『宝島』と『沖縄アンダーグラウンド』(沖縄・東京二拠点日記 29)
4月3日 夕刻、羽田空港から那覇に着いた。今回、第5回沖縄書店大賞の沖縄部門の大賞をいただけることになったので、明日はその発表式&授賞式。なので、酒を飲みに出るのはやめておこう。沖縄で本書が受賞したことはうれしい。
4月4日 沖映通りのホテルに歩いて出向く。授賞式の会場へ入った。
県内の主要な書店の店長らが準備をしているが、客席にもまだ誰もついていなかった。建築コーディネイターの増田悟郎さんがいて、パートナーのナシルさんがマイクテストをしていた。ナシルさんはシンガーソングライターで、この日は名城奈々(本名)として司会を担当してもらう。
時間が迫ると小説部門大賞の真藤順丈さん、同準大賞のオーガニックゆうきさん、絵本部門大賞のヨシタケシンスケさんらが会場入りした。ヨシタケさんは「情熱大陸」で見たばかりだが、背の高く、物腰がやわらかい人だった。2次会で、いつかいっしょに仕事をしましょうと言われ、うれしかった。
会場に祝辞を述べるために玉城デニー知事も来ていた。ツイッター等のSNSで『宝島』と『沖縄アンダーグラウンド』は対になると有田芳生さん(参議院議員)らが発信してくれていたが、元海兵隊の父親と沖縄女性のダブルであるデニー知事も、これはまさに自分の物語、自分の時代の物語だということを祝辞で言ってくれた。
真藤さんはデニーさんことを「現代の英雄だ」と言って感極まっていたが、ぼくも同じ感覚だった。知事にはまさに選挙戦のさなかに選対事務所に『沖縄アンダーグラウンド』を送っていて、なんと読んでくれていたのだ。
「基地の子」として沖縄に生を受けたデニーさんにしてみれば、まさに我がことのノンフィクションで、『宝島』がフィクション(中身は実話をもとにしている)なのだ。
「とにかくホッとしたのが本音」
沖縄でどう読まれるか、沖縄でどんな反響があるかが、真藤さんもぼくも同じ心配事だった。「沖縄人」以外の者が、沖縄の戦後史にとって重大な出来事を書く。このことがどう受け止められるか。ぼくは受賞の挨拶で「とにかくホッとしたのが本音」と言った。
授賞式のあとは真藤さんとぼくの対談を講談社『現代ビジネス』の対談をジュンク堂のバックヤードで録った。編集長(現在は『週刊現代』)の阪上大葉さん自らがきてくれた。
対談の合間や、終了後に地元ラジオやQAB(琉球朝日放送)に出た。QABはいまはデスクをつとめている長年の友人・島袋夏子さんが急遽、まるまる番組を使って特番を組んでくれた。
大賞の打ち上げは沖映通りの「レキオス」で。たまたま居合わせた客が真藤さんが『宝島』の著者だとわかると「宝島」コールが起きた。
4月5日 夕方まで雑務。夕方に、じゅんちゃんと待ち合わせして、いつもの「すみれ茶屋」へ大賞受賞のお知らせに。じゅんちゃんも、すみれ茶屋の丈二さんも大賞受賞にほんとに喜んでくれた。丈二さんに大賞の賞状を店の壁に貼ってもらうよう頼んだ。じゅんちゅんと栄町の「ルフージュ」に流れ、かるくワインを飲んだ。
4月6日 夕方までインタビューの文字おこしなどの仕事をして、栄町の「おとん」へ。主人の池田哲也さんと親しくしてもらっているせいもあるが、大賞受賞の報告へ。サインをした拙著を店に置いてくれて、興味を持ったお客さんに売ってくれている。
『沖縄アンダーグランド』で世話になっている普久原朝充くんと深谷慎平くんを呼んだ。琉球新報社営業局のえらいさん・譜久元武志さんとばったり。普久原くんと深谷くんで「ブンキチ」という「ムサシヤ」のあとにできた醤油ラーメンの店に初めて行き、ラーメンをすすって帰る。
4月7日 昼過ぎまで寝て壺屋の「よかりよ」をのぞいて、近くの「ガーブドミンゴ」をのぞいた。大好きな焼き物を見ているのがすごく好きだ。両店とも沖縄以外の焼き物を入れているが、店主のセレクト眼がいい。
ガーブドミンゴでは、イラストレーターの石川じゅんさんとばったり会う。石川さんも1カ月のうち10日間ぐらいは沖縄で過ごしている、同じ二重生活者だ。
夕方まで壺屋や牧志の市場あたりをぶらぶらして、安里にある「福岡アバンギャルド」でもつ串煮を食べる。『ヤンキーと地元』がブレイクした社会学者の打越正行さん、普久原朝充くん、深谷慎平くんと合流。ここはチリトリ鍋で煮込んだ豚の肺の串が最高に美味い。
