これぞ昭和「平井の喫茶店」でよみがえる麻雀ゲームの記憶(地味町ひとり散歩 22)

僕は毎月、代々木のライブハウスでソロのライブをしています。定例のライブで、楽屋の片隅に「置きギター」をさせてもらっているので、手ぶらで行けばいい。ライブは夜。この日は入り時間が遅めだったので、午前中に家を出て、散歩をすることにしました。

代々木に直行できる総武線の駅で、どこかいい地味町はないかいなと探します。東京の東側はあまり行くことがないので、秋葉原よりも東にある駅を意識して路線図を辿っていきました。秋葉原ー浅草橋ー両国ー錦糸町ー亀戸。どこも有名な地名で地味町とは言えません。

秋葉原は言うまでもなく、浅草橋も浅草につながっています。両国には国技館があり、錦糸町は昔からの繁華街。亀戸は亀戸天神が有名です。

次の駅は・・・「平井」。地元の人には申し訳ありませんが、聞き覚えがありません。知らないってことは、少なくとも僕にとっては地味町ということなので、向かってみることにしました。

朝ごはんも食べずに出てきたので、まずは腹ごしらえです。ちょうどお昼どきということで、駅前の喫茶店「ミカド」に入って、ランチセットを注文しました。

本日は「牛さがりのガーリックステーキ」が、ライス、味噌汁、パスタサラダ、ドリンク付きで、850円。いいんじゃな~い。ステーキにワサビを付けて、いただきます。

店内は、僕の好きな、これぞ昭和の喫茶店。天井のシャンデリアに加え、奥のスクリーンには無音の外国モノクロ映画が映し出されてます。開店当時は相当モダンだったと思われます。

でも一番驚いたのは、テーブルが麻雀のテレビゲーム台だったことです。昔は多かったけど、今はゲーム機テーブルのある喫茶店を探そうと思っても、なかなか見つからないかもしれませんね。

僕が高校生のころ、テレビゲームというものが初めて喫茶店に置かれました。最初は有名なインベーダーゲーム。子供も大人も夢中になってやりました。それからしばらくして、大人向けのギャンブル的ゲームとして麻雀ゲームが流行りました。このゲームで勝って得点を貯めると、コッソリ換金できるお店もあったようです。

僕が20代のころによく通っていた高円寺の「モカ」という喫茶店にもありました(残念ながら今はもうお店はありません)。換金制度はありませんでしたが、勝つと飲食代が無料になるサービスがあり、熱くなったこともあります。そんなときは食事代以上につぎ込んでしまいました。ちなみに、今から40年以上前でも1ゲーム100円でしたから、物価は今と変わりませんね。

このゲーム台には難点もありました。ゲーム機が大きいため、椅子との間隔が狭くなってしまい、いつも足をギュウギュウに入れて、ゲームしたり食事したりせねばならなかったのです。ふくらはぎの痛みとともに思い出が甦ります。

麻雀ゲーム機の流行からしばらくして、ファミコンが発売されました。これはなかなか衝撃でした。それまでテレビゲームというものは喫茶店かゲームセンターでしかできなかったのに、家でいつでもできるようになったのですから。

僕もファミコンが欲しかったのですが、なかなか買う余裕がありませんでした。そのころ、27歳で結婚することになりました。当時アマチュアバンドをやりながらアルバイト生活をしていた僕に対して、親が「せめて最低限の家具ぐらい買いなさい」と幾ばくかのお祝いを包んでくれました。

そのお金で、夫婦で相談して最初に買ったものがファミコンでした。なんせ僕らの結婚のモットーが「100年一緒に遊ぶ」でしたからね。はい、馬鹿夫婦です。

それからは家庭内紙幣まで作って、連日、夜中まで夫婦対戦を白熱して行っていました。そのせいで子づくりをすっかり忘れてしまったので、我が家は今でも夫婦ふたりきりです。

ゲーム熱はその後も続き、「たま」のメジャーデビュー後、「ファミコン通信」という雑誌にゲームコラムの連載をするほどゲームにはまっていた時期もありました。

さて、町歩きを開始しましょう。あいかわらずコロナ禍が続いていて、ペットショップの店頭に置かれたワンちゃんたちもマスクを付けています。右の子なんて目まで覆われて、もはや何も見ることができません。そういえば、コロナは人間以外の動物にもかかるものなのでしょうか?

