絶滅の危機にある「書斎」 現代に生き延びるスタイルとは?
書斎はあこがれの存在だった
書斎にはどことなく甘美な響きがあります。「男の隠れ家」と聞いて多くの人が真っ先に思い浮かべるのも書斎ではないでしょうか。
私も書斎にあこがれるあまり、『作家の仕事場』という、篠山紀信が名だたる作家の仕事場を撮影した分厚い本を購入してしまいました。その仕事場の大半が書斎です。きれいに整えられた書斎もあれば、本や資料が積み重なって「どこで執筆するのか?」という書斎もあります。ただ、そこには程度の差はあれど、書斎というものに人々が抱くイデア(理念)のようなものが共通しているように思われます。
本当に書斎なんて必要なのか
そんなあこがれの書斎ですが、こと現代の住まいにおいてはいささか分が悪い立場へと追いやられているように思えます。いわゆるお父さんの書斎というのは、もはやあまり見られなくなっている気がします。
それもそのはずで、そもそも書斎なんて必要ない人が多いのです。作家のように自宅で執筆活動するならともかく、わざわざ部屋にこもって本を読んだり、書きものをしたりする必要のある方がどのくらいいるか疑問です。さらに、たいていの業務が電子化されノートPC1台あればこと足りる状況において、ものものしい机や開いたことさえない百科事典が並んでいる本棚など必要ないでしょう。それに、夫婦共働きが増え、妻も自宅で仕事をする環境下において、「男の隠れ家」などと言うことさえ後ろめたい感じもします。
実のところ私も、書斎へのあこがれは抱きつつも、自宅ではあまり活用しない気がします。もともと図書館のように学習のために用意された場所は苦手で、もっぱらカフェやファミレスなどで執筆や企画をしてしまうたちなので、たとえ書斎があっても本来の目的では使わない気がします。ひとりきりになれる「孤室」スペースは欲しいのですが、書斎だと少し違うのです。
姿を変えて生き続ける現代の書斎
では現代の住まいにおいて、書斎は絶滅の危機に瀕しているのでしょうか。実は姿を変えて生き残っていると言うのが正しいのではないかと思っています。書斎とは呼ばれないものの、「スタディースペース」や「DEN」「ファミリーライブラリー」などと名付けられ、かたちを変えて生きながらえています。たとえばリビングの壁際に長い机を配したり、階段下や廊下の突き当たりのデッドスペースに小さな机を置くことでちょっとした作業場を確保したりするプランなどがあります。
この空間の特徴は、子供も大人も使えるみんなのスペースであることと、個室として閉じられず開かれた空間であることでしょう。これは限られた面積で個室が取りにくいことへの対策ともなっていますし、家族のつながりを求める声や、共働きや在宅勤務といった労働環境の変化にも対応した空間づくりとなっています。
もともと書斎の語源であるラテン語の「ストゥデーレ」という言葉は「集中すること」という意味を持っているそうです(参照:『書斎の文化史』海野弘)。ならば、集中することができ、ひとりの作業に取り組むための場であれば、広義の書斎だと言えるのかもしれません。
先述した通り、現代の住居においてこのような空間は様々な形態で存在しています。ただし、それらを総称する言葉がまだ市民権を得ていないため、単なる「アイデア空間」の域を超えない扱いに甘んじているとも感じます。今こそ書斎に代わる言葉、現代の書斎を表象する名前が求められているのです。