そこからジュンク堂店長の森本浩平さんが飲んでいると電話があった、近くのイタリア料理屋「アリス」へ移動。フランス人のヒズラン・モートンさん(在沖縄名誉領事、琉球大学非常勤講師などの仕事をしている)と、もうすぐ結婚する宮古島出身だという女性がいた。
そこからまた近くの「ゴールデンスワロー」で中華料理。増田悟郎さんも合流。
チャンプルーが絶妙
4月8日 昼間まで寝ていた。さいきん近所の自転車店で1万円ぐらいで買った旧式のDAHON(折り畳み自転車)で、昼飯は泊の「ヤマナカリー」へ。行列ができている。鶏だし仕立て旨みチキンカレーとほんのり黒酢と味わう海鮮ココナッツカレーのあいがけ。当店のアイディアにはいつもびっくりする。
夕方から福島弘子さんと、東京・六本木で焼き物の「ギャラリー645」を営んでいる西城鉄男さん(かつての週刊誌時代の上司)と栄町へ繰り出す。和食の「うりずん庵」で飲む。さきほどスーパーの「りゅうぼう」で「赤ばなー」のママさんとばったり遭遇していたので、久々に「赤ばなー」へ。
かつては、マンションの管理人さんらとしょっちゅう来ていたが、ここのところご無沙汰だった。ここはもともと奄美出身の主人がやっている氷屋さんで、妻のママさんは東京出身の人。地元の年配の方に愛されている。
料理は数種類しかなくて激安。ほとんど「りゅうぼう」で買ってきているものをそのまま出しているからだけど、「赤ばなー」のチャンプルーは、ぼくの知っている中で上位を争う美味しさだと思う。
ママさんがフライパンをふるう豆腐チャンプルーやゴーヤーチャルプー、ソーミンチャンプルー(ソーメンタシヤーと言ったほうがいい)は絶品。とにかく炒め方が絶妙なのだ。で、値段も安い。
雑誌の「モモト」を広げたら、特集されていた三線の作り手の渡慶次道政さんが隣に座ってらして、「俺が載っているんだよ~」と教えてくれた。帰ろうと思って栄町を歩き、串焼きの「ニハチ」の前をとおりかかると、主人の大嶺雄司さんが外にベンチに座っていたので、そこにぼくも座ってビールを飲むことにした。
だべっていたら、店を閉めてひきあげる途中の「赤ばなー」のママさんも通り掛かったので、ベンチにいっしょに座って飲んだ。栄町ロータリーが目の前の場所だが、今夜は人が少ないかんじがする。
4月9日 那覇から京都へ引っ越した作家の仲村清司さんが、週一度の大学の講義(初回)のためにやってきた。これから大学の講義のあるときは、ぼくの家に泊まってもらっていることになっているのだが(ぼくが居なくても鍵を渡してあるので、勝手に泊まってもらっている)、夕刻に着くというのでいつもの泊の「串豚」で待ち合わせ。
ぼくと「おとん」の池田さんが開店時間に行ってみたら、開いてない。増田さんも来たが開かない。どうやら臨時休業みたいだ。やがて仲村さんもやってきたが開かないので、昼飲みをやっている近くの居酒屋「おいしーさー」にぼくらは入り、ビールを飲んだ。
ジュンク堂の森本店長や普久原くんやらも三々五々集まってきた。仲村さんの友人たち集合だ。そのあとは国際通りをちょっと入ったところにある(旧三越の近く)「一幸舎」で九州ラーメンを仲村さんと食べて帰る。
4月10日 目覚めてぼくは仕事をして、仲村さんは『カムイ外伝』や『忍者武芸帳』を一心不乱に読む。ぼくは那覇の家に、大好きな白戸三平さんの作品をほとんど置いている。
はやい夕方にあらためて「串豚」を仲村さんとたずねると開いていた。主人の喜屋武満さんによれば、子どもが風邪をひいたとかで昨日は臨時休業にしたそうだ。
そのあと栄町へ移動し「ベベベ」で松川英樹さんが仕込む関西風のおでんを食べる。7~8人も入ればいっぱいになるが、いまは琉球新報社の事業局につとめる波平雄平さんと、ライターの橋本倫史さんと遭遇。橋本さんの『ドライブイン探訪』をちょうど読んでいた最中だったからびっくり。そのあと出る『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』の取材で来ているという。
ちょうど観光名所にもなっている牧志の公設市場は、老朽化のため建て替えのために移設をする直前だった。「べベベ」からちかくの「うりずん庵」へ移動して、仲村さんと刺身をつまんで帰った。あいかわらず栄町を回遊している。