目的は「東北を走ること」 無計画の3泊4日ソロツーリング
約3年もの間、気軽に旅に出られない雰囲気がずっと続いていたが、ようやくそんな混乱も落ち着き始め、これまで旅に出たくても出られなかった人たちがソワソワしはじめた。
かくいうおれも旅を我慢していたクチで、できれば今夏は北海道に行きたかった。だがスケジュールの都合上、あまり長い旅はできそうにはなかった。
8月末に海外旅行を計画していて、そちらでも予算を多く使わなければならなかったので、北海道行きはあきらめ、上信越、南東北方面を走ることにした。
日本海を目指して出発。高原のキャンプ場で絶景に息をのむ
お盆休みも終わり、あれだけうるさかったセミの鳴き声もまばらになった8月22日、おれはバイクにキャンプ道具を積み込んで自宅を発った。
自宅の最寄りのインターチェンジから高速で長野方面へと向かった。1時間ほど高速を走って再び国道に降りると、そこからは一般道で北上を続けた。
高速道路はスムーズだし目的地までの時間も読みやすいが、カーブが少なく、景色の変化にも乏しくて退屈だ。だからおれはツーリングでは、よほど急いでいない限り、高速道を使わない。
塩尻、松本、そしてスキーファンにおなじみの白馬を越えて新潟県に入る。国道沿いには、日本最大の断層のフォッサマグナの露頭が見学できる「フォッサマグナパーク」があった。
フォッサマグナパークからさらに北上して日本海側に出る。前方には紺碧の日本海と断崖絶壁が見え始める。ここが親不知海岸だ。日本海に沿うこの国道はこれまで何度も走ったことがあるのだが、親不知海岸に来るのは初めてだ。
海岸の絶景を少しだけ眺め、国道をUターンして新潟方面に向かう。時間は午後3時を少し回っていた。そろそろ今夜の宿泊地を探さなければならない。
ロングツーリングでは、よほどのことがない限りキャンプ泊だ。予約などせず、その時にいる場所の最寄りのキャンプ場に飛び込んでいるのだ。ただ、夕方になるとキャンプ場の管理人さんが帰宅する可能性があるので、場所に目星をつけたら電話を入れてチェックインの時間を確認するようにしている。
この日は上越市の高原のキャンプ場を選んだ。キャンプ場に到着して受付を済ませると、管理をしている地元のおじさんたちがあれこれと気を使ってくれる。こんなふうに地元の人たちと気軽に話ができるのも、一人旅の醍醐味だと思う。
混雑と暑さを避けるべく、進路を北から東へと変更
長距離を走った疲れと酔いで、いつもよりも早めに眠りについた。そのせいか、朝の4時過ぎには目が覚めてしまった。
やがて朝日が山の向こうからテントを照らす。暑くなる前には出発しよう。急いでテントを片付けて積み込みを終えると、朝7時前にキャンプ場を後にした。
2日目となるこの日もどこに向かうのかは明確に決めずに走り出した。まずは長野県まで南下してから野沢温泉、栄村を経由して再び新潟県へと向かう。
十日町から小千谷市、山古志村を経由しつつ北上。再び日本海側に出ようかとも思ったが、ここ数日、新潟市をはじめとする日本海側の街の気温は軒並み35度以上と報じられていたこともあり、進路を東方向に向けた。少しは涼しくなるかもしれないと思ったのだ。
山古志からさらに北上し、大きな油揚げが有名は栃尾の街に入った。昔の街道筋を思わせる道路の両脇の家々の軒先には大きなひさしが連なるように組まれていて、独特な景観を見せていた。
国道290号をさらに北上し、やがて阿賀野川沿いを走る国道49号に入る。そして阿賀町から国道459号線を使って福島県喜多方市へと抜けた。
市の中心部から10㎞ほど北には、10年前の東北ツーリングで泊まったキャンプ場があったので、そこを2日目の宿営地とした。このキャンプ場はテントサイトのすぐそばにバイクを置くことができるので荷物の積み下ろしが楽で、なおかつ歩いて行ける距離に風呂もある。そして何よりも価格が安いのが大きな魅力だ。
その日の宿泊客はおれともう一人、ハーレーでツーリングをしている男性の2名のみだった。
福島の浜通りで震災遺構を見学、再び会津に引き返す
3日目。前日同様、朝7時前にキャンプ場を発った。
まだ交通もまばらな国道121号を北上して山形県米沢市へ。そこから国道13号で福島市方面を目指した。ダイナミックな峠道を駆け上り、長いトンネルを越えると福島県に入る。福島市を抜けてさらに東へと向かい、太平洋岸を目指した。
飯舘村を抜けて南相馬市に入る。太平洋岸を南北に沿うように走る国道6号線を南下し、この日の目的地としていた浪江町立請戸小学校校舎に到着した。
この校舎は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。さらにその後の福島第一原発事故の影響により、この小学校周辺は長らく立ち入り禁止となっていた。
立ち入り規制が解除されると、この小学校校舎は震災遺構となり、被害の痕跡を残す校舎内部が公開されるようになったのだ。
校舎の見学を終え、国道6号線沿いの食堂に立ち寄った。そばと親子丼のセットをかき込んでいると、店内のテレビからニュース速報が流れた。今まさに福島第一原発から処理水が太平洋に放出されたということを伝える速報だった。
食事を済ませ、進路を再び西に向けた。郡山を過ぎたあたりで宿を探すためにコンビニで停車した。
冷えた飲み物を流し込みながら地図と携帯とにらめっこしていると、同じメーカーのバイクに乗っているという男性が話しかけてきた。宿泊地を探すおれに「裏磐梯にたくさんキャンプ場があるよ」とアドバイスしてくれた。
この日の宿泊地は裏磐梯の桧原湖畔のキャンプ場。宿泊客はおれひとりだけだった。
旅の最終日。山道を経由して、福島から愛知まで一気に走る
4日目の朝が明けた。今年の夏のツーリングはこの日を最終日とすることにした。ここから自宅まではかなりの距離があるが、日があるうちには帰宅できるだろう。
早朝にキャンプ場を出発し、磐梯山麓の県道を南下する。磐梯山は夏の早朝のまぶしい光を受け、その荒れた山肌がよりくっきりとしたコントラストを見せていた。会津若松、南会津を過ぎると進路を西に向け、只見町へと向かう。
10年前の東北ツーリングでも只見町を走っている。只見町から新潟県へと抜ける、通称六十里越峠と呼ばれる国道252号線は、断崖絶壁にクネクネ道がへばりつき、いたるところで道路補修の工事が行われている険しいルートだ。
視界の利かない夜や雨の日などは危険極まりない道だが、マイナーで険しい道が好きなおれにとっては、この道はお気に入りのルートなのだ。
六十里越峠を経て新潟県魚沼市へ。さらに南下を続けて長野県に入る。長野市の手前で給油し、すぐそばのインターチェンジから高速道路に乗った。
休憩の時間を見積もっても、自宅まではあと3時間くらいだろう。西に傾いた太陽はサングラス越しの目を射抜き、高速道路のアスファルトを黄色く照らす。はるか前方の空には背の高い雲がいくつも浮かんでいた。
久々の夏のツーリングも残りわずか。気を抜かず、無事に走り切ろう。