「駒場寮明け渡し」から20年〜写真で振り返る「2001年8月22日」(私と東大駒場寮 9)
東京大学の主に1、2年生が通う駒場キャンパス(東京都目黒区)。そこにかつて、駒場寮という学生寮が存在した。昭和初期、東大の象徴として有名な安田講堂と同じ内田祥三が設計。1935年に竣工したが、約60年後、廃寮を進める大学当局と寮生が激しく争う事態となった。
数年に及ぶ法廷闘争の末、今から20年前の2001年8月22日、裁判所の強制執行により、学生たちは寮から退去させられ、駒場寮はその歴史に幕を閉じた。
2001年の初夏、私は美大の卒業制作のため、駒場寮に通っていた。寮生たちの「写真&インタビュー集」を作ろうと考えていたのだ。寮生の部屋を訪ね、何人もの話を聞きながら、部屋の写真を撮らせてもらった。
強制執行の当日も、私は駒場寮にいた。激しい雨と風。東大の職員と学生たちが見守るなか、裁判所の執行官たちが寮に乗り込んできた。その模様を私は無我夢中でカメラに収めていった。
駒場寮の明け渡しからちょうど20年となるこの夏、当時の写真と元寮生のコメントで「あの日」を振り返ってみたい。
「あ、抵抗できないって、こういうことなんだって思いましたね。ものすごい人数のガードマンが来て。もう覚悟はしてたんですよ。機動隊入ってきたら逃げるって、決まってて。とにかく逮捕されないってこと。抵抗すると、公務執行妨害で逮捕されますから。あとは見てるだけでしたね。そんな悲壮感みたいなのはなかったです。覚悟、決まってましたから」
>>駒場寮生だった酒造唯さん(1995年入寮→学部生・大学院生として2001年まで在寮)
※酒造唯さんのインタビュー記事:「寮生は次第に孤立していった」毎日新聞記者になった元寮生(私と東大駒場寮 2)
「強制執行の日、オレはトイレの窓から逃げたんですよ。で、当時近所に借りてたアパートに大事な物を全部移動して、もう1回東大に戻ってきて、強制執行の様子を外から見ていた」
>>東大生ではないが駒場寮に住んでいた中川淳一郎さん(元一橋大生→会社員時代の1999年に入寮)
※中川淳一郎さんのインタビュー記事:東大生でない中川淳一郎さんが駒場寮で得た人生訓(私と東大駒場寮 3)
「強制執行の日は…教授みたいな人たちが、『開けなさい!』って…寝ていたら、ドンドンドンドン!ってドアを叩かれて。先生に『何やってんだ!』って怒鳴られて。『いや、寝てましたけど。』って答えたのを覚えてる」
>>寮生として駒場寮で暮らしていた宮崎亮さん(2000年入寮)
※宮崎亮さんのインタビュー記事:寮での経験が自分の強みに 元寮生の朝日新聞記者(私と東大駒場寮 6)
駒場寮で暮らした寮生たちの考えは多種多様
駒場寮の廃寮から10年後。私は再び、駒場寮の写真と向き合うことになる。フィルムで撮影した写真をデジタル化して、写真集を再制作することにしたのだ。同時に、当時の寮生たちに会って話を聞き、駒場寮で過ごした日々を振り返ってもらうインタビューも始めた。
DANROでは、当時の駒場寮の写真と合わせて、元寮生のインタビュー記事を少しずつ公開している。
※連載「私と東大駒場寮」:取り壊しが決まった寮に住み続ける学生たち(私と東大駒場寮 1)
東大駒場寮をはじめとする学生自治寮というのは、かつて「学生運動」の象徴だった時代もあり、寮生たちがなにかひとつの「集団」であるように見えていた人もいるかもしれない。また、2001年の当時、駒場寮の廃寮反対運動は端から見たら、時代錯誤な「学生運動」(左翼的な活動のための運動)として映っていたと思う。
しかし、私が実際に中に入って、いろいろ聞いてみた経験からすると、みんながみんな一律に「学生運動」をしているというわけではなかった。むしろ思想は統一されておらず、ひとりひとりに「駒場寮に住みたい」という個別の理由があって、ここに住んでいるんだなあと感じた。
DANROの連載では、社会人となった元寮生の回想をインタビュー記事として紹介しているが、それぞれが駒場寮で考えていたことは多種多様だ。決してひとくくりにはできないと感じている。
【編集部より】2001年8月22日に東大の駒場キャンパスにいた方がいらっしゃいましたら、コメント欄に当時のことなどを書き込んでいただけると嬉しいです。