戊辰戦争と震災。東北の名城は二度の悲劇からよみがえった!白河小峰城(ふらり城あるき 3)

宮城県の知人に会うことになった2018年の6月中旬、良い機会だったので東北地方の城跡をめぐってみました。上野駅から東北新幹線に1時間20分ほど乗って、新白河駅を目指します。福島県の南端にある白河市は、関東と東北の境界。古代には「白河の関」が設けられたと伝えられています。
この白河市にあるのが「日本100名城」にも選ばれている小峰城(別名・白河小峰城)です。天守に当たる「三重櫓(さんじゅうやぐら)」が木造で復元されているので、一般の人が思い浮かべる「お城」のイメージにぴったりです。
小峰城を襲った2つの悲劇
新幹線の車中からスマホで検索したところ、小峰城は、阿武隈川に面した小峰ヶ岡という丘陵に築かれた平山城。南北朝時代に結城氏によって築城されたそうです。
このときは土塁が中心で、戦国時代にありがちな地味な城郭だったようですが、江戸時代初期の1627年、白河藩に転封された丹羽長重の手によって、石垣を多用した近世城郭に生まれ変わりました。長重の父親は、織田信長の重臣だった丹羽長秀です。安土城の築城責任者だった父親から、城づくりのノウハウを教わっていたのかもしれません。
しかし、丹羽家はせっかく堅固な城を作ったのに、わずか16年後には二本松藩に国替え。幕府としては名家とはいえ外様大名に、東北地方への玄関口を任せることを不安視したのかもしれません。小峰城は、東北の有力大名・伊達政宗の動きを警戒して、東北への守りを固めるための城だったという説もあるほどです。
その後は譜代や親藩など徳川家に近い大名が白河藩を治めましたが、幕末に小峰城は大きな戦乱の舞台となります。1868年の戊辰戦争です。「白河口の戦い」では、奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)と新政府軍の間で、城をめぐる激しい争奪戦となりました。城の建物の大半が焼け落ち、明治時代には石垣や水堀、土塁だけ残す城になりました。

しかし、江戸時代に描かれた「白河城御櫓絵図(しらかわじょうおやぐらえず)」を元に1991年、天守に相当する三重櫓(さんじゅうやぐら)が、忠実に復元されました。鉄筋コンクリートではなく木造です。新発田城や大洲城など「平成の城郭木造復元ブーム」の先駆けでした。
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