フリーはつらいよ!開高健賞ライターが語る「自由とお金」の関係

マック赤坂やドクター中松など、選挙で「泡沫候補」と揶揄されがちな人々を20年近く追い続けてきたフリーランスライター・畠山理仁(はたけやま・みちよし)さん。これまで取材してきた成果をまとめた作品『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』で、2017年の開高健ノンフィクション賞(集英社主催)を受賞しました。大学在学中にライターを始めて以来、サラリーマンになることなく「独立」の立場を貫いてきた畠山さんに、フリーのライターの「自由とお金」の関係について聞きました。

300万円の賞金は「借金返済」にあてた

――ちょっと下世話な話なんですけど、開高健賞の賞金は300万円だったとか。かなりの金額ですよね。

畠山:もう、びっくりびっくり。去年の収入を上回るくらいですよ。他の賞に比べて、開高健賞は賞金が高いほう。大宅賞や直木賞は100万円ですからね。

――ノンフィクションのライターはお金がないから、賞金をたくさんあげようということでしょうか・・・

畠山:だったら、最終選考に残った4人に75万円ずつあげたほうがいいですよね。ノンフィクションの裾野を広げるという意味では。僕も最終選考に残ったと知らされたとき、「もうここで賞金を4人で割ってください」という感じでした(笑)。結局、受賞して大きなお金をもらえたんですが、それまでに借金をしていたので、大半はその返済にあてました。

開高健ノンフィクション賞を受賞した畠山理仁さん

――やっぱり、フリーランスのライターを続けていくのは大変ですか?

畠山:収入面はとても大変ですね。僕はいま45歳で、大学2年の5月、20歳のときに編集プロダクションでライターの仕事を始めたんですが、当時は同世代の人がわりといました。でも、いまは20代で、雑誌の仕事をしているフリーのライターって本当に少ない。なりたいという人がいても、「こういう台所事情です」と話すと「厳しいんですね」と言って就職していく。フリーは本当に大変です。僕の先輩で力がある人でも、家業を継ぐために途中で田舎に帰ったという人はいますね。

――畠山さんは、社会人の最初からフリーだったんでしょうか。

畠山:最初は編プロにいたんですが、雇用契約を結んでいたわけではないです。最初の給料は月額3万円で、保険もなかった。「いろいろ教えてやるから、お金がもらえるだけありがたいと思え」みたいな感じでした。何も知らなかったので、どういう流れで雑誌ができるか学ぶことができて、とてもありがたかった。

その編集プロダクションに5年間いたんですけど、手伝える友達を呼んでくるごとに給料があがるシステムだった。一人呼ぶと5万円、もう一人呼ぶと7万5000円になって、さらに一人呼ぶと10万円。編プロには5年いましたが、最終的に月給が15万円になりました。

「無頼系独立系候補」のユニークな選挙戦を取材した『黙殺』

会社員になろうとしたら「妻に反対された」

――20代半ばで編プロを辞めてからは、ずっとフリーランスということですが、就職しようと思ったことはないですか。

畠山:30歳くらいまでは、ずっとひとりでやるつもりでいました。でも、子どもが生まれてから、会社員になろうと思ったことが何度かあります。最初は、大手出版社から専属契約のライターにならないかと誘われました。妻に相談したら、「専属になるといままでお付き合いのあったところとの仕事ができなくなるから、やめたほうがいい」と言われました。フリーになってから支えてくれた人たちとサヨナラしないといけないし、仕事の幅も狭まってしまう、と。それを聞いて「まあ、そうだな」と思いました。

――一般的には「夫に安定した仕事に就いてほしい」と願う奥さんが多いイメージがありますけど、畠山さんの場合は違ったんですね。

畠山:そうなんですよ。実は、子どもが2歳くらいになったときにも、ある出版社の人から「子どもが大きくなるとお金がかかるから、うちの社員にならないか」とありがたいお話をいただきました。「なんでも条件を飲むから」と言うので、思い切って年収1000万円超えの希望を出したら「いいよ」と言われて、「おー!」と思いました。社長さんとも面接して、来月から働くことになったところで妻に「どやっ」って話したら、「いますぐお断りしなさい」と。

