですよ。例えば、報道ステーションなんかは視聴率で言えば数百万人の人が観ているはずで、数字だけで言えばすごいんですが、視聴者からの生の反応って得られないんです。記者をやっていた時に中継でレポートしても、自分がディレクターとしてVTRを作っても、番組で流れて終わり。「見たよ」とか「おもしろかったよ」と言ってくれるのは、身の回りのわずかな知人友人だけ。だからテレビの仕事は何も残らなくて、いくら頑張っても糠に釘を打ってる感じしかしないんです。

──僕の知り合いのテレビマンも同じことを言ってました。

でも今はライターとしてWebで記事を書いたら、反応がダイレクトに得られます。特にYahoo!ニュース個人に書いたら、ものすごい数のコメントがつきます。ボロカスに書かれているものも多いですが、それでもうれしいんです。読んでくれているということですから。

あと、町工場を手伝って成果が上がると社長や社員が喜んでくれる。それを目の前で見られるのは、僕としてもすごくうれしいしやりがいがあります。何百万・何千万人に伝わるけど手応えのない仕事よりも、個別具体的な反応を直接得られる方がうれしいですね。

お金を稼ぐことの手応えも全然違いますね。サラリーマンってメチャクチャ忙しかった月も楽だった月も、メチャクチャ働いているやつもサボってるやつも、給料ってそんなに変わらないじゃないですか。だから、給料が自分が実際にやった仕事に対する対価という実感はあまりなかった。

でも今は、例えば自分から企画を売り込んで採用されて、原稿を書いてギャラをもらえたら、実際に仕事をした分がお金になって返ってくるという実感が得られてすごくうれしいんです。これはサラリーマン時代には得られなかった新鮮な快感ですね。自分の力で稼いだ金で生きている感じというか、狩りに出掛けて獲った動物で生きていく「狩猟民族」になった感じ。まさに「生きてる」という実感があります。

──じゃあフリーになっていいことしかないって感じですか?

いや、漠然とした先行きの不安はあります。フリーランスの身としては、1年後も今やってる仕事が続いている保証は何もないので。でも、よくよく考えたら明日生きてる保証もないので、悩んでもしょうがないかなと。

──あと、これは出版の世界の話ですが、これまで「発注者」として制作会社やフリーの人間をできるだけ安く使う立場にいた出版社の編集者が、フリーになると、仕事をいただく「受注者」として安く使われる立場に逆転するということに強い抵抗感を感じる場合があります。このあたりはどうですか?

そもそも僕は人を使う立場よりは、使われる立場の方が気軽なので、使われる立場の方が合ってるみたいです。ギャラに関しても、もらえる額が自分に対する世間の評価だと思っています。ギャラが安くても「実力がそんなものだからだろう」と納得しています。だから今はもっと評価を上げて、ギャラも上がるように頑張りたいと思っています。

──辞めて1年が経っても、後悔は全くないですか?

一切ないですね。これはテレビ業界が不調だからということもあると思います。今テレビ業界にいる仲間から聞こえてくるのは愚痴しかない。彼らの方がかわいそうな感じがします。

ただ、僕としても楽観的な状況では全くないです。テレ朝を辞めて「鎮目個人」として、テレビ関係の仕事をどのくらいゲットできるだろうと思っていましたが、1年経っても新しい企画を形にできていないので、甘くはなかったという感じですね。

コロナで増えた仕事も

──フリーになって1年目にコロナ禍に見舞われましたよね。僕も一時期は仕事がなくなって焦りました。テレビ業界も大変だったと聞きます。どうでしたか?

