ゆとり世代ど真ん中の「ポジティブな働き方」 仕事するなら「楽なほうがいい」

菊池良さん。新卒で入社したウェブ制作会社のLIGを退職後、ヤフーに転職。
菊池良さん。新卒で入社したウェブ制作会社のLIGを退職後、ヤフーに転職。

2018年7月、約2年勤めたヤフーを退職して、人生初のフリーランスになった菊池良さん。現在はライター業で生計を立てています。前職時代、太宰治や村上春樹などの軽妙な文体模写が話題を呼んだ『もしも文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』シリーズ(宝島社)を共同執筆。累計売上が17万部を突破しました。それがきっかけで新しい書籍出版の話があったとき、菊池さんは会社を辞めてしまいました。思い切った判断に見えますが、1987年生まれで「ゆとり世代」の菊池さんが物事を決める背景には、「楽なほうを選ぶ」という独自の基準がありました。

決断を肯定してくれる環境

現在31歳の菊池さんは、かつて引きこもりでした。15歳から大学生になる22歳までの間、ほとんどの時間を自室で過ごしました。しかし、これまで何かを決めたことに対して、誰かから否定された記憶はないと言います。

「中学校は半分行ってなかったし、高校も3カ月で辞めました。会社は今まで2回退職しています。僕のやることや決断に、家族や先生、上司は一瞬驚いても、決断したことを認めてくれる。そういう環境に身を置いてきたんだなと改めて思います」

ターニングポイントは突然に

ヤフーでは、ウェブメディアの編集を担当していた菊池さん。副業がOKな会社だったため、並行してライターの仕事もしていました。社内の人間関係も友好で、働き方に満足していたと言います。

現在はライターとして活動。締め切りは破らないようにしている。

そんな中、知人のライターの神田桂一さんに誘われて二人で執筆した『もしも文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』、通称「もしそば」シリーズがヒットしました。すると、新しい書籍企画の話が持ち上がりましたが、菊池さんはすぐに承諾しませんでした。

「担当プロデューサーにお断りをするか悩んでいたところ、他の関係者に『だったら会社を辞めればいいんじゃない?』と軽く言われて」

その言葉を聞いて、「なるほど」と思ったという菊池さん。「1時間前は会社を辞めることなんて、全く考えていなかったのに。“ターニングポイントがきた”と思いましたね」

フリーランスは快適でしかない

さっそく上司に退職の希望を伝えたところ、「まじで。いつ辞めるの?」と言われただけ。あっさりしたものでした。菊池さん自身も、会社員からフリーランスになることに対して不安はありませんでした。

「金銭的な面では、本が出るまでの1年くらいは大丈夫だと思っています。お金が足りなくなったらバイトすればいいですし。もし、出版の話がなくなってしまっても、それはそれで別のことをするんでいいです。あまり深く考えていません」

今は、7時に起床し、必要最小限の仕事を11時頃までに済ませて、ランチタイムへ。午後から次回作の準備や散歩など、就寝まで好きなことをする生活を送っていると言います。

「こんなに快適でいいんでしょうか。通勤はないし、自分のことだけやればいい。1日の時間が3倍長く感じます。今のところ会社員を辞めたデメリットはありません」

将来、起業するかもしれないが従業員は雇わない予定。「一人のほうが楽だから」

会社員に戻る可能性もある

とはいえ、状況によっては再び会社員に戻る可能性があると言います。

「自分の行動原理としては、エネルギーを使わない楽なほうを選んでいるんです。本の出版の話は、相手に向かって『書かない理由』を並べて納得してもらうより、『一身上の都合で』と一言だけ言って会社を辞めたほうが楽だと思ったから。引きこもりを抜けだして大学へ行ったのも、これ以上引きこもると家族との関係が悪化しそうだったので、外に出たほうが楽だと思ったんです」

ライターとしては締め切りを守るという菊池さんですが、その裏にも同じく「締め切りをやぶったほうが面倒くさいから」という理由がありました。

「自分にとって楽な選択をしているのは、本当にしたいことのために力を温存しているからです。僕は1987年生まれで、ゆとり世代のど真ん中。勝負やケンカは好きではないので、勝負をせずに、得意なことだけができる位置を選んでいます」

目標達成期限は死ぬまで

本を出すことに執着はしていない菊池さんですが、大きな目標があると言います。

「一番は“国民的大ヒット”を生み出すこと。文明をもう一段階引き上げたいし、世の人の生活がもっと楽しくなったらいいなと思うんです」

ここ数年風邪をひいていない。「病欠で会社を休んだことはないです。睡眠は8時間とってます」

今はスマートフォンのアプリをはじめ、VRなどの技術がどんどん発展しているものの、「それをしている時間だけしか面白くない」というのが課題と考えています。

「まだ具体的な考えはないんですが、今の考えに近いのは、キティちゃんなどの世界的に人気なキャラクターを作り出すこと。一瞬ではなく、持続してその人に幸せを与えられるのがキャラクターの特徴なので。将来、手がけたものが世界的に認知されると良いなと思っています」

そのスタンスは、学生のときに掲げていた「目標は高く、自分には甘く」と変わらないと言います。

「目標期限は、死ぬまで。人生100年なので、あと70年あります。60歳くらいになった時に、その夢が叶っていればいいなと思います」

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小野ヒデコ (おの・ひでこ)

1984年東京生まれ横浜育ち。同志社大学文学部英文学科卒業。自動車メーカで生産管理、アパレルメーカーで店舗マネジメントを経験後、2015年にライターに転身。現在、週刊誌やウェブメディアなどで取材・執筆中。興味あるテーマはアスリートのセカンドキャリア。英語は日常会話に困らない程度できます。

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