「セクシー」だけじゃないポールダンスの魅力を伝えたい

ポールダンスを踊るHidekiさん
ポールダンスを踊るHidekiさん

ポールダンスを踊る「ポール男子」の日本での躍進はめざましいものがあります。先駆者たちがポールダンスを始めたのは、大会にメンズ部門がなかった10年ほど前ですが、いまや世界トップクラスの選手を多数輩出するまでになりました。彼らの背中を追う「第2世代」も育ってきています。「ポールダンスを日本に広めてくれた先輩たちに続くようなポールダンサーになりたい」と話すHidekiさん(33)に話を聞きました。(取材・伊藤あかり)

「消しきれない個性」をダンスで生かす

ダンスを始めたのは高校生の時からです。演劇部の顧問の先生に「歌も、踊りも、裏方も、全部できなきゃだめだ」と言われていたので、「役者に必要な要素の一つ」くらいの気持ちで始めました。結果的に、僕にはダンスの方が向いていたのかなと思っています。

演劇は「役になりきる」という言葉があるように、自分を消して役になる。だけど、僕は個性が強すぎたのか、「何をやってもHideki君になるよね」って言われていて。主役だったら問題ないんだけど、そういうわけにもいかないので。

逆に、ダンスは自分の個性を出さないとだめ。有りあまる個性、消しきれない個性こそが大事、というダンスの方が、自分にあっていたのかなと思います。

着衣のまま踊れる「シリコンポール」を使ってポーズ
着衣のまま踊れる「シリコンポール」を使ってポーズ

ダンス一本は不安。理学療法士の道へ

高校卒業後は、理学療法士の資格をとるためにリハビリの専門学校へ行きました。高校の演劇部では、毎日8キロ走り込んでいたんですけど、足の筋肉に炎症を起こしてしまったことがありました。そのとき出会ったリハビリの先生の仕事を見て、人の体とか健康に携わる仕事もいいなって思いました。

「いつかダンスの仕事をしたい」という気持ちもあったけど、「食べていけるのかな」という不安があって、とりあえず手に職をつけようと思ったんです。

専門学校の卒業が見えてきたころ、やっぱり夢を捨てられなくて、ディズニーランドのダンサーの試験を受けたんです。実技試験は合格して、あとは「週6で勤務できるのか?」ということがネックでした。先生に相談すると「理学療法士の場合は、3年の実務経験があれば、1度離れてもつぶしがきくようになる。3年はやってみたら?」って。

それで、ダンサーの仕事は一度あきらめて、3年間、リハビリの仕事をすることにしました。20時すぎに仕事がおわって、終電か終電後までダンスのレッスン。翌朝から仕事……。そんな生活は大変でしたが、「ダンスのスキルをあげていかないと」と頑張っていましたね。

東京・神保町の本屋でポールダンスを披露するHidekiさん
東京・神保町の本屋でポールダンスを披露するHidekiさん

初めて見たポールダンス「やってみたい!」

あるとき、テレビで男性のポールダンサーの映像を見たんです。それまでは「ポールダンスって、女の子がくねくねやるやつでしょ」というストリップのイメージでした。でも、テレビで見たのは全然エロくないし、激しくもなくて、ひたすらきれいで……。無重力の世界を表現していて、シルク・ドゥ・ソレイユみたいだなあと魅了されました。

「これをやってみたい!」とダンサーの友達に相談すると、「知り合いがインストラクターをしているから紹介してあげるよ!」と言われて、ポールスタジオに行くことになりました。

当時、男性は紹介がないとポールスタジオに入会させてもらえなかったんです。どういうこっちゃねんっていう感じなのですが、不純な動機で来る人もいたのかなあ。レッスンは女の子ばかりでしたが、僕はとにかくポールがやりたかったので、あんまり気にならなかったです。

いろいろあって、リハビリの仕事は4年で辞めたのですが、すぐに生活できるほどのダンスの仕事があるわけでもなく。今までの経験とダンスの仕事の両立を考えて、鍼灸の学校に通い始めました。ダンサーとして生きていきたいけど、うまくいかなかったときの可能性も捨てきれずにいました。26歳、まだどっちでもいけるように、逃げ場を用意していたんですよね。

ショーが終わった後、観客の一人ひとりにあいさつするHidekiさん
ショーが終わった後、観客の一人ひとりにあいさつするHidekiさん

事業所がつぶれ「最後のチャンスかも」

30歳手前になって、勤めていたリハビリの事業所がつぶれたんです。そのとき、介護の仕事にも誘われたのですが、これは「ダンス一本で食っていく」という夢のラストチャンスなんじゃないかって思ったんです。やっと踏ん切りがつきました。

20代最後の年に、念願のプロダンサーになったわけです。遅いですよね。向いているか向いていないかわからないけど、やってみようと思ったんです。将来踊れなくなった時に「やりたかったな」と後悔することだけは、嫌だったんで。

ありがたいことに「餓死する!」という経験もなく(笑)、インストラクターやショーダンサーとして、仕事をいただいています。

「セクシー」だけじゃないポールを伝えていきたいなと思っています。6月に神保町の本屋でのポールイベントに出演したのも、そうした思いがあります。ポールダンスに興味ない人たちを魅了してファンにすることこそ、プロの仕事なのかな、と。

クラブ以外でも踊れる場所を増やしていきたい。キャバクラ、ガールズバーなど女性ポールダンサーの踊るところはたくさんあるけど、男性のショーをやっているお店は都内でも数軒しか知らないんですよね。ポールダンスで食べていける男性なんて、本当に限られていると思います。

その割に過酷。落ちたら普通にけがしますし、最悪死ぬこともあると思いますし。好きじゃないと割に合わない仕事だなとは思っています(笑)

いつか親にも認めてもらいたい

母親は医療系、父親は研究者という、わりと固い家なので、僕がポールダンサーをやっていることはずっと反対されていました。でも最近は、大会の応援にも来てくれるようになりました。「エロだけじゃない」って少しはわかってもらえたんじゃないですかね。

日本国内のポールダンスの大会の準優勝のトロフィーを見せたとき、「あなたはこれを仕事にしているのね」と言ってもらえたのはうれしかったですね。「いつになったら辞めるんだ」と、まだ言われていますが(笑)。いつか、世界大会に出場するポールダンサーになって、親にも認めてもらいたいですね。

本屋で開かれたイベントで、ポールダンスを披露するHidekiさん

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