上野に残る地下鉄開業の面影(知られざる鉄道史 13)
1927年12月30日、浅草駅~上野駅間2.2キロの開業から始まった日本の地下鉄の歴史。
東京の北の玄関口上野駅と、当時最大の繁華街だった浅草を結ぶ地下鉄は、開業当初は通勤・通学・業務など日常の足というよりは、それ自体が非日常へといざなうアトラクションのような存在だったと言われています。
新しもの好きの江戸っ子を驚かせたひとつが、日本初の「自動改札機」でした。アメリカから輸入したこの機械、手前の箱に運賃の10銭を直接投入すると、バーがひとり分だけ回って入場できる仕組みで、ターンスタイルと呼ばれました。
開業当時の面影を残す改札口
開業直後(1928年2月)の現JR上野駅方面改札口の写真が残されています。
実際に営業中の駅を撮影したものか、宣伝用の写真撮影かは不明ですが、改札の向こう側で小銭入れを開いて10銭硬貨を探すお父さんと、満面の笑顔で改札に駆け寄る少女が印象的な1枚です。
コンクリートむき出しの柱と天井は、現在の駅構内とは随分異なるように見えるかもしれませんが、2本の柱が自動改札機を挟む改札口の構造は、実は今も変わりません。
階段の向こうからのぞくマーキュリー像
改装工事以前、上野駅のマーキュリー像は、JR上野駅方面改札内正面の駅事務室入口付近に置かれていましたが、全面リニューアルで駅事務室は移設され、跡地にはエキナカ商業施設「Echika fit 上野」が設置されました。マーキュリー像はどこに行ってしまったのでしょうか。
気付いていない人が多いかもしれませんが、マーキュリー像は今も銀座・渋谷方面1番線ホームに降りる乗客を見守っているのです。階段を降りる際、ちょっと視線をあげてみてください。階段上に新設された待合室「mercury patio(マーキュリーパティオ)」内に設置されたマーキュリー像がちらっと見えるはずです。
ホームにも歴史がいろいろ
「美術館のある街」をコンセプトにリニューアルされた上野駅には、銀座線の歴史を示す品々がまるで博物館のように展示されています。
戦前期を代表するグラフィックデザイナー・杉浦非水がデザインした開業告知ポスター(レプリカ)、開業当初に上野駅の壁面に使われていたスクラッチタイル、1927年から66年間使われた第三軌条(給電用のレール)に加え、1974年から2017年まで使われた、電車の到着を知らせる表示器も、「現役」時代と同様に点灯する状態で展示されています。