独身40代男性。ひとりで料理するのがつらい。なぜなのか、考えてみた

最近料理がつらい。料理をするのがしんどい。

もともと料理が好きなほうではなかったが、つらいと感じたことはなかった。

あんまり美味しく作ることはできないけど、それでも自分ひとりが食べる分くらいは作れる。だいたいそんなものだと思っていた。

しかし、最近はそれにプラスして、料理がつらくなってきたのである。

自宅での食事が「作業」になっている

料理がつらくなった理由はなんだろうか。

ひとり暮らしなので、別に誰かにマズいと言われるわけではない。僕が作った料理を食べるのは、僕だけだ。一方で褒められもしないので、料理を作っても自己満足で終わってしまう。

いや、ちがう。自分自身もそれほど満足しているわけではないので、自己満足ですらないのかもしれない。

自分で料理するのは好きではないが、外食は大好きだ。

お金さえ払えば、美味しいものをすぐに食べられる世の中である。何を食べに行こうかとスマホでお店を調べているときも楽しい。

外食の食事は幸福である。しかし、幸福は続かない。

毎食外食をしても十分な収入があればいいが、残念ながらそういうわけではない。だから家で食事を作ることになる。

結構美味しくできた「ジャーマンポテト」

何を作ろうかと考えているときは少し楽しい。だが、外食ほど美味しい料理はできないので、食べているときはそんなに幸せではない。

外食と比べると、家での食事は作業だ。おなかが減ったから仕方なく作って、食べる。食べないと何もできなくなるから。

エネルギーをおなかに入れて、ついでにマルチビタミンの錠剤を飲み込む。これでなんとか身体の状態を保つことができている。

ご飯を炊いて、豚バラ肉を炒めたり、ハムエッグを作ったり。フライパンで焼くだけで完成する料理は気軽でいい。

あとは丼モノ。親子丼やカツ丼などを作ることも多い。味付けはめんつゆで十分。ボリューム感もある。タマネギを切るのが少し面倒だけど。

野菜は、スーパーに売っている袋詰めの千切りキャベツを添える程度である。たまに野菜炒めとかを作ると、残った野菜をダメにしてしまうことが大半だ。

Twitterに料理の写真をあげても無反応

考えてみるに、僕の場合、家での料理が楽しさと結びついていないから、つらいのだろう。料理を作る楽しさもなければ、食べる楽しさもない。そして、誰かに喜んでもらう楽しさすらない。

それを改善しようとTwitterに料理の写真をあげたこともある。しかしほとんどが無反応だった。

生まれ故郷、栃木県佐野市のB級グルメ「いもフライ」

いつかなど、スチームクッカーを使ってスイートポテトを作って、写真をアップロードしてみたら「宇宙食」だって。単純に一言「美味しそう」と言ってほしくてアップロードしたのに。これは本当に悲しかった。

そしていつしか、料理の写真もあげなくなった。

料理を堂々と公開できる人は幸せだ。みんなに美味しそうと思ってもらえるのだから。

料理がつらくなってきたのは、たぶん「料理を楽しむことを諦めている」からだ。

そのため、料理を作ることの意味が「エネルギー補給」や「お金の節約」というひどく現実的な話に落とし込まれてしまう。

それを自覚できてしまうので、ひとりで料理を作るることが、とてもつらいのだと思う。

料理をするのがつらいから料理の計画もうまくいかず、食材を無駄に余らせてしまう。最近はできるだけ冷凍食品を使うことで工夫しているが、それはそれで冷凍庫に食材が溜まることになり、あまり嬉しいものではない。

いろんなことを諦めて「無感情」になっていた

よく「ひとり飯は寂しい」なんてことが言われる。

考えてみれば、寂しさを感じるのは、誰かと一緒に過ごす「楽しい食事」を知っているからである。しかし、ここしばらくひとりでしか食事をしていない自分にとっては、ひとり飯に寂しさを感じない。

だから僕は、孤独に強いつもりでいた。

でも、そうではなかった。孤独に強いのではなく、いろんなことを諦めて、無感情になっていただけなのだろう。

延々と暗いことを書いてしまったような気がする。

だが、こうやって自分の心情を書いてみて見返すに、自分の認識はそこまで暗くない。

だって、誰も褒めてくれない食事を作ることがつらいいなら、実はずっとつらかったはずなのだ。だが、ずっとつらかったはずのに、無感情で気持ちを押さえつけて、つらさに気づかないでいた。

そのことに気づけたのはは、自分が無感情になってしまっていたという事実を自覚できたということだ。

そのことは、前向きに捉えてもいいのではないか。

料理がつらいと自覚できたということは、もしかしたら料理は楽しいかもしれないという気持ちを取り戻しつつあるのだろう。僕はそう考えている。

もう少し濃い味付けでも良かった「鯖の味噌煮」

自分の料理を他人の料理と比べてみても仕方ない

昔はどこの家庭にも「お袋の味」があった。「母親が料理を作るべきた」という話ではなく、単純に人の数だけ料理は異なるという話だ。

自分ひとりしか食べない料理でも、工夫をしながら楽しく料理を作ることができる人もいれば、僕みたいに大した工夫もできず、ネットの調理レシピを見ながらなんとかそれっぽい料理を作っている人もいる。

僕は今まで、そうやってなんとか食事をしてきたし、これからもそうしていく。

料理の得意な他人をうらやんでも仕方がないし、ましてや外食の味にかなうわけがない。それでも少しでも美味しく、自分で料理を作れたらいいとは思う。

美味しくできても、誰も褒めてくれる人はいないけど。

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赤木智弘 (あかぎ・ともひろ)

フリーライター。1975年生まれ。就職氷河期世代としての問題意識を中心にいろいろと発信中。最近は、スーパー銭湯などのサウナ施設を回ったり、辛い料理を食べることがマイブーム。一人暮らしなので、すこしでも生活に潤いを生み出して行きたい。

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