――え、そうなんですか! 年収1000万なのに。

畠山:こんなにいい条件で、年金も払ってくれるし、保険もあると、僕は言ったんですが、妻は「呼んでもらえたのはすごくありがたいけど、会社組織だから、その人が異動とかでいなくなったらあんたどうするの」と言うわけです。妻のほかに(仕事で付き合いのあった)大川興業の大川豊さんに相談したら、「君は会社員に向かないと思うよ」と言われました。「俺と一緒で、マグロみたいに泳ぎ続けてないと死んじゃうから」と。

やっぱり組織に入ると、自由にはできない。僕は組織に入ったことがなかったんですけど、妻は会社員をやっていたことがあるので、自由度がガクッと減ると知っていたんでしょうね。

――フリーのジャーナリストの中には、寄付を募って取材活動をしている人もいますよね。フリーを続けるために、寄付を呼びかけたりはしないんですか?

畠山:「寄付したい」というありがたいお声がけはあるんです。喉から手が出るほどほしいんですが、なんか違うな、と。自分はライターなので、書いて原稿料をもらうのが仕事かなと思っていて・・・。そうではなく、生きていることに対してお金をもらうと、逆に自由がなくなる気がしているんですね。寄付だと何に対するお金なのか分からないので、その人の「今度こういうところに行ってほしい」という要望を聞かなくてはいけない気になるのではないか、と。意外と生真面目なんですよ。やりたいことをやりたいようにやるのがフリーランスのいいところ。そこはお金じゃ譲れません。

ドン・キホーテみたいな人たちの人生を知りたい

――畠山さんはフリーランスのライターとして「ひとり」でやってきたわけですが、開高健賞の受賞作『黙殺』で取り上げた選挙の独立系候補の人たちも「ひとり」でやっていることが大半ですよね。共通点を感じることはありますか?

畠山:ものすごいシンパシーを感じているから、20年間、彼らの取材を続けてこれたんだと思います。選挙に出るのは「自分のアイデアを世に問うべきだ」という思いがどうにも止まらない人。しかし無名なので、世の中から見向きもされない。「こんなに意味のあることを言っているのに、どうして誰も見てくれないんだろう」と怒っている。

自分も無名のライターなので、「この記事はすごく面白いぞ」と思っても、誰からも読まれなくて、寂しさを感じることがある。自分以外でも、無署名ですごく面白い記事がある。そっちを正当に評価しないで、ブランドだけで評価する社会って本当にいいのかなと、ずっと思っています。

――今後はどんな取材をしていきたいですか?

畠山:「自分がやっていることって何なのかな」と考えたとき、大きなものに対して、ひとりでもの申している人がひっかかるな、と。ドン・キホーテみたいな人たちの人生を知りたいというのがあります。彼らは最初の一歩を切り開こうとしている人たち。最終的には負けてしまう戦いなのかもしれないけど、やってみなければ負けることすらできない。それに挑み続ける人たちを追いかけていきたいですね。

――畠山さんは自由であるために「ひとり」でやってきたわけですが、「ひとり」であり続けるための条件は、なんでしょう?

畠山:暗くならないこと、ですかね。後ろ向きになると、転げ落ちるようにドドドとなって、精神的に参っちゃう。僕自身もそういう時期がありましたが、基本的には楽しい気持ちでいることが大事だな、と。悪いことを考えても、事態が好転することはないので。お金のことで困ったりすることはあるんですけど、苦しいことはネタになる。「こんなにすごい貧乏くじ、ほかの人には引けないぞ! どこかでいつか書いてやろう!」と思うようにしています(笑)

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亀松太郎 (かめまつ・たろう)

DANROの初代&3代目編集長。大学卒業後、朝日新聞記者になるも、組織になじめず3年で退社。小さなIT企業や法律事務所を経て、ネットメディアへ。ニコニコ動画や弁護士ドットコムでニュースの編集長を務めた後、20年ぶりに古巣に戻り、2018年〜2019年にDANRO編集長を務めた。そして、2020年10月、朝日新聞社からDANROを買い取り、再び編集長に。最近の趣味は100均ショップでDIYグッズをチェックすること。

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