4月くらいからテレビ番組の収録が止まったので、テレビ関係の仕事が一切なくなりました。進行中だった別の企画も結局流れてしまい、収入がゼロになっちゃった。9月になってようやく1本録れてよかったです。

逆に、ライター仕事は増えたんですよ。テレビのワイドショーや情報番組がコロナ一色になったのですが、それを見て「うさんくさいコメンテーターがいい加減なことばかり言ってる」とか「いたずらに恐怖を煽ってる」とか、イライラする視聴者が増えました。

こういう人たちが増えたことで、テレビの批判記事を書いてくれという依頼がかなり増えたんです。それ系の記事はかなり多くの人に読まれました。テレビで収入が減った分、テレビネタで記事を書いて収入を補ったわけです。

──なるほど。元テレビマンならではですね。これまでの蓄積で、取材なしのコラムや評論・解説記事が量産できるのはうらやましい限りです。

取材するにしても、昔の知り合いにLINEなどでちょこっと聞けばOKですからね(笑)。

──企業系の仕事の方は?

町工場の企画の仕事はコロナで緊急事態宣言が出た4月以降、製品の受注がかなり減って会社も緊急事態に陥りました。テレビマン時代、話題になりそうなネタをずっと考えていたので、注文が止まってやる仕事がなくなった時に、どういうことをやったら話題になって注文が来るようになるかを考えました。

その頃、フェイスシールドが不足していて、医療従事者など困っている人たちがたくさんいるというニュースを知り、「工場でプラスチックトレイを作ってるんだから、同じ技術でフェイスシールドも作れるんじゃないの? 」と提案しました。コロナで止まってるんだからコロナ対策の物、しかも稼ごうとするんじゃなくてみんなの役に立つものを作ればきっと支持されると思ったんです。

工場の現場の人に聞いたら作ることが可能だということだったので、早速1万枚作りました。そしたら社長が「せっかくこれだけ大量に作ったし、それほど高いものじゃないから困っている人たちに全部寄付しよう」と言い出したんです。

それは素晴らしいから大賛成したんですが、「寄付するのならPRしよう」と提案して、プレスリリースを書いてFacebookのメディア関係の友人に送りました。そしたら、いろんな新聞記者が取材して記事にしてくれて、それを読んだテレビのディレクターがまた取材して放送してくれてと、どんどん広がっていったんです。

その会社の社員もいろんなメディアで自分の会社が紹介されたのを見て、社員であることに誇りをもったり、モチベーションが向上したようです。それを間近で見たらやってよかったなと思いました。

ものすごく貴重で楽しい経験でしたね。テレビ番組って形がないし、人の役に立っている実感がゼロですが、フェイスシールドは確実に人の役に立っていて、お礼のお手紙もたくさん来たので。初めて人の役に立つものを生み出した実感を得られました。そういう意味では、中小企業を支援する仕事もやりがいがあるので、今後もっと増やしたいですね。

──今までテレビマンとして経験してきたことをうまく生かしてますね。

器用貧乏が思わぬところで役に立っている感じですね。普通は会社を辞めて独立する人って高い専門性をもつ人で、独立後もそれを売りにしてビジネスをしていくんでしょうが、僕の場合は何の専門性もないからこそ、逆に何でも対応できるということなので、それがいい方向に働いてるのかもしれません。

──今後の目標は?

ライターとして、テレビ関係以外にも幅広いジャンルで書けるようになりたいというのが今の最大の目標です。例えば鉄道が好きなので鉄道系の記事を書いてみたいですね。旅行や食べることも好きなので旅モノやグルメモノなども書きたい。あとは取材モノ。ずっとニュース番組を作ってきたので社会問題を取材してノンフィクション系の記事を書きたいし、おもしろい人を見つけてインタビュー記事も書いてみたい。将来は小説にもチャレンジしたいです。

全体的には可能な限り自由気ままに働ける今の状態を続けていけたらなと。そのためにできるだけお得意様をたくさん作って、いろんな人からあてにされ、頼りにされ、仕事をもらえるようになりたいと思っています。

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山下久猛 (やました・ひさたけ)

1969年愛媛県生まれ。アラフィフ独身のフリーランスライター・編集者にしてDANROの愛読者でもある。某呑み会で編集長に直訴してDANROライターに。人物インタビューを得意としており、雑誌・Webの他、仕事紹介系書籍の執筆や、経営者本の構成も数多く手がけている。趣味は居酒屋巡りと写真撮影とスクーバダイビング。

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