同調圧力社会で「ぼっち」になりたい 『ひとり空間の都市論』南後由和さん

明治大学情報コミュニケーション学部准教授の南後由和さん(撮影:Masayo)
明治大学情報コミュニケーション学部准教授の南後由和さん(撮影:Masayo)

「都市でひとりでいるのは正常なこと」。そう語るのは、明治大学情報コミュニケーション学部准教授の南後由和さん。2018年に出版した著書『ひとり空間の都市論』(ちくま新書)で、カプセルホテルやひとりカラオケなどの空間を社会学や建築学の観点から分析しています。さまざまな「ひとり空間」の考察をしてきた南後さんに、その特徴や海外との違いなどについて聞きました。

(撮影:Masayo)

授業のときでさえ「ぼっち」を意識する学生たち

ーーひとり専用の空間に注目したのはなぜでしょう?

南後:いくつかの理由が重なって、『ひとり空間の都市論』を書くことになりました。ひとつは大学で今の学生を見ていて、キャンパス内でひとりでいることに対し、恥ずかしさや後ろめたさを感じる学生が増えたという印象を持ったからです。

例えば「ぼっち」という言葉が学生の間で揶揄的に使われるようになりました。20年ほど前に僕が学生だった頃は、ひとりで授業を受けることに抵抗感などありませんでした。でも今の学生は、友達とではなく、ひとりで授業を受けていると、「この授業、ぼっち」とSNSでつぶやいたりします。本当に嫌で耐えられないというよりは、自虐的な言葉として使われているんです。

南後由和さんの著作『ひとり空間の都市論』(撮影:Masayo)

ーーなぜそのように変わったのでしょう?

南後:背景には、メディア環境の変化があると思います。スマートフォンやSNSの普及によって、「常時接続社会」になりました。学生たちは、常に友達同士による緩やかな相互監視の状態におかれています。「レスがないと落ち着かない」「友達がいない人だと思われるのが恥ずかしい」など、常に誰かと繋がっていないと不安だという強迫観念が接続指向をもたらしています。


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