東京下町の1Kアパートで「謎の調味料」を作る男 「名もなきスパイス」の世界を語る

「調味料を作っています」。数ヶ月前、東京・新橋で開かれた飲み会で会社員・広岡謙さんが自分の趣味についてそう語ったとき、筆者の頭に浮かんだのは「???」でした。カレー作りに凝って、数10種類のスパイスを調合するという人の話は聞いたことがありますが、それとは違うというのです。「調味料を作る」ということがよくわかりません。そこで、広岡さんの自宅を訪ね、オリジナルの調味料を使った料理を味わわせてもらいました。

広岡さんの自宅は、都内の下町にあるアパートの一室で、いわゆる1Kです。キッチンには、白っぽい粉が入った小瓶や、茶色っぽい粉が入った小瓶が並んでいました。これが、野菜や魚介類を干した乾物を「調合」して作ったという広岡さんの「オリジナル調味料」の一部です。粉状のもののほかに、広岡さんの冷蔵庫には、液状のものやペースト状の調味料も眠っています。

いずれの調味料にも名前はありません。なぜなら、基本的に広岡さんが自分で使うためだけに作ったものだからです。

思っていた以上に高級感のある味わい

ただ、それぞれの小瓶には「A、B、C、D」と書かれた色違いのラベルが貼られています。ここでは、そのラベルに従って、個々の調味料をA、B、C、Dと呼ぶことにします。ちなみに、小瓶は100円均一ショップで売られているもので、A〜Dのラベルは、もとからプリントされていたものだといいます。

「調味料A」は、白っぽい粉末です。広岡さんによると「のどぐろ」と呼ばれる魚アカムツの煮干しを使ったもので、「いろんな料理に合う、汎用性の高いやつ」だといいます。

一方、「調味料B」は茶色っぽい粉末で、おもに肉用の調味料。数種類のハーブと、砂糖を熱してキャラメル状にしたものを細かく砕いた粉が入っていました。

さっそく、調味料Aをゆで玉子にかけてもらいます。広岡さんがちょうどいい感じの半熟玉子を用意してくれました。口に入れると、塩の味もします。筆者の貧弱な語彙では「お値段高めの焼き魚のような香ばしさを味わえる塩」としか表現できないのですが、つまりは「これだけで日本酒が何杯でもいける」味でした。

カラスミ風味の「唐千寿」安くて美味くて無限にいける

続いて「調味料C」。こちらの黄色味を帯びた調味料には、唐千寿(からせんじゅ)が使われているそうです。

「唐千寿というのは、サメなどの卵で作ったカラスミ風の食べ物で、カラスミに比べて安いんです。この調味料は麺にあいます」と広岡さん。これも半熟玉子にかけてみると、コクのある味わい。またチープな言い方になってしまいますが、「コンソメ味のポテトチップスにも似た風味」がします。

そして「調味料D」は、しいたけや昆布を使った和風の調味料です。こちらは豆腐にあうといいます。使用しているしいたけは、自宅アパートの窓にぶら下げた干物用の網で干して、水分を飛ばしてから粉末にするなど、手間がかかった一品です。

冷蔵庫には「煎り酒」という、日本酒に梅干しや昆布を入れて煮詰めた古来の調味料をもとに作った液体がありました。こちらは、煮物に照りや甘味を加えるときに使うといいます。

ここまで紹介したA〜Dの調味料を主に使いながら、広岡さんの手料理をいただきます。

料理の腕は「12年間のフリーター生活」で培われた

広岡さんは、現在37歳。都内の大手企業に勤務していますが、大学を卒業してから34歳までアルバイト中心の生活でした。調味料づくりを含む料理の腕は、その間に磨かれたものです。

学生時代から料理好きでしたが、中国の調味料XO醤(エックスオージャン)が、30年ほど前に生まれたものだと知ったとき、「自分でも調味料を作れるのでは?」と考えたことが調味料作りのきっかけだったといいます。「12年もフリーターをやっていれば、時間はいくらでもありますからね」(広岡さん)

広岡さんのオリジナル調味料と手料理に、話を戻しましょう。前菜として冷やしたローマトマトを食べたあとは、刻んだネギをのせた豆腐を調味料Cでいただきました。豆腐の甘味というか大豆の味が際立って、とろりとした食感によく合います。広岡さんおすすめの酒「すず音」(発泡清酒)がすすみます。

この間に広岡さんは、じゃがいもを茹でつつ、牛肉を焼いてくれました。これには調理の段階で、白っぽい調味料Aと茶色っぽい調味料Bがかかっています。「お客さんに出しておいてなんですが、そんなに高くない肉です。広岡さんはそう言いますが、調味料の力もあってか、いい肉を食べたときに感じる脳が「ぎゅん!」とする感覚があって、箸がとまりません。

この調味料Bには、さまざまなハーブと一緒に、ひよこ豆が入っているそうです。ひよこ豆が肉の臭みを消してくれるといいます。

このあたりからオレンジワインもいただき、取材なんかどうでもよくなってきました。

「これほど美味しい調味料が作れるのなら、せめてひとつひとつに名前を付けたらどうですか?」。尋ねてみると、広岡さんは「付けたくないんです」と首を横に振ります。

「うちの近所に大きな墓地があってよく通りかかるんですが、墓石に『〇〇家』などと仰々しく書いてあるのはあまり好きになれないんです。それよりも『墓』とだけ大きく彫ってあるシンプルなお墓のほうがいい。それと同じことです」。そこには広岡さんの美学があるようです。

最後は「唐辛子の葉を刻んだペースト」でそうめんを

広岡さんが作る調味料には、1つあたり5~10種類くらいの食材が使われていますが、材料費だけを見ると、数百円でできるとのことです。ただし、風味が飛んでしまうため、賞味期限は1週間程度。その後は冷凍して、使用するごとに解凍するとのことです。レシピは広岡さんの頭のなかにしかありません。

「いまの会社で働けているのは、たまたまです。フリーター時代にやったアパートやマンションの掃除屋さんの仕事が懐かしく思えることもあります」と、広岡さんは言います。「将来は地元に帰って、うどん屋でもやりたいですね。でも、麺は打ちません。あれは腰をいためそうなので」。その際には、うどんに合ったオリジナル調味料が活躍しそうです。

謎の調味料試食会も、いよいよラストへ。味噌状の調味料(でも味噌は使っていないとのこと)をじゃがいもにかけて、これも、ただただ美味しくいただきました。

〆(しめ)はそうめん。もちろん、広岡さんが作ったペースト状の調味料を混ぜて食べます。これには、細かく刻んだ唐辛子の葉っぱと豆腐よう(豆腐を発酵させたもの)が入っています。麺に鮮やかな緑色のペーストがからまったさまに少し面食らいましたが、ミントのような清涼感がありました。

ここまで約3時間半。名もなき調味料の世界を堪能して、筆者は帰路につきました。

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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