支え合い生きてきた愛犬の死が教えてくれたこと(老犬介護記・下)
大型犬の割には長生きをして、私のそばにいてくれた愛犬ルールー。仕方のないことですが、老いには勝てず、別れの時が刻々と迫ってきました。
たとえ寝たきりでも、楽しく過ごしてほしい。その願いが通じたのか、最期の日まで好物を口にしてルールーは旅立ちました。介護の時も火葬にした時も、気が張り詰めていたのですが、時が経つにつれて悲しみは深まっていきました。
優しい時間
約15年間、私と生活を共にしてきた愛犬ルールー。2019年10月中旬に寝たきりになり、介護生活が始まりました。肝臓に良性か悪性かはわかりませんが腫瘍を抱え、脳にも腫瘍の存在が疑われ、原因不明の貧血も少しずつ進行していました。しかし、痛みや呼吸困難は伴わず、まるで老衰のようにゆっくりゆっくり衰えていく感じでした。
寝たきりとはいうものの、上体を起こしてごはんを口元に持って行くと食べることができ、水も飲めました。獣医さんや愛犬、愛猫を看取ったことがある人に聞くと、「食べて飲める間は大丈夫」ということだったので、なんとなくまだ数カ月は生きていてくれると思っていて、うまくいけば年を越せるかもという淡い期待さえ抱いていたのです。
ところが、10月下旬くらいから次第にごはんを消化することができなくなり、下痢をするようになりました。獣医さんからは、「なんでも好きなもの、口にするものを食べさせてあげて」と言われ、それからはQOLの充実を最優先したのです。
ルーが元気なうちから「絶対に延命治療はしない、過剰な治療もしない、枯れるように逝くのを看取る」と固く心に決めていたのですが、私は、少しでも食べてほしいと思って、療法食の肉缶詰やチーズケーキ、プリンなど、ありとあらゆるものを用意しました。
ちょうど、お客様に出そうと思っていたチーズケーキにクンクンと反応したので、口元に持って行くとおいしそうに食べてくれました。忘れられない出来事です。
たとえ寝たきりでも
私は、代謝機能の衰えに従うべきか否か、迷いました。しかし、ルールーが口を動かす限り、「食べたい」という欲求が勝つのだろうと思い、できるだけ下痢をしないよう、様子を見ながらチーズケーキやプリンと乳酸菌飲料を与えました。
そのような状態でも頬ずりすれば温かく、息をしている愛犬。そばにいてくれるだけで安心できたのです。
強く冷え込んだ日の朝、ルールーはいつものように穏やかに呼吸をしていましたが、まるで亡くなったかのように手足が冷え切っていました。おそらく、血液循環が悪くなっていたのでしょう。私は、大慌てで湯たんぽを探し、毛布でくるんで温めながら、ルールーに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、「ごめんね」と言って抱きしめました。
お別れの時
満足に食べることができなくなったルールーの安楽死について、獣医さんに何度も相談しました。
「何の楽しみもない、寝たきりで生かしておいて幸せなのか」という問いかけに、獣医さんは、「幸せかどうかは、あなたとルールーちゃんにしかわからない、僕が決めることじゃないんですよ」と言われました。「よくよく考えてのことなら安楽死の処置はさせてもらいます。苦しみはありません」という、いわば安心手形は、私に考える余裕をもたらしました。
「まだ口を動かして食べたいと言ってくれるから、お別れの日はもう少し先だろう。安楽死を急ぐことはない。何を食べさせたら喜んでくれるだろう」。そう思っていた矢先、ルールーの呼吸が少し大きくなってきたのです。すぐさま病院に行くべきかどうかというと、それほどでもなく、様子を見ることにしました。
翌日、日曜日の夕方、出先から帰宅すると、やはり呼吸が大きい。月曜日は獣医さんが不在なので、ルールーを診てもらうことにしました。慌てて病院に連れて行くと、車まで獣医さんが来てくれました。
駐車場で、まるで野戦病院のように聴診器を当て、ルールーの心音や眼の反応などを確かめた獣医さん。「まだ心臓は動いているよ」と、私の手を心臓のところまで持って行ってくれました。トクトクトクという鼓動は生きている証。しかし、目がしらのあたりを指で押さえても反応しませんでした。
「悪いけど、長い間診させてもらったので、我が子のように思える。だから、我が子だと思って話をします」と涙ぐむ獣医さん。「もう苦しみは感じていないので、いま安楽死をさせる必要はない。どうしても安楽死を望むなら、明日の夕方なら病院に来られるので実施する」とおっしゃいました。
無駄だとはわかっていましたがモルヒネに似た注射だけしてもらい、私はルールーを連れ帰りました。ペットシッターさんに布団まで運んでもらい、お別れをして、「最後に会いたい人、みんなに会えたね」と話しかけると、間もなくルールーは、静かに息を引き取りました。2019年11月17日のことでした。
代わりはいない、かけがえのない愛犬
翌日、涙雨が降る中、ルールーが大好きだった浜辺の公園で、移動火葬車で火葬にしました。車の屋根から炎が立ち上り、火の粉を散らす様子は美しい記憶として残っています。
介護が始まってから死別までの1カ月間、徐々に愛犬の死を受容できたかというと、まったくそのようなことはなく、ひたすら何かをしていないと涙があふれてきました。フィットネスクラブで汗を流している時間は無になれるひとときで、強制的に悲しみを遠ざけるにはうってつけでした。
しかし、24時間運動しているわけにもいかず、少し過呼吸のようになり、「これはまずいな。ペットロスになるかも」と思い、猫の一時預かりボランティアをすることを考えました。しかし、望んだ時に限ってなかなか縁がなかったのです。新たにペットを迎えようとは思っていなかったのですが、譲渡サイトを見たのが運のつき。1匹のゴールデンレトリーバーが目に留まりました。
ブリーダーのところにいた子なのですが、種雄として用済みになったので手放したいということでした。「なんて身勝手な。そのようなことに手を貸してはいけない」と思いましたが、その子はもうシニア。なかなか引き取り手が見つからないようでした。
問い合わせると、私が引き取らなければ保健所に連れて行かれるかもしれないといいます。「動物愛護法が改正されて、ブリーダーは保健所への持ち込みはできない。まさか、でも、あり得ない話ではない」。私は、その子を迎えることにしました。
ちゃんとシャンプーしてみると、とても可愛い。お散歩の仕方もお座りも教えてもらったことがないようで悲哀を感じましたが、ボール遊びが大好きな、陽気な犬でした。
オーシャンという名前の犬は、1週間、2週間と時が経つにつれて、我が子という感じがしてきましたが、やはりルールーの代わりにはなれない。ルールーはルールーなのです。「ひとりと1匹」という関係は強固なもので、それゆえに忘れがたい。いい思い出も、後悔も、何もかもが強烈なのです。
ルールーが亡くなって半月後、私は、オーシャンを連れて、動物病院に挨拶に行きました。獣医さんがルーにくれた小さなろうそくには「ありがとう」の文字が。「動物と暮らすってそういうことなんだな」と思いました。「いつも一緒にいてくれてありがとう、たくさんの思い出をありがとう」という感謝の気持ちが、天国のルールーに届くことを願っています。