ウォークマンの不便さで、濃密だった音楽との付き合い方を思い出した
先日、ソニーのウォークマンを買った。ウォークマンと言っても、カセットテープを入れて聞く懐かしのタイプではなく、PCやストリーミング経由で楽曲を入れる、今どきのポータブルオーディオプレイヤーの方である。
今やスマートフォンがあればいくらでも音楽が楽しめるのに、どうしてウォークマンを買う人がいるのか、実はちょっと不思議に思っていたくらいだったのだが、そんな自分がウォークマンを買ってしまった。
かつてウォークマンの登場で、音楽を外に持ち出せるようになったことは画期的だったろう。同時に、音楽をひとりで聞くパーソナルな体験にしたことも大きいと思う。カフェや電車のような空間にいながらも、ひとりきりの世界に入り込める手段として、私にとって音楽は欠かせない存在となっている。
そういうわけで、定額制音楽配信サービス(サブスクリプション)に入って普段から何かしらの音楽を聞いているのだが、だんだんもっといい音で聞きたい欲求が高まり、ハイレゾ対応のウォークマンやイヤホン、ヘッドホンを買った。
ハイレゾは音の情報量が多く、CDではカットされてしまっていた音も入っているので非常に音質が良い。だが、今回語りたいのはそのことについてではない。容量の制限についてなのだ。
外に持ち出せる曲数がだいぶ限られる
このウォークマンは、Wi-FiにつながればサブスクやYouTubeもいけるのだが、Wi-Fiがないところだと本体に内蔵した音楽しか聞くことができない。しかもハイレゾの曲というのは音質が良い分、1曲あたりのデータ量が多いため、そこまで大量の曲数を入れることができない。たとえば64ギガのハードディスクの場合、標準の音質だと数千から1万数千曲くらい入るが、ハイレゾだと数百曲程度しか入らない計算になる。
そのため外に持ち歩く際には、どの曲・どのアルバムを入れるか吟味する必要が出てくる。これはiPhoneで音楽を聞くのと比べてかなり大きな変化だ。
iPhoneの場合は、Apple MusicとかSpotifyだとかの定額配信サービスに入っていれば、一生かかっても聞ききれないほどの曲を常に持ち歩いて、好きな時に好きな曲を聞くことができる。書物にたとえるなら、図書館にある全ての蔵書からいつでも読みたい本を引き出せるようなものだ。一方、ウォークマンの場合は、一度に10冊までの本を持ち出せる「貸し出し」に近い。
どう考えてもウォークマンの方が不便なのだが、この不自由さが新鮮というか、むしろ懐かしさがあって、ちょっとした楽しみになっている。
カセットからCD、MD、iPod…持ち運べる曲数の飛躍的増加
私が子供の頃にはすでにウォークマンは存在していた。当時はまだカセットテープだったが、次第にCDが普及してCDウォークマンが生まれた。
カセットにせよ、CDにせよ、出歩くときはそんなにたくさん持てないから、何を持って行くか、その日の気分で選ぶことになる。当時、CDが10枚ほど入る携帯用ケースを持っていたので、最大10枚のCDアルバムを選んでは持ち歩いていたものだ。
その後、MDが誕生する。MDはミニディスクというだけあって1枚のサイズも小さいし、カセットと違いデジタル録音だったので、音楽の録音はMDへと移行していく。CDをレンタルしてはせっせとMDにダビングしてコレクションを増やしていった。MD1枚は60~80分程度の容量だったが、この4倍の容量を持つMDLPというものが誕生し、これまでと比べて大量の曲数を持ち歩けるようになった。
個人的にはこのMDLPの存在は大きかった。1枚のMDに複数のアルバムを入れられるようになったし、自分用に作るプレイリストもこれまでの十数曲ではなく、何十曲もの曲数で構成できるようになったので、ずいぶん幅が広がったのである。
こうして一時期は栄華を極めたかに見えたMDだったが、恐竜のように絶滅してしまった。
大きな要因は、iPodの誕生だった。iPodによって、これまでとは桁違いの曲数を持ち歩くことができるようになる。今日は何を持って行こうかとCDやMDを選ぶ必要がなくなった。iPod1つ持ち出すだけで良くなった。だが、そんなiPodでも、今思えばまだ持ち歩ける曲数は有限だった。
今では定額配信サービスが浸透し、いつでも好きな曲が選び放題になった。CDをレンタルしてカセットテープにダビングしていた頃に比べたら、信じられないほどの変化である。本当に便利な環境になったと思う。
不便さから気づいた、かつての音楽との関係
そんな折、ウォークマンを使い始めることで、むしろ昔に戻ってしまったような体験をすることになった。
現在はハイレゾにも対応した高音質の定額配信サービスに入って、気に入った曲やアルバムをウォークマンにダウンロードして外に持ち出すスタイルをとっている。容量に限度があるから、気になる曲を次々ダウンロードしていくといっぱいになってしまうし、曲のダウンロードにも少しばかり時間がかかる。なので、どの曲をダウンロードするかはそれなりに考える。
サブスクをストリーミングする場合、曲はほぼ無限に選べるから、ちょっと聞いてみて違うと思ったら次から次へとスキップしていけばいい。しかしウォークマンの場合は、一度取り込んだ曲はそれなりに何度も聞くことになる。
もちろん聞いてみていまいちだと思ったら削除して、また新しい曲に入れ替えていくのだが、ストリーミングのようにぽんぽんとはいかないから、それなりに付き合いは密になる。
こうしたことをくり返すうちに、かつての音楽との付き合い方を思い出し、ふと懐かしさを感じたわけだ。サブスクに比べたら容量の上限もあるし、ダウンロードの手間もかかる。不便と言えば不便だが、この制約条件があることでむしろ1曲1曲とじっくり向き合えるようになった。
念のために言っておくと、これは決してサブスクが悪いわけではない。サブスクだって、曲とじっくり向き合うことはできる。実際、私は今でも複数の定額配信サービスに有料で加入している。
しかし、その便利さ、無限とも思える楽曲の豊富さに甘えて、自分がいかに音楽をあたかも使い捨ての紙コップのようにぞんざいに扱っていたかを、ウォークマンの不自由さが図らずも気づかせてくれた。そして、1つの曲、1枚のアルバムを何度もくり返し聞いていた、少し不便だけど豊かだったあの頃を思い出すことができたのだ。