たとえば、鳩がコロナウイルスを媒介するということがわかったとしたら、この公園の光景は地獄絵図でしょうね。

ちなみに、僕の友達のO君は鳥が大の苦手で、鳥のいる神社や公園に足を踏み入れることができません。子供のころ、ある友達がふざけて何かの鳥をくっつけてきました。怒った彼は「あいつは殺すしかない」と、鎌を持って道で待ち伏せするほど追い詰められたそうです。幸いその日、友達はそこを通らなかったので、小学生にして殺人鬼としての人生を送らずにすみました。

生理的に苦手なものって、他人が思っている以上に耐えられないものなのでしょうね。

こんな貼り紙も見つけました。左側を見てください。

「もう休業なんてしないなんて言わないよ絶対」

一見、がんばって営業を続けるように見えますが、文を熟読してみてください。

「もう休業なんてしない」=営業する

「なんて言わないよ絶対」

つまり、営業するなんて絶対言わない=営業しない、ということではないでしょうか?

言葉って、難しいですね。

こんなお店も見つけました。どうやらチェーン店のようですが、僕は初めて見かけました。「サーシェンシャオチー」というお店で、なんと世界に6万3千店舗と書いてあります。6万3千って、すごくないですか?

ネットで調べてみたところ、マクドナルドは世界118カ国で3万4000店舗を展開しているらしいので、その倍近い店舗数です。中国系かと思いますが、世界のどこかに、このお店が行けども行けどもどこまでも連綿と連なっている不思議町があるのでしょうか。

こんなマンションもありました。でも、文字の飾りが強すぎてまったく読めません。もしかして地球の文字じゃないのかもしれませんね。いろんな宇宙人が住む専属御用達のマンションだったら、ちょっと覗いてみたいですね。

古本屋さんがありました。最近はブックオフ以外はずいぶん少なくなってしまいましたが、ここは割と新しそうです。

子供のころ、「大人になったら何になりたい?」と聞かれて「古本屋さん」と答えることも多かったです。もちろん子供だから仕入れの大変さとかわかってなかったのですが、本が大好きだったので「店番をしながら一日中のんびりと好きな本を読んでいられたら、幸せだろうな~」と単純に思っていたのです。

僕らが中高生のころはビデオやコンビニが普及していなかったので、大人の世界を垣間見られるのは、古本屋さんでエッチな本を買うことぐらいでした。男子の間で「お前、行けよお」「嫌だ、お前から入れよ!」と言いあって、震えながら実益を兼ねた度胸試しをしたことが思い出に残っています。今となっては青春の1ページですね。

近くのゴミ捨て場に、こんな本の束が捨てられていました。おそらくは先程の古本屋さんが出したものと推察されますが、僕が夢中になって読んだ沢木耕太郎の「深夜特急」もあるじゃあありませんか!

しかしよく見てみると一巻だけありません。きっと続きものは二巻からでは売れないのでしょうね。二巻からでも十分に面白いので、万が一残っていたら、持ち帰って読んでみてください。

別のゴミ捨て場にはペコちゃんが捨てられていました。子供時代のお菓子の代名詞だったペコちゃんが処分されてしまうのは、なんだかちょっと切ない気がする世代。持ち帰りたくなりましたが、ギリギリ自制心を働かせて耐えました。

汚れた大きなペコちゃんを頬ずりするように抱えたオッサンが電車に乗ってきたら、まわりの乗客がそそくさと逃げていくでしょうからね。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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