アメリカと日本に陵辱され続ける沖縄(沖縄・東京二拠点日記 16)

辺野古(沖縄県名護市)の歓楽街の一角
辺野古(沖縄県名護市)の歓楽街の一角

ぼくは東京と沖縄の間を往復する「二拠点生活」を送っている。那覇市内のマンションをもう一つの自宅として、沖縄の人々と交流しながら、フリーランスのノンフィクションライターとして取材し、原稿を書く。そんな生活を日記風に書きつづる連載コラム。今回は、2018年が終わろうとしていた12月に考えたことを記す。沖縄で生活していると直面せざるをえない米軍基地をめぐる問題だ。

「沖縄アンダーグラウンド」と「辺野古」の共通点

【12月15日】昨日、辺野古の海へ土砂の投入が始まった。これで海は戻らず、新しい米軍基地ができる。移設ではない。そもそも普天間がなくなったとしても、沖縄の上空をオスプレイは飛ぶ。普天間の上も飛ぶ。那覇の上空も飛ぶ。普天間(宜野湾市)から辺野古(名護市)まで37キロしか離れていないことを「内地」の人はどれほど知っているのだろうか。

ぼくは、この秋に出した著書『沖縄アンダーグラウンド』の取材を続ける中で、痛切に思ったことがある。

2011年11月末、沖縄防衛局長が記者懇談会で、普天間基地の移設をめぐって問題発言をしたことが報じられた。防衛相が辺野古移設に伴う環境影響評価書の提出時期を明言していないことについて、沖縄防衛局長は、女性をレイプすることに例えて、「犯す前に(これから)『やらせろ』とは言わない」などと発言し、更迭される「事件」となった。

記者懇談会はオフレコが前提とされるが、発言のあまりの下劣さを考えれば、すっぱ抜いた地元紙記者の判断は正しい。沖縄の「売買春街」の歩みが、沖縄が背負わされてきた「戦後の歴史」とどのようにつながるのか。それを知るために歩き回っていた最中のぼくにとって、この「更迭事件」のニュースはベトつくような嫌悪感を抱かせるものだった。

沖縄と日本(国家)の関係においては、ことほどさように、いびつな「性」のにおいが常につきまとっている——。米軍基地との関係を抜きにしては語れない沖縄の売買春街の歴史を取材していたぼくには、そのように感じられてならなかったのだ。

主権国家とは思えない制度が続いている

現在でも米兵・軍属等(元も含む)による凶悪犯罪は、沖縄の人々の日常を脅かしている。2016年にうるま市で起きた元海兵隊軍属によるレイプ殺害事件は記憶に新しい。被疑者は逮捕されて、日本の刑事裁判にかけられ、2018年秋に無期懲役判決が確定した

辺野古。米軍のキャンプシュワブとの間にある金網

2013年1月15日の「琉球新報」に掲載されたワシントン特派員の記事には、このように書かれている。

「米軍関係者による『強姦(ごうかん)』が起訴前の身柄引き渡しの対象とされているにもかかわらず、1996年以降に摘発された米兵35人中、8割強に当たる30人が逮捕されず、不拘束で事件処理されていたことが本紙が入手した警察庁の資料で分かった」

理由は、在日米軍の兵士や軍属の法的地位を定めた「日米地位協定」の存在だ。日米地位協定とは、日米安保条約に基づく、米軍兵士が日本で犯罪を起こした場合の取り決めのことだ。

『沖縄アンダーグラウンド』の中でも、犯罪を犯しても基地へ逃げ込んでしまい、そのまま日本の警察に逮捕されないケースを紹介した。そうなるとアメリカの法律が適用され、処分がどうなったかすらも把握することが困難になる。圧倒的に不公平で、主権国家とは思えない制度を日本は認めているのである。

性犯罪だけでなく、米兵が犯した事件の被害者はこの協定によって泣き寝入りを強いられてきた。これで、主権国家だといえるのだろうか。

日米両政府の間では、1995年の米兵による少女暴行事件を受け、「殺人」「強姦(女性暴行)」に限って起訴前の身柄引き渡しが可能となった。だが、琉球新報の記事によると、運用の改善が徹底していなかった。

記事で紹介されている警察庁の資料によると、96年以降に摘発された凶悪犯罪(殺人、強盗、放火、強姦)の米兵被疑者は計118人。そのうち、約半数に当たる58人が不拘束で事件処理されたことが記録されており、身柄は起訴された後に日本側に引き渡されたとみられるという。

普天間基地返還交渉のきっかけとなった1995年の米兵による少女暴行事件しかり、防衛省幹部の発言しかり、今でも日常的に起きる米兵による性犯罪しかり。言うならば、沖縄は、アメリカと「日本」に凌辱され続けてきたということになる。

「内地」に住む人々が背負う「加害者性」

「沖縄差別」という言い方を沖縄で聞くようになって久しい。戦争の捨て石にされ、米軍基地の大半を押しつけられるという構造的差別を受け、戦後になってもレイプなどの犯罪被害を受け続けているという歴史や日常の恐怖が、そう言わしめしている。

沖縄の「民意」は、辺野古の新基地建設に対して抵抗を続ける知事を選んだ。現地では、いまも反対闘争が続けられている。沖縄に集中する米軍基地を返還させるべく、沖縄が直接、アメリカと交渉する動きもある。しかし、政府与党は沖縄の世論を分断させるために、アメとムチを使い分け、あらゆる手を使って懐柔策を仕掛けてくる。

現在の日本政府は、沖縄の歴史を知らない政治家たちが、沖縄の人々の意思や安全よりも、アメリカの言いなりになる道をとっている。その政治家たちはまぎれもなく有権者である「私たち」が選んだのである。

ぼくは、沖縄に対して恥ずかしく思う感性を忘れたくはない。沖縄の側から見ると、「内地」に住む人々は、誰彼に関係なく構造的な「加害者性」を背負っているからだ。

辺野古の歓楽街。かつては米兵で賑わった。いまはほとんどの店が営業しておらず、取り残されたような街だ

ところで、件の沖縄防衛局長はただちに更迭されたが、当時の一川保夫防衛相は参議院の東日本大震災復興特別委員会で、この一件に関連して1995年の米海兵隊員らによる少女暴行事件について問われたとき、「正確な中身を詳細には知ってはいない」と答えたのである。

この防衛相は、いまや日本を二分するほどの米軍普天間飛行場返還運動の端緒となった事件についてまともな知識を持たないまま、問題発言をした局長を更迭したことになる。これが内地と沖縄の「距離」なのだと思う。

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