「ひとり」とは自分自身の輪郭を確認する時間(沖縄・東京二拠点日記 46)

ひめゆり平和祈念資料館の中庭にて
ひめゆり平和祈念資料館の中庭にて

およそ2年間、沖縄での生活を記録してきた。もやもやと考えたことも綴ってきた。ぼくは「取材者」なので、沖縄に滞在すること自体が仕事になる。あるいは仕事のこやしになる。「沖縄」を取材して、ノンフィクションで表現することにつなげるから、そういう意味では生活者とはいえないのもしれない。

続いていくぼくなりの二拠点生活

沖縄に仕事場があると他人に言うと、必ずというほど、のんびりできていいですね、とリアクションされる。その人の「沖縄イメージ」では、東京から沖縄へ頻繁に通うことは休息をしにいくのだろうと解釈されているらしいのだが、ぼくにとってはそんな要素はまるでなく、むしろ緊張を強いられている場面のほうが多い。

「ヤマト」から来た取材者がどう立ち回り、ふるまうのか。誰とどんな言葉を交わすのか。そういう生活の中で、「沖縄」で深く受け入れられたという実感を得られたときもあれば、表層ではね返されたと感じたこともあった。深手を負ってしまったなとひどく落ち込むこともあった。それでも、この連載が終わってもぼくの、ぼくなりの二拠点生活は続いていく。

那覇市に仕事場=拠点をかまえてから10年以上が経つけれど、なぐり書きのような、このおよそ2年分の日記を読み直しながら、世の無常を感じている。沖縄の歴史を辿り、いまも押しつけられている「分断」をあらためて思う。不条理の島といったらいいだろう。そのことを無意識に前提にしながら「沖縄」を消費している我々とはいったい何ものなのだろう。いつも、そう思う。

そして、それまで沖縄に行けば必ず何度も会っていた人が世を去り、あるいは沖縄を離れた。新しい友だちもできたが、会う回数が減った人もいるし、いろいろな事情で人間関係が途絶えた人もいる。亡くなった人のひとりはメディア界の大先達で、彼は沖縄に移住してきていた。東京では親交はなかったが、那覇で「出会い直し」をして、拙著『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(講談社)の取材は彼の人脈に拠るところが大きかった。そうそう、ぼくの週刊誌記者時代の先輩とも30年ぶりに那覇で再開し、再びつきあいが始まった。

漂う自分を見つめなおす

この文章を書いているつい数日前のことだが、関西から移住してきた人が息を引き取ったことを知った。病が発覚して関西で入院生活を送っていたが、意識がなくなるまで沖縄での楽しい思い出をSNSに書き続けていた。居酒屋を那覇で切り盛りしておられ、ぼくは何回かしかお会いしたことがなかったが、わずかな水分しか受け付けなくなった身体で、沖縄の出汁の味を慈しむように味わい、人生を振り返っていた。

二拠点生活に無常観を感じながらも、ぼくにとって人間や人生の交差点になってきたのはたしかである。

なにより、ぼく自身が大病を経験して━東京にいるとき━生死の際までいった。脳卒中だったので、一度は飛行機で沖縄に通うことをあきらめかけた。それでも沖縄との二拠点生活の再開をこころ待ちしている自分に気づいた。それがどうしてなのか、自分でもわからない。好きだから、と答えるのは簡単だが、ほんとうのところは何に惹き付けられているのか、年々、複雑になっているような気がする。が、「沖縄」が心身の一部になっていることは自覚できる。そして二拠点生活も有限で、いつか、終わることも。

こういう生活の中で「沖縄」がぼくの心身を通り抜けていくとき、取材等で邂逅した人たちの顔を思い返し、己に問い返す。「ひとり」で沖縄での自分の姿を振り返り、どうしてオマエはそこにいるのだ、と問いかけてしまう。

初代編集長の亀松さんから『DANRO』のコンセプトを創刊とほぼ同時に聞いたとき、ぼくはまっさきに手を挙げた。沖縄が大好きで、那覇市に自分の仕事場をつくったひとつの理由は、二拠点生活を実践するためだったし、沖縄で一人で過ごす時間を愉しみたいという「初心」のようなものを思い出させてくれた。だから、売り込みといえばそうなのだが、コンセプトに共感した気持ちをそのまま亀松さんと三好さん(現編集長)に渡したような気がする。受け取ってもらえたのが、ほんとうにうれしかった。

繰り返すようだが、二拠点生活を続けながら━他の場所へも移動することが仕事なのだが━そこに漂う自分を見つめなおすことになった。取材とはもともとひとりでやることなのだが、沖縄の外側=ヤマトから、生活者でなく、取材者という意識を持って、人や土地に深く接するとき、否応なく「ひとり」を自覚させられる。考えすぎだと叱られそうだが、そういう思考を忘れないようにしている。沖縄では、ぼくは「ヤマト」から来たという属性を含めて、取材で「沖縄」の人や土地に深く入り込もうとする「ひとり」の異者として見つめ返される。その自身の輪郭を確認する時間、それが「ひとり」の時間なのだと思っている。

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